忖度

忖度

今年に入って、初めて「忖度(そんたく)」という言葉を知りました。すっかり2017年のホットワードとなっているようですね。

さてこの「忖度」という言葉。意味を調べますと、三省堂『大辞林』には「他人の気持ちをおしはかること。推察。」と出てきました。「忖」という漢字もあまり見たことなかったので、こちらも調べますと、三省堂『漢辞海』では「思案する。おしはかる。」とあり、「忖度」という熟語で「他人の心を、思いやる。思いをいたす。」と書かれていました。

これだけ見ると、「忖度」自体はそれほど悪い意味の言葉ではありません。昨今、「忖度」という言葉が使われる時には、下の立場のものが、上の立場の考えや言わんとしていることを推し量って実行に移す、というというような使われ方をしていることが多く、なんとなく力ある側が弱い者に暗黙のプレッシャーをかけ、それに媚びへつらうような、そんな印象を受ける言葉として使われがちです。しかし、本来の意味である、人の心を思いやったり、気持ちをおしはかることは、そのような媚びへつらうような、どこか小賢しい振る舞いではなく、むしろ私たちが人と関わりながら生活をする上では、とても大切なことです。

例えば、恋愛関係にある者同士にも、相手の気持ちを推し量るということは、とても大切になります。好きな相手だからこそ、なかなか本音が言えない。でも、本当の気持ちをわかって欲しい、なんてことは、恋愛を経験した多くの方が思うことではないでしょうか。私にも経験がありますが、付き合っていた女性の言葉で表現される気持ちを聞いて、相手のことを考えて接していたつもりですが、実は言葉の裏にある本音までは推し量ることができずにいた、ということが多々あります。これは「私が相手がこう言っているのだから」と自分の都合で相手の気持ちをわかった気になり、「忖度」、つまり相手の気持ちを本当に知ることができなかった、ということです。

また少し前には「空気を読む」という言葉も流行りました。周囲の状況や、人の気持ちを考えて振る舞うことを「空気を読む」、それができないことを「空気が読めない」と表現しましたが、あれはまさに「忖度」のことでしょう。読者目線、ユーザー視点、そのようなものも、一種の「忖度」かもしれません。そう考えると、「忖度」というものは、政治家や官僚の関係性においてだけ見られるものではなくて、実は私たちの日常にもありふれたものであったことになります。

仏教においても、人を思いやること、というのは大切なこととされています。例えば、さとりをひらき仏と成った者に具わるとされる力に六神通というものがありますが、その中に「他心通」という力があります。他人の心、気持ちを、間違いなく知ることのできる力のことです。私たちにも、人の心を推し量れますが、私のように正しく知ることができないことも多々あります。しかし仏さまの「他心通」の力はそんな不確かなものではなく、間違いなく人の心を知ることができるものです。

また「慈悲」という仏さまの心もまた、人の持つ悲しみ・痛みというものを正しく見つめ、その悲しみ・痛みを我が事として感じ、なんとかせずにはおれないと、行動に移していこうという心です。ですからこれも、より大きな思いやりの心であるといえるでしょう。

このように、仏教でも人を思いやることは大切にされています。しかし、私たちの持つ思いやりの心とは、大きく異なる点があります。それは、仏さまの思いやりの心、つまり仏教の理想とする思いやりの心は、100%相手のためであるのに対して、私たちの思いやりの心は、100%相手のためではなく、どこかに自分のためという要素も少なからず含まれているという点です。

今話題となっている「忖度」も、まさに自分のために、人の考えを推し量ったものと言えるものでしょう。立場が上の者が言外の圧力をかけ、それに出世のため、自己保身のため、所属する組織のためと、いろんな利害・損得を考慮し、呼応していく。そこに潜む自分勝手さや狡さに、ダーティーなものが感じられ、今回大きな問題になったように思います。

しかしそのような「忖度」に限らず、人のことを思いやる中に、相手に嫌われたくないとか、自分が良く思われたいという気持ちがあったり、面倒なことにならないように、というような思いが混ざることは、きっと誰もが身に覚えがあるのではないでしょうか。人のためと言いながら、どこか自分のためでもある、というのが、私たちの思いやりの心です。自分を挟まず100%相手お思いやれる仏さまの思いやりの心に比べるならば、残念ながら私の思いやりも、本当の思いやりの心とは程遠いものだったのかもしれません。

「忖度」という言葉が騒がれる中、これを政治の世界の話だと他人事にしてしまわず、今一度自分自身のあり方を振り返り、本当に人を思いやることとはどういうことであったのか、仏さまの心から改めて学ばせていただきたいものですね。

日下賢裕 (くさか けんゆう)
>>プロフィールを読む 1979年、石川県生まれ。浄土真宗本願寺派の僧侶、布教使。 広島大学人文学部東洋史学科卒業後、本願寺派の教育機関である中央仏教学院、伝道院にて仏教を学ぶ。 現在は故郷の山中温泉にて、本願寺派の若手僧侶が作るサイト「メリシャカ」や「彼岸寺」との関わりを通して、仏教を外に発信するとともに、地元の人たちに愛されるお寺作りに挑戦中。