【「ひらけ!さとり!」番外編】日下賢裕さん・松本紹圭さんとの対話/「縁」ってなんだろう?(1/3)

【「ひらけ!さとり!」番外編】日下賢裕さん・松本紹圭さんとの対話/「縁」ってなんだろう?(1/3)

 

 

今回は「ひらけ! さとり!」番外編です。

 

もう2か月以上も前になってしまいますが、426日(月)の夜、東京・神谷町光明寺にて、対話の集い、Temple vol.7が開催されました。そちらで彼岸寺でもおなじみ、日下賢裕さんと、松本紹圭さん、そしてTemple主宰者である、私、小出遥子とで「ほんとうのこと」をテーマとした公開三者ダイアローグを行いました。その様子をレポートいたします。

 

知っているようで知らない「縁」ということばのほんとうの意味について、ぐぐぐっと迫ってみましたよ。本日より3日間連続で更新予定。最後までお楽しみいただけましたらうれしいです!

 

 

 

◆「縁」はそもそも仏教のことば

 

小出:今日は「縁」というテーマで、三者ダイアローグを進めてみたいと思います。

 

松本:「縁」ですか。いいテーマですね。

 

小出:「縁」ということばは、日常生活の中でも、ごくごく普通に使いますよね。「縁を感じて」とか、「ご縁がなくて」とか、当たり前のように言ったり聞いたりします。だけど、これって本来は仏教のことばなんですよね。ということで、まずはこの語の仏教的な解説をお願いしたいのですが......。

 

日下:はい。まあ、いきなり難しい話になってしまうかもしれませんが、「縁」というのは、「空(くう)」という概念と、非常に深く関わっているものなんですね。

 

小出:「空」。

 

日下:「空」というのは、「縁起」の上に成り立っている概念であるという風に言えると思うんです。「私」というのは単独で存在しているわけではなくて、あらゆるものとのつながり、関係性の中にあるんだ、と

 

もう少し専門的な話をすると、「常一主宰(じょういつしゅさい)」ということばがあって。常に変わらず、単独で、自分の思う通りに物事を為すことができるもの、という意味のことばなんですけれど。

 

私たちは、知らず知らずのうちに、「私」というものが単独で存在していて、すべて自分の思い通りに動けるんだっていうのを前提にして生きてしまっているわけですよね。でも、お釈迦さまの思想は、その「当たり前」に揺さぶりをかけてくるんです。「常一主宰なものなんか、ほんとうにあるのかな?」って。それが「空」ということにつながってくるんですね。

 

 

◆巨大なドミノ倒しの連鎖の中で

 

小出:お釈迦さまは、確か、「縁起」を説明される際に、「これある故に彼あり、これ起こる故に彼起こる」みたいなことをおっしゃったんですよね。「これ」があるから「あれ」がある。「これ」がなければ「あれ」もない。つまり、すべては関係性の中で起きているんだ、と。

 

松本:まあ、ドミノみたいなものですかね。

 

小出:ドミノですか?

 

松本:うん。イメージなんですけれど。

 

小出:ぜんぶがつながって起こってくるっていう?

 

松本:いまここで、すべてが連鎖的に、しかもダイナミックに、常に動いている状態にあるっていう。止まっている状態っていうのはないわけです。

 

先ほど「常一主宰」ということばが出ましたけれど、僕たちって、変わらない「私」というものが存在しているという思い込みの中で日々を生きていますよね。でも、ほんとうはそうじゃないんだよな、っていうことは、僕も一応お坊さんですし、仏教に親しんでいるわけですから、理解はできているというか、腹落ちはしているんです。

 

それでも、それこそいろんな縁によって、いまの状態というのも刻一刻と変わっていくわけで。そうなると、結局、日常の大半において、「私」というものを前提としたままに生きてしまう、っていうようなことも起きてくるんですね。でも、そうかと言って、いざ、じゃあ「私」ってどこにいるの? 指差してみてよ、って言われると、どうもうまく答えられない。ここなのか、それともここなのか。具体的にどこにいるのかって問われたら、よくわからないです、って答えるしかなくて。

 

小出:そうなんですよね。「これが自分です!」って明確に指差せるものなんか、実はどこにもなくて......。

 

 

◆「因」=直接的な原因 「縁」=間接的な原因

 

松本:ちょうど昨日も、あるところで、大学生向けのキャリアデザイン講義で「縁」のお話をしてきて。これからどういう仕事に就くべきかっていうやつですね。まあ、結論としては、そんなの縁次第だから、考えても仕方ないよっていう話をしてしまったんですけれど(笑)

 

小出&日下:(笑)

 

松本:仏教では因果の道理というのを大事にします。すべての結果には、かならず原因があるんだ、と。なにもないところから、いきなり超常現象みたいにポンッとなにかがあらわれるわけじゃなくて、すべてがつながって起こっているんだ、と。それこそドミノじゃないですけれど、これが倒れたから次のが倒れて、また次のが倒れて、そのまた次のが倒れて、その連鎖の結果として、いま、こういう状態があるんだ、っていう。そういう因果の中にあるわけですね。

 

小出:なるほど。まあ、ドミノみたいに単純なやつもあれば、ピタゴラ装置みたいに、一見してもっと複雑なやつもあるかもしれない。でも、どのみち、すべて、なにかしらの連鎖の中にあるっていうことですね。

 

松本:そうですね。それで、因果の原因の部分には大きく分けて二種類あるんですね。直接的な原因と、間接的な原因と。その直接的な原因を、仏教では「因」と呼びます。たとえば、土に種をまいて水をやれば芽が出ますよね。芽が出たのは、水があったり、肥料があったり、光があったり、そういったことのおかげですよね。そういうのは直接的でわかりやすい原因です。

 

それと同時に、間接的な原因っていうのもかならずあるわけで。たとえば、種をまいて水をやったけれど、ざんねんながら芽が出ないこともありますよね。うまくいったのと同じ条件で育てても、どういうわけかそういうことになってしまうものもある。っていうことは、なにか、自分ではわからないような、間接的な原因が作用してそうなっているんだろう、と。そういう間接的な原因を、「縁」と呼んでもいいかと思います

 

 

◆「因」→「果」ではなく、「果」→「因」

 

松本:よく考えてみると、身の回りにはわからないことだらけです。わからないことしかない、と言えるくらい。つまり、自分を取り巻くあらゆるものが縁なんですよね。たとえば、今日みなさんがこのイベントに来ることができたのはどうしてでしょう? って、いま、僕が問いかけたとしますよね。するといくつか答えが挙がってくるでしょう。たまたまTempleの情報を友達に教えてもらったからとか、残業せずにすんだからとか、ほかにも、電車が時間通りに動いていたからとか、体調が悪くはなかったからとか、まあ、いろんな要因が挙げられると思うんですけれど。でも、これ、結局どこまでいっても、ぜんぶを言い尽くすことなんかできないと思うんですよね。

 

小出:辿り尽くせないですよね。

 

松本:そう。つまり、絶対にわからないような「縁」の中に、いまここの「私」はあるんだ、っていうことですよね。でも、それは別に超常現象でもなんでもなくて。よくよくこの「私」の成り立ちを観察してみたら、実はすべてとつながっているんだっていう。

 

小出:なるほど......。ご解説ありがとうございます。ただ、ひとつ確認なんですけれど、「因縁」とか「因果」とかっていうのは、あくまで、いまここにあるものから辿っていったときに見えてくるものだということですよね? だから、たとえば、さっきの「今日このイベントに来ることができたのはどうしてでしょう?」という問いかけに対する答えっていうのは、いまここで現に起こっていることを説明しようとしたときに、はじめて出てくる話というか。つまり「いまこれをしました。だから未来はこうなります」みたいな話とは違うんだ、ということでよろしいでしょうか。

 

松本:うん。だって種をまいて水をやっても出ない芽もあるわけで。

 

日下:因果の「果」の方から見ていくということですね。種を植えて、花が咲くのもひとつの結果だし、咲かないっていうのもひとつの結果。結局、そこから原因を辿っていくしかない。

 

小出:「因」→「果」じゃなくて、「果」→「因」なんですね

 

松本:そうそう。

 

 

 

2回目に続きます!)

 

 

 

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Templeって?

 

 

Temple‐テンプル‐は、お寺が舞台のまったくあたらしいワークショップです。

主役は「仏教」や「お坊さん」ではなく、私たちひとりひとり。

ありがたいお話を聴くだけで終わりにせず、自分自身や、縁ある人々との対話を通して、それぞれが「ほんとう」に触れ、"自由"(=あらゆる依存から解放され、自分自身の足で立つこと)を生きるためのきっかけを見つけていく――

そんな場を目指しています。

 

Templeの柱はこの3本。

 

Reflection(リフレクション)

・・・自分の中にある「ほんとうのいのり」「ほんとうのねがい」に向き合う時間

Wisdom(ウィズダム)

・・・先人たちの遺した「ほんとうのことば」と触れ合う時間

Dialogue(ダイアローグ)

・・・ひとりひとりの思う「ほんとうのこと」を語り合う時間

 

うつろいゆく無常の世にあっての、たったひとつの流されない部分、消費されない部分、すべての軸となるべき不動の部分=「ほんとうのこと」を、仏教をはじめとする偉大な知恵(智慧)の数々にヒントをもらいながら探っていきましょう。

 

探究先は、自分自身です。

 

 

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小出遥子 (こいで ようこ)
>>プロフィールを読む 1984年生まれ。新潟県出身。早稲田大学第一文学部日本文学専修卒業。編集プロダクション、美術系専門図書館勤務を経て、現在はフリーランスの編集者・文筆家として、仏教系テキストを中心とした編集・執筆活動を行っている。 いのちからはじまる対話の場「Temple」主宰。http://temple-web.net/