仏教は誰にとっても「自分ごと」。小粒でピリリなブディスト・小出遥子さんの「これが私のホトケ道」(後編)

仏教は誰にとっても「自分ごと」。小粒でピリリなブディスト・小出遥子さんの「これが私のホトケ道」(後編)

彼岸寺で『ひらけ!さとり!』を連載中の小出遥子さんインタビュー後編です。 

「お坊さんをインタビューしている」という共通点はあるけれども、「お坊さんを応援したい」「お寺の可能性を広げたい」ということをメインテーマに置く私に比べると、小出さんのインタビューは「求道色が強い」感じがしていました。 その違いがどこから来るのか、お話を伺って深く納得した次第です。 

後編では、「なぜ、小出さんは求道的インタビューをしているのだろう?」という問いに、まっすぐに応えていただきました。スリリングな展開、どうぞお見逃しなく!(前編はこちら


「ほんとうのこと」をダイレクトに体験する


――京都のお寺での体験から数年が経ってますが、その「世界と薄皮一枚で隔てられている」という分離感は解消されつつあるのでしょうか。
その体験の後、いろんな試練が同時多発的に私の身に降り掛かってきた時期があったんです。そのとき、「こんなにもダメージを受ける"自分"って、いったい何なんだ?」ともう一度深く潜り込まざるを得なくなりました。

それで、一層本格的に仏教書を読み始めたり、瞑想や呼吸法を試してみたり、念仏をとなえてみたり......。今も昔も特定の宗派には属していないのですが、さまざまな仏教のコンテンツを使って、自分なりに懸命に「苦」からの脱出方法を模索し出しました。 

そんななか、2013年の初夏に、ある種の宗教体験のようなことが起きました。ある晩、自分の部屋にいたときに、突然呼吸困難に陥ってしまったんですね。まあ直接的にはカフェインとアルコールの作用だったんですけれど、もう、ぜんぜんうまく呼吸ができなくて、動悸も冷汗も止まらなくて......。その苦しみのなかで、「生きる事」に対する不安が次から次へと押し寄せて、いきなりピークに達してしまったんです。

息も絶え絶えになりながら、ふと「そんなに苦しいなら自分を殺してみようか」という考えが浮かんできました。生きる事が怖いというのはつまり、死ぬ事が怖いということだったんですよね。だから、いっそ「自分は死んだ」ということにして、棺に横たわる自分の死に顔をすごいリアルに想像してみたんです。

――「今、自分は死んでしまっているんだ」とリアルに想像したんですね。
はい。すると、どういうわけだか、その瞬間に「この横たわっている肉体だけが自分じゃない」ということが、理屈を超えたところからポンと入ってきたんです。その時にはもう、聞こえてくる音のすべてがあまりにも親密なものとして聞こえていたというか......私とすべてがひとつだった。何ひとつ私じゃないものがなかったんです。

窓の外から聞こえる人の声や車の音、隣の部屋で歌う妹の声、何ひとつ自分じゃないものはなくて......。「命ってこういうことだったんだ」とわかったんですね。「肉体が無くなったところで、命そのものは消えないんだ」「これまでもこれからも、ずっとここにあり続けるんだ」って。そしたらもう、生きていく恐怖や謎の分離感というのは、それ以降、ほとんど消えてしまったんです。


そして、求道インタビューin彼岸寺

 
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――だんだん、小出さんに対して『ひらけ!さとり!』インタビューをしているような気持ちになってきました。じゃあ、その体験の約1年半後に、彼岸寺にご連絡をくださったんですね。
はい。2014年の秋でした。ハフィントンポストの編集さんとお話していたときに「一番書いてみたい媒体は?」と聞かれて、瞬間的に、「やっぱり、彼岸寺ですかね」と。「一度連絡してみたらどうですか?」と言われて、その一週間後にはもうメールを送っていました。

――実は、読ませていただきました。5000字くらいの熱い思いを綴ったメールでしたね。
恥ずかしいです!彼岸寺に連絡しようと思った瞬間、やりたいことがぶわっと浮かんできたんです。潜在的にはもっと前からあったんだと思うんですけれどね。仏教は、本来、僧俗の別なく、すべての人に関係あること、もっと言えば「命」のことを語っているのだから、在家の人も、もっと自由に仏教に関われたら、仏教が指し示している内容を、もっとナチュラルに、身体まるごとで生きられるんじゃないかと思っていて。

仏教ブームとか、仏像ブームとか言っても、みんな、実際あまり仏教を"自分ごと"として捉えていないような印象があったんですよね。「仏教はお坊さんのもの」「修行した人にしかわからないもの」と思われているみたいだと感じていましたから。

――もっとカジュアルに、お坊さんではない人たちも仏教をやってみたらいいんじゃないか、と。
はい。それなら、私が「ふつうの人」代表として、先陣を切って遠慮なくやらせてもらおうかな、と思いました。その中で「仏教って、もしかしたらこういうことを言っているんじゃないですか?」とぶつけてみる。そうしたら、お坊さんたちはきっと「そうだよ」とか、「ちょっと違うね」とか、とにかく、なにかしらの反応を返してくださるだろう。そうやって僧俗が手をつないだ先に、なにか面白いものが生まれてくるんじゃないかなって。

――『ひらけ!さとり!』は、その思いが結実した企画のひとつなんですね。
はい。『ひらけ!さとり!』では、仏教の真ん中にあるものをお坊さんにダイレクトに語ってもらって、それを彼岸寺に載せることで「そうか、仏教って自分に関わることを言っていたのか」と読者の方に思ってもらえたら、と。そうなったら、あとは、ご自身のご縁を辿っていただくだけなので、それぞれの道は自ずと開けていくのではと思っています。

――彼岸寺に参加する前から親しいお坊さんはいらっしゃいましたか。
日常的に親しくお話しするような方は全然いなかったですね。それこそ、彼岸寺の記事や、杉本さんの「坊主めくり」を読んで、「面白いお坊さんがいっぱいいるんだなあ」と思ったり。あとは、お坊さんが書いた本を熱心に読んだりはしていましたけれども。

――じゃあ、最初に親しくなったお坊さんは松本紹圭さん?
そうです。彼岸寺へのメールのお返事も松本さんからいただいて。いざお会いしたときには、初対面にもかかわらず、今言ったようなことを全部全力でしゃべりまくりました(笑)。それ以来、松本さんは私のことを誰かに紹介するたびに「仏教をお坊さんの手から取り戻そうとしている小出さんです」って。まるで、私がすごいパンクな人みたいに言うんです(笑)。

でも、私は別にとんがったことを言うつもりは全然ないんですよ。ただ在家側の仏教に対する遠慮を取り払いたいと思っているだけなんです。


誰もが遠慮なく仏教の真ん中を生きていい


temple7.jpeg神谷町・光明寺での「Temple」のようす。左から松本紹圭さん、小出さん、彼岸寺編集長・日下賢裕さん。

――なるほど。「在家側の遠慮を取り払いたい」ということが、「Temple」などの活動にもつながっているわけですね。
はい。みんながごくごく自然に仏教などで語られている知恵(智慧)をヒントを生きていって、そのことを仲間と一緒にフィードバックできるような場がもっとたくさんあればいいと思っています。私自身、そういう仲間や場を切実に求めていましたから。

お寺という場所なら、そういうことを話しやすいだろうと思って「Temple」という対話の集いを主宰しているのですが、特にゴールを設定しているわけではないんです。ふつうに生きていく中でも、仏教の真ん中にあるものに対する気づきは与えられる。その気づきを持ち寄って、みんなでざっくばらんに語り合って、そこをベースキャンプにして、「人生がんばろうね」「命を力強く生きていこうね」みたいな。いろんなお寺が、いつでもそういう話ができる場所になれば面白いなあと考えています。

――私も一度、Templeに参加してみたいです。今日は、ありがとうございました!

(インタビュー終わり)

これからも『ひらけ!さとり!』を始めとして、小出さんの全力仏教コンテンツ(!)は彼岸寺やそのほかの媒体で発表されていくと思います。ぜひ、小出さんのアツい求道熱をいろんな場所で感じてください!今後の小出さんの活動予定などWebサイトでご確認を。この続きのインタビューは、またいずれ。今度はさらに濃くお話を伺いたいと思います。


小出遥子Webサイト


杉本恭子 (すぎもと きょうこ)
>>プロフィールを読む 大阪生まれ東京経由京都在住のライター。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。お寺取材を経験するうちに「お坊さん」に興味を持ちインタビューを始める。