「ひらけ!さとり!」書籍化記念、小出遥子さんインタビュー(後編)

「ひらけ!さとり!」書籍化記念、小出遥子さんインタビュー(後編)

11月18日に発売が決まった『教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか』は、『彼岸寺』の連載『ひらけ!さとり! お坊さんに訊く『ほんとう』のこと』を書籍化したもの。小出遥子さんの、記念すべき一冊目の書籍になります。

インタビュー後編では、「さとりたくてやっていたわけじゃない」と言いながらも、「さとりとは何か?」への正解を求めつづけた小出さんが、6人目のお坊さん・釈徹宗さんに「思い込みを吹き飛ばされた」後のお話からはじまります!

前編から読んだほうが絶対に面白いので、まだの方はぜひ「ひらけ!さとり!」書籍化記念、小出遥子さんインタビュー(前編)からどうぞ。


「さとり」から「いのち」の3文字へ


――「ひらけ!さとり!」を終えて、小出遥子さんはこの先どこに向かっていくのでしょう?

私のなかの「さとり」の世界を言葉できっちり理解したい!という気持ちが休まってしまったので、もう「さとり」という3文字をテーマにした活動は、しばらくの間はいいかな、と思っています。まあ、ご縁次第で、またいつ探求心に火がつくかはわからないですけれど、その時はその時で(笑)。

この先どこに向かっていくか?そうですね......。「さとりってなんですか?」という切り口で、6人のすばらしいお坊さんたちにお話をお伺いして最終的に見えてきたのは「いのち」というものだったんですね。「いのち」というのは、もちろん、私たち個人の、個別のこのいのちも含まれるけれど、個人を越えたところにある全体のダイナミズムというか、すべてを成り立たせている大元のエネルギーというか......。うーん、やっぱり、「いのち」としか言えないもの。「わたしがいのちを生きている」ではなくて、「いのちがわたしを生きている」の「いのち」と言ったらいいかな......。

――なぜ「さとり」を切り口にして「いのち」へと至ったのか、もう少し詳しく聞かせていただけますか?

「さとり」という言葉が指している世界は、言葉以前にただある「これ」のこと。言葉以前というのは、つまり、個人以前ということですけれど、そこに展開するただの「これ」。ほんとうに、ただ「これ」であり、しかも「全部」としか呼べないものだったので......。うーん、うまく言葉にできないな。言葉以前のものなので......。

――仏法そのもの、でしょうか?

うん、仏法そのものとも言えると思います。「全部」だから。「さとり」の世界も、決して個人が得るものではなく、個人の意識以前にある「これ」「全部」としか呼べないものなので......。

というかね、「さとりってなんですか?」という質問自体が、はっきり言って間違いだったんですよね。そもそも個人が答えられるような問いじゃなかった、ということです。問いの立て方自体にエラーがあった。でも、その間違った問いを、そのまま本のタイトルにもしちゃったんですけれどね(笑)。(※彼岸寺での連載は『ひらけ!さとり!』でしたが、書籍化にあたってタイトルを『教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか』に変更しました。)

「さとりを明確に定義したい!」という一心で求めていった先に広がっていたのは、結局、ただの「これ」としか呼べないものだった。それで、その「ただのこれ全部」「どれでもなくて、かつすべてとして満ち満ちているこれ」を、仮に「いのち」と呼んでみよう、と。「さとり」と言うと、そこにまだどうしても個人の影がチラついてしまうけれど、「いのち」と呼べば、それはもう、個人を超えて、ただ「ある」ものになるじゃないですか。それがいいなあ、って。よし、これからは「さとり」推しじゃなくて、「いのち」推しでいこう、と(笑)。

――あえて、「仏法」や「ダルマ」、あるいは「縁起」や「空」などとは呼ばずに。

うん、もちろん、そう呼んでもまったく問題はないんですよ。仏教の文脈のなかでだったら。でも、他の宗教では他の言葉を使うでしょう。キリスト教なら「神の愛」というかもしれないし、宗教以外でも、ほら、遺伝子工学のとある有名な先生は、それを「サムシング・グレート」と呼んでいるというお話を聞いたこともあるし......。絶対に名付けられない、すべての大元のエネルギーとしての「いのち」は、文脈によっていろんな言葉を与えられていると思うんです。

それで、この「いのち」って、この世に生きる誰にとっても、どの角度からも「自分ごと」なんですよ。「いのち」と切り離されて生きている人は絶対にいないので。だから、「いのち」を真ん中に置いてしまえば、誰もが平等に語り合えるのではないか、と。その「平等さ」「フラットさ」って、実は大変な可能性を秘めていると思っていて。開かれた対話の場こそが、これからの世界を創造していく上でのベースになっていくんじゃないかな、と強く感じるんです。それならば、もう、ダイレクトに「いのち」をテーマとした対話を、誰もがざっくばらんにたのしめるような場をつくってしまおう、と。それを「Temple」というプロジェクトのメインテーマとしてやっていきたいなと思っています。


「Temple」プロジェクトで全国のお寺へ!


――神谷町・光明寺で開いていた「Temple」ですね。「いのち」というと「生命」という意味合いで捉える人も多いと思います。「Temple」では、いま説明されたような定義は事前に共有するんですか?

いいえ、あえてそういうことはしません。そもそもここで言う「いのち」は、言葉で厳密に定義できるようなものじゃないですしね(笑)。ただ、今後の「Temple」では、ゲストと私が、事前に「いのち」を巡って対話をした内容をそのまま記事にして、「Temple」のWebサイトにアップすることにしました。参加者には、その記事を読んでからイベントにお越しいただくようにします。そうすることによって、ある程度、足並みを揃えることができるので。でも、あくまで参加者同士の対話の内容については指定せず、ご自由に、ご縁にしたがって、自然に湧きあがってくるものをたのしんでください、という風にお伝えしています。


――「さとり」を言葉で追い詰めていこうとして、言葉にしないことにくつろぐ境地に至って、でもまた「Temple」で「いのち」について語り合う、つまりは言葉にしようとする。小出さんの往還をとても興味深く思います。しかし、言葉で捉えるようとする限り、囚われることもまた起きるのではないでしょうか。

そうですね。「個人」が「個人の言葉」を使って「個人のストーリー」を語ると、当然、そうなってしまうと思うんですよ。私の場合で言えば、「小出遥子」が「小出遥子の言葉」を使って「小出遥子のストーリー」を語ると、やっぱり、言葉に囚われるというようなことが起きてくる。でも、なにものでもないものとして語れば、言葉に囚われる誰かもあらわれようがないんですよね。そこを「Temple」ではやっていきたいんです。ただただ、本来自分はなにものでもないものだし、なにものでもない「いのち」そのものだったということを思い出していく場として、「Temple」を位置づけたいというか。

だから、「Temple」は対話をメインにしたイベントですけれど、あえて参加者同士の自己紹介の時間は設けません。お寺の本堂って、仏さまのお家ですよね。人間誰しも、仏さまの前では平等です。本堂に一歩足を踏み入れたら、娑婆での役割も肩書きも全部脱ぎ捨ててもらって、なにものでもないもの同士、「いのち」を真ん中に置いて、ご縁にしたがっておのずから起きてくる対話を、結論も、納得感も求めず、ただただくつろいでたのしんでもらえるような場づくりをしていこうと思っています。だから「Temple」というのは、「いのち」のなんたるかを探っていく場ではなくて、ただただ「いのち」のあらわれ、その戯れをたのしむ場、と言えるかもしれないですね。

――ちょっと坐禅に似ているのかな? 今、この瞬間に起きてくることを、娑婆から少し距離を置いて、ひとりで、共に、いのちのいとなみだけを見つめる時間を持ちましょう、ダイアローグでやりましょうという感じでしょうか。

そっか、そうですね!まさしく、坐禅のようなものなのかもしれない。娑婆での役割を全部脱ぎ捨てたうえで、そこで、もうただ、起きては消えていく「それ」を見つめていく行というか、いとなみですよね。結果を求めず、ただただ「今ここ」にくつろいで、「いのち」とともにあるというシンプルないとなみ。それ自体を「Temple」と呼んでもいいのかもしれない。

――本の出版後の予定は決まっていますか?

9月23日に「Temple」のWebを立ち上げました。このWebサイトを拠点にして「Temple」を全国の縁あるお寺でどんどん開催させていただきたいと思っています。いずれは、わざわざイベントというかたちを取らなくても、ご縁にしたがって集まった人たちが、なにものでもないもの同士、誰のものでもない「いのち」の対話を、日常的にたのしめるような場として、日本全国のお寺が、ひいては世界中の宗教施設が開かれていったら、ほんとうに、ものすごく素敵だなあ、と......。そんな未来を密かに夢見つつ、精力的に活動を展開していく予定です。みなさんも、ご縁があれば、ぜひ、お気軽に「Temple」に遊びにいらしてくださいね。お目にかかれる日をたのしみにしています!

――ぜひ、関西にも来て下さい。ありがとうございました!




<書籍情報>

 教えて、お坊さん! 「さとり」ってなんですか
 KADOKAWA刊/1512円/2016年11月18日発売
 小出遥子著


「これを読んだらさとれます!というようなタイプの本では、残念ながらありません。でも、さとりに関しての大切なお話がぎゅぎゅっと詰まっています。ぜひ、ご一読を」

『彼岸寺』で連載した『ひらけ! さとり!』がついに書籍化!小出遥子さんが、仏教の神髄ともいえる「さとり」について、6名の賢僧に学んだ珠玉の対話集です。


第1章:「つながり」をたのしんで生きること(藤田一照さん・曹洞宗国際センター所長)
第2章:夢であると気づいた上で夢を生きること(横田南嶺さん・臨済宗円覚寺派管長)
第3章:「いま」という安らぎの中に生きること(小池龍之介さん・月読寺住職)
第4章:自分をまるごと受けいれて生きること--泥仏人生(堀澤祖門さん・三千院門主)
第5章:死では終わらない物語を生きること(釈徹宗さん・如来寺住職、相愛大学教授)
第6章:「ほんとうのいのち」に従って生きること(大峯顯さん・専立寺前住職、大阪大学名誉教授)



杉本恭子 (すぎもと きょうこ)
>>プロフィールを読む 大阪生まれ東京経由京都在住のライター。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。お寺取材を経験するうちに「お坊さん」に興味を持ちインタビューを始める。