退歩

退歩
一切に是(のごとく)なれば、彼も此れも遺恨有るべからざるなり(すべてにこのようであれば、双方とも恨みを残すことはないはずである/『正法眼蔵随聞記』ちくま学芸文庫、水野弥穂子訳)』
 ー (記12月27日)2016年も年の瀬、今年も激動の一年だった。 2011年から住み始めたベルリンも、もうすぐ6年目。寝て、起きて、坐って、祈って、掃除して、食べて、単純なはずの生活が、ますます楽しく、美しく、愛しく感じる。このような生活をさせてもらえることは奇跡的なありがたさ。 この感動の前には何も言葉がでない。それでも強いて言葉を絞り出しておくことは、今、このありがたい時にいる自分の義務か。言葉にできないことを少しずつ言葉に、できることから。 (つづく) -------------------------------------------- 夜話に曰く、今の世、出世間の人、多分は善事をなしては、かまへて人に識られんと思ひ、悪事をなしては人に知られじと思ふ。此れに依つて内外不相応の事出来る(夜話に言われた。今の世の在俗の人も出家の人も、たいていは、善い事をすると、どうかして人に知られようと思い、悪いことをすると、人に知られまいと思う。そのために心の内と外とが一致しなくなる/『正法眼蔵随聞記』ちくま学芸文庫、水野弥穂子訳)
 ー 2017年、東京、京都、福井を旅してベルリンに戻り、あっという間に過ぎ去った三週間だった。 年頭に知人から使用しなくなったスマートフォンとパソコンを頂く機会があった。特に旅をしていると技術の進歩の恩恵にあずかることは多く、大変有り難いことだ。 一方で、退歩の重要性はますます高まっている気がしている。例えば情報技術の分野は、進歩し過ぎと感じる人も少なくないのではないだろうか。なにごとも過ぎると身心を一致させることがとても難しくなる。 進歩進歩の世の中で、いかに退歩するか。 このように考え、実践する者は多くはないが、少しずつ増えているように感じる。そういった人達に出会うと嬉しくなる。 私がそう感じるようになった大きな契機が10年程前のある人との出会いだった。永平寺を降りて歩いて故郷に帰る途中に出会ったその人は、お坊さんではない。朧げな記憶ながら、たしか家のリフォームかなにかを仕事にしている人だった。 (つづく) -------------------------------------------- Reference books;  >UNTERWEISUNGEN ZUM WAHREN BUDDHA-WEG (WERNER KRISTKEITZ VERLAG, Herausgegeben und kommentiert von Shohaku Okumura Mit einem Geleitwort zur Deutschen Ausgabe von Fumon Shoju Nakagawa) >"Shobogenzo-zuimonki" (SOTOSHU SHUMUCHO, Translated by Shohaku Okumura) >『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫、水野弥穂子訳) --------------------------------------------


星覚 (せいがく)
>>プロフィールを読む 雲水。1981年鳥取県出身。大学卒業後、大本山永平寺にて修行を積む。多くの海外道場に参禅し、現在はベルリンでの坐禅を中心に禅を世界に伝えている。著書に「坐ればわかる」(文春新書)など。