「栄福寺の対話vol.1」に行ってきました

「栄福寺の対話vol.1」に行ってきました


2017年1月26日、白川密成さんが企画・主催する「栄福寺の対話」の記念すべき第一回に参加するために、愛媛県・今治をたずねた(今城良瑞さんのお声がけで、林孝瑞さんの車にお世話になりました。感謝です◎)。

この日はよく晴れて、まるで春先みたいな陽気。お寺の縁側にあがると足の裏にもぬくもりが感じられたくらいだった。


栄福寺は、四国八十八ヶ所霊場 第五十七番札所のお寺。ご住職の密成さんは、映画にもなった『ボクは坊さん。』(ミシマ社)の著者としても知られている。空海さんの教えを真摯に深める一方で、ポップに仏教を伝えようとするお坊さん。


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栄福寺のWebサイトのトップページには「山歌う 仏教をやってみよう。SING ALONG BUDDHA, DANCE WITH KUKAI」と書いてある。こんなこと、すがすがしく言い切れるお坊さんは、やっぱりなかなかいないと思う。

昨年12月に、密成さんから「栄福寺の対話」のお知らせをいただいたとき、「おお、ついに山が歌いはじめるのか!」とワクワクして、直観的に「ぜひ!」とお返事してしまった。
 

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「栄福寺の対話」のチラシ、すごくいい感じ。裏がえして見ると、密成さんのメッセージがあった。


「山や畑、動物たちに囲まれ、年間数万人のお遍路さんを、平安時代に作られた仏像群が毎日見つめる、この栄福寺。僕たちにとっては、あたりまえのこの場所だけど、この地だからこそ生まれてくる『大切な対話』があるんじゃないか」


今、あらためて思う。山や畑、動物たちに囲まれて、平安時代の昔からずっと数えきれないほど多くのお遍路さん、お参りの人、お坊さんたちを見守ってきた仏さまに見つめられてあの場があったんだな、と。

場をひらくとき、そこで「何をするのか」だけではなくて、「どこでするのか」という場所性も、実はすごく大事だと思う。言葉にはされていなくても、意識できていなくても、絶対に何か感じ取っているものだと思うから。




独立研究者の森田真生さんと禅僧の藤田一照さん、それぞれのお話の内容はここでは書かないけれど、
対話のなかでとくに印象に残ったふたつのことを書きとめておきたい。

ひとつは、森田さんがおっしゃっていた「出発点としてのさとり」というお話。
さとりというと修行を積んだうえでの「到達点」だと考えられがちだ。けど、「存在しているという奇跡に目覚め、進行中の世界とひとつだと気づいて安心する」という、そこに至る第一歩のところならもっと平たく共有できるんじゃないか、と。

鎌倉仏教の時代の庶民は、今のように本を読んだり、言葉で内面を語ったりはしなかったはず。その当時において、たとえば、法然さんが広められた専修念仏は「出発点としてのさとり」を示したものだったのかもしれない。だとすれば、今のこの時代において、どんな方法で「出発点としてのさとり」を共有できるんだろう?という問いを立てられたら、すごく面白そう。


もうひとつは、終了ちかい時間になって「即身成仏」の話題が出たとき。
何人かの真言宗のお坊さんが、「私の考えでは」「私の理解では」という前置きをしたうえで、ご自身をひらいて話してくださっていて。その姿を見ているのがとてもうれしかった。

宗派の研修会などだと、お坊さんたちはあまり「私の考え」や「私の理解」を話してくださらない。たぶん、お坊さんには、私たちが想像する以上に「間違ってはいけない」「正しい教えを説かねばならない」という責任感とプレッシャーが、あるのだと思う。

それはとても尊いことなのだけれど、実際のところ、娑婆にいる私たちが聞きたいのは、目の前にいるお坊さんその人の言葉で語られる仏教だったりもする。そして、あたらしい仏教を伝える言葉も、一人ひとりのお坊さんの言葉のなかから生まれてくるのではないだろうか。


あの日、栄福寺でお坊さんの言葉がひらかれたのは、森田さんや藤田さんと「話してみたい」という気持ちが、そして場をまもる密成さんへの安心感が満ちていたからなんじゃないかな、と私は思う。

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帰りは、ずっと乗ってみたかった「オレンジフェリー」で夜の瀬戸内海を渡りました。次の「栄福寺の対話」にかこつけて、また今治を訪ねたいなあ。




杉本恭子 (すぎもと きょうこ)
>>プロフィールを読む 大阪生まれ東京経由京都在住のライター。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。お寺取材を経験するうちに「お坊さん」に興味を持ちインタビューを始める。