『仏壇』はこうして作られた!? 新潮社新書編集部 金寿煥さんインタビュー(2/2)

『仏壇』はこうして作られた!? 新潮社新書編集部 金寿煥さんインタビュー(2/2)
新潮社の"仏壇編集者"金寿煥さんインタビュー後編。「二度とやりたくない」とまで思っていた坐禅体験修行の取材で訪れた永平寺で南直哉さんに出会った金さんは、南さんを通して仏教に興味を抱きはじめることになったという。自らが手がける仏教書への思い、そして個人としての仏教に対する思いについて、じっくり聴かせていただいた(前編はこちら)。

"仏壇編集者"への3つのステップ


金さんは「編集者には基本的には専門性はいらないと思う。この人はスゴイと思った人に、専門のものを書いてもらいたい」という。仏教の本を作りはじめたのも、たまたま南直哉さんという強烈なお坊さんに出会ったことがきっかけだった。しかし、仏縁とはあなどりがたいもの。一度仏さまからお呼びがかかると、なかなか手放してはもらえない。金さんは、いつしか順調に(?)、"仏壇編集者"への道を歩みはじめていたのだった。

――南さんとの出会いは、仏教との出会いでもあったんですね。

そうですね。南さんと出会ったことで「仏教って面白いかもしれない」と思いはじめて。ちょうど上田紀行さんの『がんばれ仏教(NHK出版2004)』が刊行された頃でもあって、そこでは新しい取り組みをされているお坊さんやお寺が紹介されていました。「仏教ブーム」なんて言葉もメディアに踊っていた頃です。それで、『考える人』2005年冬号で「考える仏教」という特集を組んだのです。大阪・應典院の秋田光彦さんにはじめてお会いしたのも、このときの取材でした。この特集は、自分の仕事としても大きくて。特集の企画・編集をほとんどひとりでやったから、すごい達成感がありました。

――社会人6年目に大きな仕事をやりきったという意味でも感慨深かったでしょうね。


ええ。我ながら「なかなかいいのができたなあ」と思ったし、それでますますっていうのもありますよね。もうひとつこの特集で、当時東大にいらした仏教学者の末木文美士さんにインタビューしたんです。末木さんは、2004年に『明治思想家論』『近代日本と仏教』(トランスビュー)の二冊を刊行され、ともに近代以降の日本仏教について触れているのですが、それを読んで衝撃を受けたんです。それまで明治以降の仏教なんて全然知らなかったから。

――鎌倉仏教のムーブメントのことは知っていても、近代以降のことはあまり知られていませんよね。

そうそう。教科書的には、「明治の廃仏毀釈で日本の仏教はダメになった」というのがステレオタイプなイメージじゃないですか? ところが、明治初期の廃仏毀釈から昭和期になるまでの間、日本仏教に魅力的な人物が多くいたことを知ったのです。宗教の枠を超えて、「思想として、いい線までいった」という末木さんの言葉がものすごく印象的で。

それまでぼんやりしていた仏教に対する興味にふくらみが出て、立体的になった。末木さんのおかげで、日本仏教は思想としても歴史の遺物ではなく、「現代まで線が引けるんだ」ということを知ることができ、「これは本格的に面白いな」と思いはじめました。南さんとの出会いが「ホップ」だとしたら、ここが「ステップ」かもしれません。

――ついに主体的に仏教に興味を持ちはじめられたんですね。では「ジャンプ」はどこに?


ならばもっと今の日本にもっと面白いお坊さんがいるんじゃないかと、積極的にアンテナを張るようになったことですかね。その結果、釈さんやネルケ無方さん、勝本華蓮さんなどに出会うことができた。それが「ジャンプ」かも。それと2011年が、法然上人800回忌、親鸞聖人750回忌の"大遠忌イヤー"だったのが大きい。浄土仏教のお坊さんである釈さんや秋田さんに「金さん、2011年は仏教が盛り上がりますよ!」とまんまと乗せられて(笑)。

それを真に受けて、「2011年は"仏教まつり″だ!」とばかりに、新潮新書からネルケ無方さん『迷える者の禅修行 ドイツ人住職が見た日本仏教』、秋田光彦さん『葬式をしない寺 大阪・應典院の挑戦』、みうらじゅんさん『マイ仏教』、釈徹宗さん『法然親鸞一遍』の4冊、そして『考える人』でもう1度「考える仏教 『仏壇』から遠く離れて」を特集したのです。新潮新書という1レーベルから、1年でこんなに仏教の本が出るなんてあきらかにどうかしてる(笑)。正直、社内では「いい加減にしろ!」と思われているかもしれませんが。


仏教へのハードルを下げる本を作りたい


金さんがこれまでに手掛けた仏教関連書籍は20冊あまり。そのうち、8~9割が増刷を重ねているという。売れるからこそ社内で企画が通るのだ。金さんも「次はどんな方向から仏教の本を作ろうか?」と楽しんでいるように見える。広く売れるテーマで仏教の本を世に送り出す、金さんの優れた編集センスが"仏壇"を盛り上げているように思う。

――仏教の本を作るときに、意識していることはありますか?

新書の場合、初版部数は1万部以上ですから、どうしても専門的な内容になり過ぎては成立しない。「"読んで面白い本″のテーマが、たまたま仏教だった」というのが理想です。その結果、仏教に対するハードルが下がればうれしい。だからあまり「仏教書」を編集しているという意識はないんです。仏教のコアなファンやお坊さんからすると、「ぬるい」と思われているかもしれないけれども、専門書を作る出版社は他にちゃんとありますから。自分にできることは何かを考えると、「もっと面白く」を追求することで、そうするとどんどんエクストリームな方向にいっちゃう(笑)。

――いちばんエクストリームだと思われる本はどれですか?


やっぱり『マイ仏教』でしょう。僕は、みうらじゅんさんが大好きだったので、なんとか一緒にお仕事したいと、そのチャンスをずっとうかがっていました。ただ、漫然と「本を出したい」とお願いしても相手にされないと思ったので、ダメ元で「仏教の本を」とお願いしたんです。仏像じゃなくて仏教の本を、と。みうらさんが、最近よく飲み屋で友だちや後輩相手に説教していることを聞きつけると、「あの人は説法したがっているに違いない」って思ってたぐらい(笑)。「ぜひみうらさんの初転法輪を!」って、気分は「梵天勧請」ですよ(笑)。今考えると完全にどうかしています。でも、幸いみうらさんも面白がってくれて、本当にありがたかったです。

――なんだかんだ言って、今では「仏教推し」という気持ちはあるのでは?

当然、そういう気持ちはありますよね。文化や美術としての仏像や寺には興味があるけど、宗教としての仏教にはちょっと......という人たちも多いと思うんです。そういう人たちに、「もうひとつ先まで行くと面白いよ」「このへんから入ってみてもいいんじゃない?」というつもりで本を作っています。

今の日本に、山奥で修行しているドイツ人のお坊さん、居場所を探し続けている尼さん、そして恐山みたいな世界があることを知るのは面白いと思うんです。また、日本の歴史や思想というのも、仏教抜きでは考えられません。池上彰さんが『池上彰と考える、仏教って何ですか?(飛鳥新社2012)』の帯で「仏教を知ることは日本を知ることです」と書いていましたが、その通りだと思います。


僕が作る本は日本仏教の"氷山の一角"


金さんが仏教の本を作りはじめてもうすぐ10年。原稿を読み、仏教関連の本を読み、プライベートでもお寺を巡ることが多くなったという。編集者として、個人として、仏教に対して今はどんな思いを持っているのだろうか?

――震災以降は特に「仏教ブーム」と言われているようですが、どう見ておられますか?

震災がきっかけになったかどうかというのは、正直わからないですね。でも、なんとなく盛り上がっている感じはあるんじゃないですか。その盛り上がりと、ここにきて日本がいろんな局面で行き詰っていることも、どこかでリンクしているかもしれません。"仏壇"と名づけたのは偶然ではなくて、それだけ問題意識や新しいことに取り組もうとしているお坊さんが多くいるということ。彼岸寺もそうしたムーブメントのひとつでしょう。日本仏教は、「葬式仏教」と批判されるような危機的状況にあるだけではなくて、もっともっと面白いことができるはずだと思っています。

僕の弱点は、「ダメなお坊さん」に会ったことがないこと。これまでお会いしたお坊さんは「ものを書く」ぐらいだから、みなさん批判精神もあって教養もある。みなさん立派なお坊さんです。よく「お坊さんが堕落している」と言われますけど、自分にとってそれはむしろバーチャルな世界。だから、一度でいいから「高い戒名料を徴収して、ベンツを乗り回す」お坊さんに会ってみたい(笑)。その人を見て、「ふざけんな!」と感じれば、それが次のモチベーションになりますからね。

――たしかに。金さんが出会っておられるのは、すばらしすぎるお坊さんばかりですね。

同時に「本で読める"日本仏教″というのは、氷山の一角だ」という認識もあるんです。本を書くことはないけれども、地方でお檀家さんとうまくやっているお坊さんたちのほうが日本仏教のボディだと思うんですね。"信仰″と"論″はやっぱり全然違う。梅原猛さんと円空仏を訪ねる取材をしたときにそう思ったんです。円空仏は、お世辞にもきれいとは言えない地方のお堂やお寺にあって、それをお檀家さんたちが代々大切に守っている。お檀家さんたちが手を合わせて円空仏を拝んでいる姿を見ると、そっちのほうが日本仏教のボディの部分なんだろうなあと直感することがあって。

「仏教へのハードルを低くする」といっても、それは本を読む人前提の話です。でも、日本仏教はそれだけじゃない。もっとタフで、ぶよぶよして、ぐちゃぐちゃしているけど、ただやさしくてっていう仏教もいっぱいある。それを忘れて思いあがってはいけないなって思うんです。

――日本仏教のボディの部分までを見ようとするのは、編集者としてだけでなく個人としての金さんが仏教に感じておられるものがあるのかなと思います。


自分では、信仰心が強い人間だとは思っていなかったんですけどね。でも、今は「お前の宗教は何だ?」と聞かれたら、はっきり「ブッディストだ」と答えることができるようになりました。もし、10年前にこういう仕事をするようにならなければ、今もそこはブレていたのかもしれません。「ブッディストだと言ってもいいんだ」と思えるのは大きい。お寺でお参りするときも、最近は合わせる手のひっつき具合がぐっと強くなっているのを感じますし。

――これから予定されている仏教の本はまだまだあるのでしょうか?

今年はもう3冊出ていますが、もう一冊、ちょっと実験的なアプローチで、「忙しく働く人向けの仏教入門」を刊行する予定です。来年以降も、できれば2~3冊はつくりたいと思っていますが、飽きていたらどうしよう(笑)。「これからはキリスト教だ!"神壇″を立ち上げるぞ!」とか言って......。

――それはそれで楽しみかも(笑)。ありがとうございました! これからも、金さんの作る本を楽しみにしています。


金寿煥(きむ・すはん)

1976年神奈川県生まれ。99年、新潮社入社。「FOCUS」編集部を経て、2002年から書籍編集部門に。現在は、「新潮新書」編集部に在籍しながら、「考える人」や単行本の編集もてがける。




杉本恭子 (すぎもと きょうこ)
>>プロフィールを読む 大阪生まれ東京経由京都在住のライター。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。お寺取材を経験するうちに「お坊さん」に興味を持ちインタビューを始める。