共なる命

共なる命

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。本年も彼岸寺をどうぞよろしくお願いいたします。

さて、今年は酉年、ということで、上の写真のような年賀状を送りました。この中には、六羽の鳥がいるのですが、それぞれどんな鳥か、皆さんご存知でしょうか。この六羽の鳥は、「仏説阿弥陀経」というお経の中に出てくる鳥で、阿弥陀仏の世界、極楽浄土にいる鳥だと説かれています。それぞれ、白鵠(びゃっこう)・孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・舎利(しゃり)・迦稜頻伽(かりょうびんが)・共命(ぐみょう)という名がついています。孔雀やオウムは私達にも馴染みのある鳥ですが、他の鳥は、あまり聞いたことがありません。せっかくですので、今回はこの浄土の六鳥について、少し書いてみたいと思います。

まず白鵠は、白い鶴のような鳥です。白鳥のことだとも言われます。白く清らかな姿と、美しい声を持つとされます。次に舎利は、九官鳥のような鳥だと言われます。オウムもそうですが、人の言葉を覚えることから、賢い鳥として大切にされる鳥です。次に迦陵頻伽。これは想像上の鳥で、体は鳥、頭は人間、という姿をしているそうです(年賀状にある迦陵頻伽は、人間の顔をしていませんが)。この上なく美しく、妙なる声を持つ鳥とされ、妙音鳥とも言われます。最後に共命ですが、こちらも想像上の鳥で、双頭の鳥として描かれています。一つの命を共にする鳥、というところから共命と呼ばれます。

そして阿弥陀経の中では、これらの六種の鳥たちは、それぞれに美しい声を持ち、ただ鳴くのではなく、仏法を説き宣べているとされ、阿弥陀仏が、仏法を述べ弘める(法音宣流)ために?化した姿と説かれています。

またその中でも、特に共命という鳥は、こんな有名なエピソードがあります。あるところに共命の中でも特に優れた一羽がいました。その一羽は他のどんな鳥よりも美しい羽と、美しい歌声をもっていました。ところがある時、その共命の二つの頭それぞれが、自分のほうが美しい羽と、美しい声を持っていると主張しだします。やがて二つの頭同士、憎しみ、いがみ合い始めます。そしてとうとう、片方が「こいつさえいなくなれば、自分は文句なしに一番だ」と考えるようになり、相方に毒を混ぜた食べ物を食べさせます。ところが、頭は二つでも体は一つ。結局、その美しい共命は死んでしまう、という話です。そんな愚かな振る舞いをした鳥ですが、阿弥陀仏の浄土に迎えられ、他を滅ぼす道は自らを滅ぼす道である、という教えを鳴き示しているそうです。

このエピソードは、単に共命という鳥の愚かさを表しているわけではありません。共命という鳥は、実は「いのち」というものの在り方そのものを表しています。自分さえ良ければと、他者のいのちを軽んじ、傷つけても構わないとする在り方は、巡り巡って、自らのいのちを軽んじ、傷つけることになる。私たち人間も、考え方や、価値観、国、性別や肌の色、それぞれいろんな違いがありますが、実は根っこの部分で、いのちは繋がっている。もっと視野を広げれば、人間だけでなく、全ての生命体がいのちを共有している。そのことを思わずに、他者を傷つけ続けることは、つまるところ、自分をも傷つけることに繋がっている。共命という鳥の愚かしいエピソードは、実はそのまま、私の姿であったと聞かせていただくべき教えでありました。

酉年のこの一年。いろんなところで「分断」を感じずにはおれませんが、人を非難し、叩き続けるような悲しい一年にすることなく、誰もが「共なる命」を歩むものとして、相敬うことを忘れないようにしたいものです。

日下賢裕 (くさか けんゆう)
>>プロフィールを読む 1979年、石川県生まれ。浄土真宗本願寺派の僧侶、布教使。 広島大学人文学部東洋史学科卒業後、本願寺派の教育機関である中央仏教学院、伝道院にて仏教を学ぶ。 現在は故郷の山中温泉にて、本願寺派の若手僧侶が作るサイト「メリシャカ」や「彼岸寺」との関わりを通して、仏教を外に発信するとともに、地元の人たちに愛されるお寺作りに挑戦中。