そもさん:ブッダは偶像崇拝を禁じたり、所有の制限を説かれていたと思うのですが...

そもさん:ブッダは偶像崇拝を禁じたり、所有の制限を説かれていたと思うのですが...
 すっかりご無沙汰になってしまいましたが、久しぶりのそもさんコラムです。今回のご質問はメールでいただきました。まずはそのご質問を紹介させていただきます。

「私は京都在住で名所を回るのが趣味ですので、色々なお寺にも立ち寄ります。お堂の雰囲気とか、威厳ある仏像などすばらしいと思いますが、ブッダは偶像崇拝を禁じていたと確か世界史で習ったような...また、物を持たないことを教えていたような...と思い浮かんで、どうも現在の仏教はブッダが説いた道とは実は全然違うのでは...と思ってしまいます。そう思ってしまうと、誠に失礼ながら、今の仏教にすがっても救われることはないのではないかとも思ってしまいます。このあたり皆様どうお考えなのでしょうか。実は結構気になっている人多いと思います。よろしくお願いいたします。」

 仏像を祀ること、そして所有ということに関して、初期の仏教と今の仏教が違っているが、それで良いのか、というご質問であると承りました。なるほど、確かに初期仏教には仏像というものは見られませんし、また所有ということに関しても戒律で決まりがありました。けれど今の日本の仏教を見ると、仏像がブームとしてもてはやされたり、所有に関する戒律などないように見えるという点では、お釈迦様の教えと違っているように感じられるかもしれません。

 ではまず仏教における偶像崇拝の禁止に関してですが、おそらくこれは、お釈迦様の遺言のお経としても知られる『涅槃経』で、お弟子の一人であるアーナンダが釈尊に、釈尊死後、何を依りどころとすべきかを尋ねたところ、「法に依りて人に依らざれ(依法不依人)、義に依りて語に依らざれ(義依不依語)、智に依りて識に依らざれ(智依不依識)、了義経に依りて不了義経に依らざれ(了義経依不依不了義経)」と示され、さらに「自灯明・法灯明(法を依りどころとし、自らを依りどころとせよ)」ということもおっしゃいました。このところから、大切なのはブッダが説いたところの真理、法を依りどころとすべきであり、仏像を崇拝するのは釈尊の教えに合っていないもの、と見なされるのだと思います。

 でも確かに、諸行無常を説く仏教、そしてもう一つの疑問でもあります、所有することを制限したはずの仏教ということを考えましても、仏像というものがあるのは仏教的ではない、と感じるのも不思議ではないのかもしれません。なぜならば仏教は、「執着する心から離れよ」というのがその教えの一つであります。大切だと感じる物があれば、それに執着してしまい、苦しみをもたらす。だから執着の心から離れることが大切、というわけです。所有の制限ということが言われるのも、「本質」はそこにあるのでしょう。

 そして仏像を祀るということに関しても、私は大切なのはその「本質」であると思います。もし仮に、特定の像自体に力があって、それを崇拝するとなれば偶像崇拝となってしまうので、避けるべきことでありますが、仏像本来の意義はそうではありません。回答でもいただきましたが、仏像というのは信仰を喚起するための一つの「手だて」です。その「手だて」でもって、仏教の教えをわかりやすく目に見える形として表現し、そして仏像を敬うことを通して三宝(仏・法・僧)を敬う心を養い、同時に自らを在り方を振り返るための一つの指針とする。それが仏像の本来の役割であり、存在意義であるかと思います。所有の制限という事柄も、その「本質」は「執着から離れる」ことにあり、所有の制限ということはそのための「手だて」であるとも考えられます。

 お釈迦様の教えの中に、「指月の喩え」というものがあります。月はどこにあるのか、と訪ねられたとき、あそこだと指差します。月は指の差す先にあり、指に月があるわけではありません。指は月を指し示すための「手だて」であって、月こそが大切にすべき教え、つまり「本質」であるということを表す比喩です。けれど現状を見ますと、仏教の「本質」よりも、その「手だて」のほうに目が行きがちなのかもしれません。そして仏教の「本質」は一切皆苦とされるこの人生を如何にして歩んでいくべきか、というところにあるのだと思います。その「本質」の部分において、今の仏教がお釈迦様の教えと違っているということはないのではないかなと、私は思います。

 仏像が良いか悪いか、物を持つことが良いか悪いかにこだわるのではなく、それは私がより良く生きるための「手だて」としてあるものだと見つめていくことに、この疑問を解く鍵があるのではないでしょうか。

A6.jpg

 最後に、このご質問は、宗教の純粋性ということについても問いかけているものだと思います。宗教は純粋であるべきかどうか。このことについても、またtwitterでいろんなご意見をいただきながら、別の形でなにか書けたら、と思っております。

 なお、今回twitterではこのようなご意見をいただきました。皆さまありがとうございました。
As6.jpg
やりとりのまとめはこちらからどうぞ。
http://togetter.com/li/176859





日下賢裕 (くさか けんゆう)
>>プロフィールを読む 1979年、石川県生まれ。浄土真宗本願寺派の僧侶、布教使。 広島大学人文学部東洋史学科卒業後、本願寺派の教育機関である中央仏教学院、伝道院にて仏教を学ぶ。 現在は故郷の山中温泉にて、本願寺派の若手僧侶が作るサイト「メリシャカ」や「彼岸寺」との関わりを通して、仏教を外に発信するとともに、地元の人たちに愛されるお寺作りに挑戦中。