禅僧が見たヨーロッパ禅の今、フランス摂心レポート(3/3)

禅僧が見たヨーロッパ禅の今、フランス摂心レポート(3/3)
編集部より:天心さんがパリから行う食事作法パフォーマンスのUstream中継が、本日2月5日(日)の23時〜24時に行われます。こちらの中継が今回のイベントでは最後となりますのでぜひお見逃しないように。イベントの詳細は天心さんのブログにて。(構成:松下弓月)


(写真:摂心が行われた会場の様子)

マスターデシマルとヨーロッパ禅


ヨーロッパに禅が伝わったのは今から45年前のこと。1967年に弟子丸泰仙老師が、師匠の沢木興道(さわきこうどう)老師の遺命により、フランスで布教活動を始めたのがきっかけです。


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弟子丸老師に学んだ人たちがヨーロッパ各地にその教えを持ち帰ったものが現在のヨーロッパ禅を形作っています。ですから、彼らが最も崇拝するのは道元禅師よりお釈迦様よりも「マスターデシマル」です。弟子丸老師は初めて「禅」の講義に呼ばれた際、いきなり机上で坐禅をして見せ、指導する場合も「黙って坐れ」と言わんばかりにまずは坐禅をさせるような方だったそうです。


(写真:屋外での経行)


独特のバイタリティとユーモアを交えた彼の教えは「五月革命」直後で混乱の真っ只中にあったフランス人の心を打ちました。もともと仏教思想の地盤がない彼らに「禅」の精神を教えるのは非常に困難だったことでしょう。できるだけ「本来の意味を歪ませない様に」かつ「理解しやすい方法」を模索しながら伝えた弟子丸流の教えは、日本曹洞宗が厳格に伝えているものよりも、かなり柔軟なものになりました。その流れの延長線にある現在のフランス曹洞宗は、様々な点において独自性をもった展開をしているように見えます。経行を応用した戸外へ出ての散歩なども、私にとっては新鮮な体験でした。


日仏禅のいまと未来


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(写真:夕暮れ時の摂心会場付近の様子)


私は永平寺で修行している頃からヨーロッパの禅に興味がありました。その頃から想像していた通り、彼らには強い「スピリット」があります。もちろん彼らはまだ若い宗教ですから、至らない点もあります。しかし、日本のことを良く知らない人たちが毎週集まって坐禅を続けている。そのことが作法以上の何かを伝えている確固たる証拠だとも思います。


また、この摂心に多くのアーティストが参加していたことにも興味を持ちました。私自身も一人のアーティストであるため、彼らがいつも精神的な冒険や浄化を求めていることを良く知っています。弟子丸老師は知識人たちに講義する一方で、ヒッピーたちにも精力的に坐禅を教えていました。アーティストと坐禅や禅文化を通して交流をはかっていく事は、私なりの使命であると感じます。


しかし、心配な点がないわけでもありません。ひとつは、伝統にヒエラルキーが出来てしまっていることです。摂心中、彼らから「あなたは誰の系統の教えをうけているのか?」とよく聞かれました。 彼らにとっては師匠の「マスターデシマル」の教えを受け継いでいるかどうかが重要で、そのことがある種のステータスになってしまっているようでもありました。


また、フランスでは重視するものの違いで団体が分かれているのですが、相互の交流が少ないことも問題です。フランスでは、日本と関わりが深く法要や作法を重視する禅堂尼苑(ぜんどうにえん)を中心としたグループと、今回参加したような精神性を重視し出来るだけ自由な形を求めるグループのふたつに、大きく分かれています。フィリップ老師は他のサンガとも友好な関係を築くように心掛けているようですが、サンガ同士の交流や情報交換はあまり密には行われておらず、「一度所属したサンガ以外が企画する摂心には参加してはいけない」という暗黙のルールが出来てしまっているようでした。できるだけ両者が良い関係を築いてくれるよう祈ります。


最後に願う事。そして自分自身もそのために力を注ぎ続けようと思う事。それは、日本と海外の仏教もしくは禅がもっと直接的な関わりを持つ事です。


ヨーロッパの禅実践者には一度でいいから日本を訪れて永平寺と総持寺、可能であれば他宗派の修行風景や法要も見聞きして欲しいと思っています。私が見る限り、ヨーロッパの禅には十分考えられないままに簡略化や変更されてしまった作法が多いように感じました。道元禅師が創り上げた禅宗の作法には日本人の美意識と仏教の作法が融合しており、そこには独自の精神性が込められています。 


永平寺では全てに作法が定められていますが、その理由は一切説明してもらえません。それは「良い行為を続けることで自然と良い精神が作られる」という考えに基づいているからです。 作法本来の意味や意義を正しく理解するためには、まずその作法を正確に行えるようにならなくてはなりません。その上で土地の風土や慣習によって適切な変化を加えるのが、最善の方法と考えます。


禅宗の作法は実践することで多くのことを学べる、日本人の宝だと思います。だからこそ、精神性を重視するヨーロッパ禅にもぜひこの禅宗の作法に込められた精神性を知っていただきたいと思うのです。


同様に、日本の僧侶や仏教徒にもヨーロッパ禅を一度体験して欲しいと思います。 私の知るヨーロッパ禅を体験した日本の僧侶はみな感銘を受けていましたが、わたしも実際に体験して、圧倒される程の強いスピリットを彼らが持っていること、また強いスピリットを求めていることに気付きました。なにも知らないまま取るに足らないものとして新しいヨーロッパの仏教を退けることなく、私たち日本仏教のあり方を考え直しすきっかけとして欲しいのです 。


われわれが所属している日本の仏教は、どのようなものに裏付けされて成立しているのか。われわれが日々行っている葬儀や法要や行事は何の為に続けられているのか。われわれ自身を気付かぬうちに救ってくれている「本当の教え」とは何なのか。僧侶だけでなく、私たち日本人の多くはこれらの問いに答えることが出来ません。しかし近い未来、世界の人々が、このような問いを日本人に求める日がきっと来ると思っています。いえ、既に求められています。


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(写真:摂心中の七夕)


星が瞬くフランスの七夕の空を見て思いました。天の川を隔てて分かれてしまった「織姫(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」のように、もとは同胞だった日本とヨーロッパの禅は、今あまりにも遠くに離れ離れになってしまっています。願わくばこの摂心が、良い関係を築くきっかけとなり、この先にもっと大きな交流がもたらされるように。そんな願いを込めながら、空に瞬く星を眺めていました。


FRANCE Paris 風間天心


虚空山彼岸寺 (こくうざん ひがんじ)
>>プロフィールを読む 超宗派仏教徒によるインターネット寺院虚空山彼岸寺です。