高橋卓志師講演会「宗教者よ、変われ!」レポート

高橋卓志師講演会「宗教者よ、変われ!」レポート
2011年6月2日、奈良県宗教者連帯会議の総会が奈良県社会福祉総合センターで開催されました。

奈良県宗教者連帯会議とは、奈良県内の宗教者が宗教・宗派を超えて相互理解と連帯関係を深め、部落差別をはじめとするあらゆる差別をなくすべく活動するために組織された団体です。当日は2010年度の活動報告に続き、記念講演として高橋卓志さんが登壇されました。

お坊さんのみならず、高橋さんのお名前は著書『寺よ、変われ』(岩波新書)でご存じの方も多いと思います。長野県松本市にある臨済宗神宮寺のご住職で、国内ではお寺の経営改革や地元浅間温泉での高齢者福祉支援のためのコミュニティケア活動、海外ではチェルノブイリ原発事故後の医療体制の構築を中心とした被災地支援、タイでのHIV患者支援活動など様々な活動に取り組まれている方です。

私もお坊さんになることを決意したとき、高橋さんの著書を手に取りました。お坊さんとして生きていくことの意義を考えさせられ、今も悩んだときにはたびたび読み返しています。

そんな高橋さんが、今回の東日本大震災を経て今考えられていることとしてお話になられたことの中から、印象に残ったメッセージをいくつかご紹介したいと思います。

3種類の死


高橋さんによれば、死はこのように大きく3つに分けることができるそうです。

Sudden Death (突然死):自然災害や事故による死
Slow Death(緩やかな死):病魔や今回の放射線被曝による長期的に向きあう死
Prepared Death(準備された死):余命告知され向きあう死

そして、今回の大震災ではSudden Deathに加えて、これから起こるSlow Deathとも向き合っていく必要があるとお話されました。

皆さんご存知のとおり、原発事故の影響については様々な情報が飛び交い、そのなかで自らが考え行動していかなければならない状況です。我々は現在確認されている影響への対応に加え、顕在化していない諸問題に対して、長く向き合っていく必要があります。そのような未来を想像しながら、このSlow Deathという言葉にあらためて恐怖を感じました。

現場に行って感じたこと


高橋さんは震災発生直後から現在も現地に赴き、被災者支援のための活動をされています。片道500キロを既に8往復されており、移動距離のべ8000キロは東京からチェルノブイリまでの距離に相当するとのことです。

1991年から20年に渡るチェルノブイリでの被災者支援活動の経験から、あの揺れがあった当日、まるでタイムマシンに乗って見てきたかのように、これから起こるだろうことが想像できたそうです。

今回の支援活動も長期的なものになると当初から想定して現地入りされた高橋さん。被災者の方々からは、「あの時、死んでおけば今こんなに悲しまなくてよかった」など、自分が生き残っていることを悔いるSurvior's Guilt(生存者の罪悪感)と呼ばれる発言がが多く聞かれたそうです。

支援する側は簡単に、被災者を支える、寄り添うと簡単に言うが、このような状況では、例えそれがお坊さんであったとしても、決して被災者の本音や悩みを聞くことはできない。長期にわたり信頼関係を構築した上でしか、そのような支援はできないということをお話されました。

活動を始めてしばらくして、少し離れたところの日帰り入浴施設が運営を再開したので、支援活動を共に行うスタッフが声をかけたところ、被災者の方々から歓声が上がったそうです。一緒にお風呂に入りながら、みんなの笑顔を見ながら、そばに寄り添い、耳を傾けるより今この現場で必要なことが何かということがわかった。そしてすぐに、1,000人の被災者の方に入ってもらいたいという思いで、千人風呂と名付けられた仮設風呂を建てられたという事例が紹介されました。

現場はまさに、これまで自分が拠り所としていた仏典の言葉が通用しない世界。自省も含め、仏教界でおこっている「寺は変わらなければならない」とか「葬儀は要る要らない」というレベルの問題意識はもう粉々になったと総括されました。

これまでの様々なご活動をベースに、高橋さんはお坊さんとしての生き方を確立され、その上で今回の震災でも積極的な活動をされていると想像しておりました。しかし、 そのような方が「今はどう再構築していくべきか、全くわからない状態です」と本音を語られていたことがとても印象的で、この日一番のインパクトを与えて頂きました。

寺とは何をするところか? お坊さんとは何をする人か?


高橋さんは講演の最後に、発心について以下のメッセージをくださいました。

「苦を視ることで発心は生まれる
 苦の真っただ中に入ることで発心は生まれる
 苦に打ちのめされ慟哭することで発心は生まれる
 苦を視てほしい 苦に出会ってほしい そして発心してほしい
 発心が生まれれば自然に行動できる」

この言葉を受けて、僕はこう考えました。

発心(ほっしん)という言葉。簡単に言うと、悟りを得ようとする心を起こすことという意味ですが、大事なことはなぜその発心が生まれたのか?という理由ではないでしょうか。高橋さんはそれを苦しみの中に飛び込むことで必ず何かを感じ、発心の理由を見つけることができるとおっしゃっています 。

ITビジネスマン的思考でも考えてみました。これは企業のマーケティングでいうプロダクトアウトではなくマーケットインの発想であると。

モノが不足していた時代であれば、企業側の都合を優先してモノやサービスを作り続けるプロダクトアウト発想でモノがいくらでも売れました。しかし今は、モノが溢れる時代です。消費者・生活者のニーズは多様化し、彼らの声に耳を傾けた企業活動、つまりマーケットインの発想でなければ決して受け入れられることはありません。そして、顧客の声(モノを買う理由)を聞き出すためには長期的な関係構築、絆づくりが欠かせないのです。

仏の教えをお坊さんが独りよがりに語ってもそれはプロダクトアウトであり、受け入れてはもらえません。お坊さん自身の発心の理由と、人々が仏教を求める理由が重なるところで、長期的に構築された関係があって初めて仏の教えは力を発揮するのではないでしょうか。

仏教は生老病死という苦しみから離れるための教えでありますが、そこから離れる前に、まずその苦しみの中に飛び込んでみなければなりません。その中でいろいろなことを感じ、自分ごととして苦しみを理解し、そしてようやくお坊さんとしての使命の再確認できるに違いありません。

マーケットイン。積極的に自分の使命の確認が出来る自坊の檀家寺で苦しみと向き合っていきたいと思います。
関連タグ:高橋卓志 東日本大震災 奈良 発心 カテゴリ:レポート

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松島靖朗 (まつしま せいろう)
>>プロフィールを読む 浄土宗法性山専求院安養寺副住職。1975年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、9年間のITビジネスマン生活を経て奈良県にある実家のお寺に戻り浄土宗僧侶として修業の日々を送る。旅行・登山・サーフィン・温泉・美味しい物が好きで毎朝読経のあとの日経新聞が欠かせません。