エンターだけで押してはいけない症候群
2012年02月22日
最近パソコンのエンターキーだけを押すことが出来ません。
理由は簡単、Facebookのせいです。
Facebookは今世界中の人に使われているソーシャルネットワークです。彼岸寺をご覧になっている方で使っている方も多いかと思います。このFacebookの特徴の一つに、他の人の記事にコメントを付けられるというものがあります。このコメントはエンターキーを押すと同時に投稿されます。つまり、文章の途中で例えば改行をしようと思ってエンターキーを押すと、書きかけのコメントがそのまま投稿されてしまったりするのです。
もちろんこれを回避するための方法があり、改行をしたいときにはシフトボタンを押しながらエンターを押せばいいのです。
現在、彼岸寺に関わる人同士のコミュニケーションには基本的にFacebookを使っております。ですので、一日のうちのけっこうな時間をFacebookに使うわけで、自然とこの「シフトを押しながらエンターを押す」ことが当たり前になってきてしまいます。
すると、今度はワードなどで文章を書いているときにも思わずシフトを押しながら改行しようとしてしまうのです。今までと反対になってしまいます。
自分の中で当たり前だと思っていた行為も、いとも簡単に変わってしまうのです。指一本、ボタン一つで完結する単純な行為、慣れ親しんできた日常の行為が、ふと気がつくとガラっと変化している。
これは、このような動作だけでなく、コミュニケーション上での慣習や、社会生活における常識にも起こることです。変化というのは、その受け手にとって良い意味でも悪い意味でも刺激となります。生活のメリハリにもなるし、戸惑いや動揺を引き起こしたりもします。そして、私たちの暮らしは常に大小様々な変化の連続で、意識無意識に関わらず、そこにこだわりを持ってしまっていがちです。変化する前の状態への懐古、あるいは進化への渇望、または変化し続けること自体への固執。
改行したいときにエンターキーだけ押すのか、シフトとエンターを押すのか、そんなことは人一人の人生に全く重要なことではありません。そんなことで、思うように改行できなかった瞬間に小さなイライラを繰り返すのは無意味なことです。改行に失敗したら、一つ前の動作に戻ってやり直せばいいだけですから。facebookの次に、もっと親和性の高いインターネット上でのコミュニケーションツールが現れれば、また違う方法が求められることでしょう。
何事も変化を免れないことを受け入れることであらゆるこだわりを退ければ、かえって、自分にとって核となる「決して変わらないもの」が見えてくるのかもしれません。

青江覚峰 (あおえ かくほう) >>プロフィールを読む 浄土真宗東本願寺派緑泉寺 副住職。1977年東京生まれ。カリフォルニア州立大学よりMBA取得。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」を運営。料理僧として料理、食育に取り組む。お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」を主催。









