娑婆の姿と典座寮の仕事

娑婆の姿と典座寮の仕事
<写真はまかないを食べる同僚達>
さて、縁あって「典座寮」で調理をすることになったのだが、一体どんなところで、そもそもなぜ料理をすることになったのかだろうか。少し詳しく書いておきたい。

まず外国人が異国の地で暮らすには「ビザ」とよばれる滞在許可証が必要だ。
海外旅行などで何気なく外国に入国できるのは、主に観光などの為の期間限定の「仲のいい国同士の特別措置」でしかない。不法移民が当該国民の雇用や経済に悪影響を与えているというのは多くの国が抱える問題で、同じ国の中でも地域によって複雑なビザの制度が決められている。ベルリンにもいくつかのビザの種類がある。理解している範囲で説明すると今回の場合大きく分けて四つのビザ取得の可能性がある。

1、5000万円以上の投資をして自分が雇用を生み出す。 
2、学生としてビザを取得する。 
3、アーティスト、又は自営業者用のビザを入手する 
4、誰かに雇われて雇用者としてのビザを取得する 。

1は問題外、2はこちらでの活動が限定される上に多大な学費を支払う必要があるし、そもそも学校にいくわけではない。そうすると3か4の方法でビザを取得するしかない。いずれにせよどうしても必要になってくるのが
「歯の治療と妊娠治療の補償のついた一年分の保険契約」
である。

ドイツは生活保障が充実しているが、その分健康保険料がとても高くプライベート保険には月に日本円で5万円くらいするものもざらにある(もはや保険と呼べない・・・)。健康保険制度そのものについて疑問点はつきないが、とにかく滞在許可を得るにはいやでも保険契約をしなければいけない。しかし10月に出産を控える妻が入れるプライベート保険は存在しなかった。そこで浮かんできたのがどこか会社に雇われてパブリックの保険に入る、という選択肢だった。パブリック保険なら家族全員が自動的に保険の対象になるので妊娠に関係なく加入することができる。

こうして雇われる可能性として紹介されたのが、BAR TAUSENDの中にあるCANTINAだったのである。
TAUSENDはベルリンの中心部にある隠れ家的なクラブだ。普通に歩いていても入り口さえ見つけることができないこのクラブのさらに奥にオシャレな高級レストランCANTINAがある。ちょうど野菜調理を担当していたベトナム人が休暇をとってしまった為、彼が帰ってくるまで手伝ってみないかというお誘いがあったのだ。正式に雇われることになれば給料がもらえるいわゆる「サラリーマン」になり、パブリック保険に加入できて自動的にビザも取得できる。一方、当然ではあるがその仕事に対して責任を持つことになる。言葉を覚え現地の人の生活に触れるまたとないチャンスでもあるし、定期的に収入が入ると生活は安定する。しかし禅やアートの活動は大幅に制限されるだろう。はたして一年後のビザの更新の時に本当に欧州まで来てやりたかったことができているのだろうか。雇用ビザがとれる保証もなく迷ったが、これも縁だと思いとにかくその日から働いてみることにした。

FINE ASIAN & IBERO AMERICAN CUISINEと題したCANTINAは予約無しでは入れない、超人気店だ。シェフの待遇もよく、洗いものや給仕は分業されていて完全に調理に集中できる。各界の著名人や成功した実業家、目の覚めるような美男美女、とにかく華のある人が訪れ値段もとても高い。その分どうしても食材のよい部分だけを使用するし、古いものをだすわけにもいかないので廃棄する食べ物も多い。昔働いていた東京の居酒屋に比べれば断然ましだし、野菜担当だったので肉魚の調理はしなくてよかったが、どうしても感覚が麻痺してしまうこの「よい経験」には葛藤も多かった。たまに肉や魚を手伝う時があってそんな時は「ごめんな。ありがとう」とひとつずつ声をかけて調理した。いわばハードルの高い「典座寮応用編」といったところか。また夜のお店だけあって家に帰るのが深夜1時頃になるのも悩みだった。遅く帰っても朝の坐禅と朝課はかかせないので身体は正直キツかった。深夜に眠っている妻のもとに帰るのも申し訳なかった。異国の地で不安な想いをさせているに違いないが、いつもケロリとして笑っている姿に自分の進むべき道を考えさせられた。

そんな中でも毎日CANTINAに通う気になったのはここで働くスタッフのみんなのおかげだ。アフリカ、韓国、スペイン、ベトナム、アメリカなど様々な国籍の人がいてそのほとんどがこの地で生まれ育った「ドイツ人」だ。シェフは僕の他に三人いて、料理長はMasaoさんという寡黙だがとても尊敬できる調理人だった。とにかくきちんと掃除、整理整頓をするし、多くの制約の中できるだけ食材を大切に扱い、盛りつけにも心を込め、料理に喜心老心大心を注いでいるのが伝わってくる。他のシェフをしかることもしないがその真摯な姿に同僚達も影響をうけているようだった。スタッフはひとつのチームのようで、みんないつも笑顔でハグをしてキスをして挨拶を交わす。カップルで働いているゲイのハウケは仕事が終わるととびきりの笑顔でビールを持ってきてくれる。忙しい時にはみんながピリピリすることもあるが体育会の様な雰囲気と、なによりドイツ語に浸かった現地のナマの、それも普通はあまり接することがない夜の姿を見れるのが嬉しく、楽しかった。いつの間にかCANTINAが我が家のようになっていた。深夜、ベルリンの中心部から帰宅する時は酔っぱらいやビンを割る若者の群れを横目で見ながら自転車を漕いだ。なんとも言えない唱いだしたくなるような夜の風は、子どもの頃文化祭で遅くまで学校で作業をして帰る時のそれと似ていた。

娑婆にいるといつも迷う。
自然とともに生きるのはある意味でとてもラクチンだ。朝陽とともに起きて祈り、昼間は仕事に精を出し、野菜と玄米を感謝して頂き、陽が沈んだら坐って、寝る。勿論ラクチンばかりではないが、少なくとも都市生活が抱える無気力感、鬱や自殺といった「現代病」はそこにはなく、命はイキイキと輝く。多くの人と「ほんとうに幸せで魅力的な生活」とは何かを考えて、徐々にシフトしていきたいと常に思う。
だがしかし一方で、そうでない生活をしている人が「悪い」とは思えない。肉を食べる、魚を食べる、深夜まで遊ぶ、仕事をする。みんな一生懸命生きている。何千万円もする黒塗りの高級車でやってくるオーナーのドゥクも、その背中はどことなく寂しい。ボートピープル出身の彼は無一文で海を渡ってベトナムから亡命してきてビジネスを成功させた。家族想いで心を許した相手にはとても優しい笑顔をみせる彼は、この地で何を想ってお金を稼いでいるのか。何が人々を欲に駆り立てているのか。それはどこへ向かうべきなのか。


答えは到底見つかりそうにない。「一日一日精一杯生きる」というありきたりのことを続け、問いを忘れた頃にようやく感覚としてわかってくるものなのかもしれない。

<裏口でくつろぐジョー>
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<なにかとすぐ休憩したがるけど憎めない若手のハーディ>
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<大掃除の日、Masaoさんが特別に腕をふるってくれました>
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星覚 (せいがく)
>>プロフィールを読む 雲水。1981年生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、大本山永平寺にて修行を積む。シンガポールに生まれ、イギリス、ポーランド、鳥取県で少年時代を過ごす。ウェブカフェ、雲水喫茶のマスター。