釈徹宗さんインタビュー/死では終わらない物語を生きること(3/5)

釈徹宗さんインタビュー/死では終わらない物語を生きること(3/5)




釈徹宗さんへの「さとり」インタビュー、全5回中の3回目です!

 

 

 

【前回までの記事はこちらです】

釈徹宗さんインタビュー/死では終わらない物語を生きること(1/5)

釈徹宗さんインタビュー/死では終わらない物語を生きること(2/5)

 

 

 

◆「本物の念仏者」との出会い......釈さんの原風景

 

:なんだか、かなり変則的な仏教でしょう(笑)。でも、この道を真摯に歩めば、かならず仏教が目指すところへと到達するという確信はあるんですよ、私には。

ああ、そうだ、さっきの「物語と出会う前に戻れない」という話にもつながるので、少し長くなりますがお付き合いください。

私、修士論文で、あるおばあちゃんのことを書いたんですよ。事例研究というかたちで。そのおばあちゃんは、私が生まれたお寺のすぐ近所に住んでいる門徒さんだったんですけれど。本物の念仏者でした。

 

小出:本物の念仏者。

 

:はい。うれしいときも悲しいときも、つねにお念仏しながら暮らしておられました。いわゆる妙好人(篤信の念仏者)です。

あのね、子どものとき、私の部屋は庫裏の二階にあったんです。朝起きて窓を開けると、ちょうど本堂の向拝(本堂の正面、屋根が張り出した部分)が見える。そのおばあちゃんは、そこに毎朝かならず合掌して念仏しておられました。それで、小学校低学年ぐらいのときだったと思うんですけれど、ある朝、二階の窓から見ていると、そのおばあちゃんから後光が......

 

小出:後光!

 

:後光がさしているのを見たんですよ。「あ、あそこに仏さまがいる!」と実感しました。

 

小出:まさしく「如来とひとし」だと。

 

:そうなんです。私が生まれたところはなかなかの篤信の地でしたので、そのおばあちゃんのほかにも立派な念仏者がおられましたね。だから、この道はニセモノではないと肌感覚でわかっているわけです。

同時に、「私はとてもあんな人にはなれない」とも感じてきました。そういう意味では、如来寺の住職としてやっていけるのかどうか自信がなかったんですけど。あるとき、自分はとてもあんな人になれないけれども、せめてああいう人たちが集まる場所のお世話役をしようと思い至り、自分自身の立ち位置に納得しました。

 

小出:ほんとうに、ものすごくインパクトのある光景だったのでしょうね......。

 

:私の宗教的原風景です。

 

 

 

◆仏法を聞けば聞くほど苦しくなることすらある

 

:修士論文でそのおばあちゃんのことを書いたときは、ご本人はすでにご往生されていたんです。でもお嫁さんやお孫さんたちからお話をうかがいました。この人たちも本当にすごい念仏者なんですよ、おばあちゃんの影響を受けておられて。

取材を通じて、いろいろと興味深いエピソードを聞かせてもらいました。たとえば、そのおばあちゃんは、若い頃からずいぶん苦労された人だったみたいです。それで、あまりに苦しいので「お寺で仏さまのお話を聞いたら、楽になるんじゃないか」と熱心に通い始めたっていうんですね。もともと子どもの頃からお念仏は身についていた人だったそうなのですが、あらためて救いを求めて真剣に仏法を聴聞するようになった。ところが聞けば聞くほど、かえって苦しくなったらしいのです。

昔から「仏法は邪魔になるまで聞け」という箴言があります。真摯に仏法を聴聞したら、常に自分のあり方が問われることになる。だから、「これだったら聞く前の方が楽だ」と、仏法が邪魔になる。そこまで聴聞するということです。毒にも薬にもならないようなものじゃないんですよね、仏法って。

そのおばあちゃんも、聴聞を重ねるうちに苦しくなって、もうお寺に通うのをやめることを決心されたそうです。長年聞いてきたけれどもうやめようと、家のお仏壇の扉を釘で打ち付けて、さらには縄で縛るようなこともされたらしいんです。

 

小出:激しい方ですね......!

 

:そういう激しさを持つ方だったんでしょう。また、それだけ真摯に聴聞されていたということです。とにかく、もう二度と念仏は称えないとまで決意した。でも、なにしろ子どもの頃からお念仏がしみついていますからね、つい習慣で称えてしまうんですよね。だから、自分の口から出た念仏が憎くなって、口から念仏がでるたびにそれを手でつかまえて捨てたそうです(笑)。

 

小出:(笑)

 

:まさに、出会う前に戻れない。常に自分というものが問われる。そんな事態がよくわかる逸話です。

 

 

 

◆「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」――念仏者の遺言

 

:それでそのおばあちゃんが息をひきとられた日、机の中から遺書が見つかったんですよ。家族は知らなかったのですが、かなり以前、お孫さんに代筆してもらったものだったんです。

子どもの頃から苦労されたので、きちんと学校に行けず、ご本人は字が書けなかった。それでお孫さんに代筆してもらったみたいですね。

その遺書、見てもらえますか? ここにあるのですが。

 

小出:ぜひ、拝見させていただきたく思います。

 

:せっかくだから、お孫さんの文章も添えて読んでください。「遺言」の部分以外は、お孫さんが書いた文章です。

 

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「この紙に、言うた通りに書いてな」と、鉛筆と便箋を渡され、言われるままに書き出しますと、「もしも、わたしが 死んだとき...」そんな言葉の内容でした。

えっ!と私の手が止まりましたが、祖母はニコッと微笑んで、言葉を続けましたので、そのすべてを書き込みました。

それからかなり年数も経ち...、その事はとっくの昔に忘れていましたが、祖母が亡くなった時、その遺言が...

 

「これはあんたが書いたんか?」と母に聞かれて、ハッ!と思い出しました。

「ああ! あの時の...あの言葉だ!...」その光景、当時のおばぁちゃんが目に浮かび、泣いた後からまた涙がこぼれました。...祖母は家の事情で学校も行けず、文字が書けませんでした。読むのもカナくらいだったそうです。

そこで、孫である私に書いて欲しいと頼んだのです。

他の孫にも頼もうとしていましたが、たまたま遊びに来ていた私だけが素直に頷いた...からでしょうか...

おばあちゃんは長生きしましたし、私もそのことはまるで忘れていたのです。

 

私が勤めに出て間もない年でした。 入院していた祖母が亡くなったと知らせが入り、タクシーで急いで祖母の家に向かいました。

泣きながら家に入り、遺体の前で泣きつくしました。そして呆然としていたときに、「遺言があったよ」と母が見せてくれたのです。

 

----------遺言----------

 

みなさま、長らくおせわになり、

ありがとうございました。

 

このきものをきせてくださるときには、

おねんぶつさまをとなえつつきせてください。

 

もし、私のことをおもい出すときがありましたら

おねがいです、おねんぶつさまをとなえてください。

 

 なむあみだぶつ なむあみだぶつ ゝ ゝ  

 

あなたがたが、おまいりしてくださることを

たのしみにまっています。

 

さようなら

 

 なむあみだぶつ なむあみだぶつ ゝ ゝ 

 

------------------------------                  

 

私が頂いた信仰心は、祖母の影響が大きいです。母ともお参りに行ってはいましたが、いつも誘ってくれたのは祖母でした。

沢山の孫がいた中で、私を選んでくれたという大きな縁によって、私の信仰心が芽生え、その後、より深く強固なものになったと感じています。おばあちゃん 本当にありがとう。

 

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

 

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小出:......。

 

:すごいでしょう。もう、生き死にの問題、決着しているんですよね。

 

小出:ほんとうに......。どうしよう、なんだか涙が出てきます......。

 

:そんな風に受け取っていただいて、私もうれしいです。このように、市井の名もなき人が、文字も書けない田舎のおばあちゃんが、厳しい修行をしたわけでもなく、仏教学を学んだわけでもないのに、生き死にの問題を超えるところまで行くのです。ここに日本仏教の白眉があると思いますね。

 

 

 

◆宗教的成熟はふたつのタイプに分けられる

 

小出:この方は、最後には完全に救われていらっしゃったんでしょうね......。苦しみながらも......。どこかで決定的な転機を迎えられたのでしょうか。

 

:そうですね。いくつか転機となったようなエピソードも残っています。ただ、ご本人の書き残したものがあるわけでもなく、言行録があるわけでもないため、はっきりとしたことはわかりません。いわゆる回心(コンヴァージョン)体験もあったのでしょうが、一方でやはり子どもの頃から蓄積されてきたものも大きかったと想像しています。

アメリカの哲学・心理学者のウィリアム・ジェームズが、宗教的成熟には「二度生まれ型」と「一度生まれ型」のふたつのタイプがあると言っています。「二度生まれ型」とは、いままでの自分が死んで、あたらしい自分が生まれるといった大きな転換を経験するタイプですね。ジェームスはこちらのタイプを高く評価しています。

それに対して「一度生まれ型」は、長い間かけて、薄紙一枚一枚積み重ねていくように成熟していくタイプです。あるときふと後ろを振り向いてみると、ああ、こうだったのか、私にはこの道しかなかったなあ......という感じですね。このおばあちゃんはどうも「二度生まれ型」だったようなのですが、同時に「一度の生まれ型」的な面もあったと考えています。

 

小出:なるほど......。釈さんご自身はどちらですか?

 

:「一度生まれ型」ですねえ。長い間かかって、やっとお念仏が称えられるようになったタイプです。

 

 

 

◆思わず念仏を称えている自分がいる!

 

:もちろん子どもの頃からお念仏は称えていたのですけどね。なにしろもともと宗教性が虚弱な人間なんですよ。たぶんお寺に生まれていなかったら、宗教を批判したり、信仰をバカにしたりするような人間だと思います。とにかく根は嫌なやつでして。

 

小出:そんな......(笑)。

 

:でも、50歳過ぎたぐらいから、ときどき、こう、無意識のフタが開くような感じで、なにか自分が抱えていた、絶対に思い出したくない経験とか感情とかが噴出するっていうようなことが起きてくるようになって。そんなとき、お念仏を称えたりしている自分がいる。そんな自分にちょっと驚くんですよ。

うーん、あの自分がこんな風に念仏を称えることになろうとは......。これはもう、仏のはたらきとしか表現のしようがない、そんな受けとめ方をしています。

 

小出:「あの自分」というのは?

 

:宗教を自分の知性で把握するタイプの自分です(笑)。

 

 

 

◆逃げる者を後ろからつかまえるのが仏の救い

 

大峯先生と小出さんとの対話にも出てきましたが、親鸞は「こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし」と語っています。これも親鸞自身の実感から出た言葉なのでしょう。「浄土に生まれることができる、などと言われてもうれしくない」「自分は仏の救いから逃げ続けるようなやつなんだ」と告白する人でしたから。でも、「逃げる者を追いかけて、後ろからとっつかまえるようなのが仏の救いなのだ」とも述べている。

 

小出:後ろからつかまえる。

 

:もともと仏教という宗教は、私がさとりをひらいて仏になる(仏←私)という方向です。これがメインのストーリーです。でも法然上人は、仏が私を救う(仏→私)と方向を逆転してしまうんですね。仏教の脱構築です。

 

小出:仏が私を救うという方向性の仏教は、それまでにはなかったのですか?

 

:なかったわけではないんです。初期からありました。ただ、サイドストーリーなんですよ。脇役、脇道です。ところが法然は主役と脇役を入れ替えてします。「誰もが歩める道だから」というのがその理由です。

法然の弟子の親鸞になると、仏の救いから逃げる私(仏→私→)が問題となる。仏からもっとも遠い私が浮上するわけです。だけど仏はそうやって逃げる私を後ろからつかまえるんだと言うんですよ。

 

小出:そうやって、親鸞さんも、釈さんも、仏さまに後ろからつかまえられてしまったと。

 

:そういうことになりそうです(笑)。

そういえば、以前、イスラエルへ行って、そこからパレスチナの難民キャンプを回ったことがあるんですよ。イスラエルでは強烈なユダヤ教の宗教性を浴びて、パレスチナではイスラムの宗教性を浴びて。なんだかあてられたような気分になって、ふらふらになったんです。それだけ強い信仰や生活様式を目の当たりにしたということなんですね。

それで、一緒に行った浄土宗のお坊さんと、「やっぱり、たいしたもんですねえ」なんてことを言い合いながら、ふと、「我々もお念仏しますか」っていうことになって。一緒にお念仏したんですね。そうしたら、南無阿弥陀仏が口から出た瞬間、もう、ありありと自分の身体感っていうのが戻るような気がしたんですよね。ああ、お念仏があれば、世界中どこで暮らしてもいけるかも、そんな感覚になりました。お念仏がここまで深く自分の実存を支えているとは、ちょっと驚きでした。

 

小出:信心というものの力を感じるお話です。

 

 

 

4回目に続きます!)

 

 

 

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釈徹宗(しゃく・てっしゅう)

 

1961年大阪府生まれ。

龍谷大学大学院博士課程、大阪府立大学大学院博士課程修了。

学術博士。専門は宗教思想。

浄土真宗本願寺派如来寺住職。

相愛大学人文学部教授。

NPO法人リライフ代表、認知症高齢者のためのグループホーム「むつみ庵」を運営。

著書多数。近著に『死では終わらない物語について書こうと思う』(文藝春秋)、『現代人の祈り: 呪いと祝い』(内田樹との共著、サンガ新書)、『70! 人と社会の老いの作法』(五木寛之との共著、文春新書)など。

 

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小出遥子 (こいで ようこ)
>>プロフィールを読む 1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。 いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。http://temple-web.net/