そもさん:お葬式の意義とはなにか?
お気に入り 票 0 票2011年04月21日
震災から一ヶ月がすでに経過しました。復興が始まりつつあるとは言え、現地の方々はまだまだ余震との恐怖と闘いながら、不自由な生活を続けられております。遠くからではありますが、私もできることをするということを継続していかなければならないなという思いがいたします。
さて、今回のそもさんですが、お葬式という儀式についてのご質問をいただきました。個人的には、昨年の2010年は、非常にお葬式ということについて考えさせられた一年でした。NHKで放送された「無縁死」と言う社会現象、「葬式は、要らない」という書籍の出版、そしてイオンの葬儀事業への参入などなど、ネット上でも様々に議論されておりました。
しかし私が一つ違和感を感じたのは、お金に関する議論が多かったことです。確かに葬儀という一連の儀式におけるお布施が、金額が大きいとか、透明性に欠けるという問題はあるし、改善すべきであると私も感じます。けれど本当に語られるべきは、なぜお葬式をするのか、お葬式の意義とは一体どういう物なのかということではないのでしょうか。
今回頂いたご質問は、まさにそこに関わるものです。けれども「お葬式の意義」というのは、お坊さんや宗派によっても微妙に異なってくるものですし、遺族という立場と、お坊さんという立場によっても、違いがあるものですから、答えを一つだけにするということはできないものです。ご質問にあったように、死の畏れを緩和することも、死を自らに知らせるという意味も大切なお葬式の意味の一つでしょう。
また私もツイッターでのやりとりの中で、「故人への感謝を示すため」、「故人を通して自分が〈今在る〉ことの不思議や、いのちの繋がりを感じること」、「自らも死にゆく存在であることを受け取り、いのちをどこに向けて歩むのかを考えること」、「遺族の悲しみを回復に向かわせる装置」をお葬式を行う意義として挙げさせていただきました。
もちろん、これ以外にも人それぞれにいろんな意味が見出されるかもしれません。「鎮魂」ということや「冥福を得るため」ということを思う方もおられるでしょう。それはそれで間違った考えではないと思います。「死」という出来事をどういう「物語」としてとらえていくかは人それぞれです。
けれど一つ大切なのは、亡くなった人のためだけにお葬式という儀式があるのではなく、生きている私自身のためのものでもあると受け取ることだと思います。大切な人の「死」を、ただ悲しい出来事、目を背けたい現実として終わらせてしまうのではなく、お葬式という儀式を通して、自分自身にフィードバックすること。自分自身の死を想い、自分自身のいのちを想い、自分自身がこれからどう生きていくかを想う。そして、自らのいのちの歩みを、より良い方向に向けるためのきっかけとなりえるのが「お葬式」という儀式の大切な意義の一つであると私は思います。
人それぞれに、さまざまな意義を見いだせるお葬式という儀式ですが、その分、明確な意味がぼんやりしてしまっているのかもしれません。けれど、自分自身に振り向けるという芯があれば、より意義深い儀式となるのではないでしょうか。


日下賢裕 (くさか けんゆう) >>プロフィールを読む 1979年、石川県生まれ。浄土真宗本願寺派の僧侶、布教使。 広島大学人文学部東洋史学科卒業後、本願寺派の教育機関である中央仏教学院、伝道院にて仏教を学ぶ。 現在は故郷の山中温泉にて、本願寺派の若手僧侶が作るサイト「メリシャカ」や「彼岸寺」との関わりを通して、仏教を外に発信するとともに、地元の人たちに愛されるお寺作りに挑戦中。










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