被災地に行こうとしている方へ。お坊さんからのメッセージ。

このたび、2011年3月11日に東北地方を中心に東日本を襲った地震で命を落とされた方々と被災された方々、ご遺族の方々、そして避難生活を余儀なくされている多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。
 
未曽有の事態の中、今こそ何かをしようと立ち上がりたい気持ちはよくわかります。阪神大震災が起きたときに高校生だった私もそうでした。しかし、今もし現地に行こうと心に決めた方がいらっしゃったら、ここでひとつ、こうるさいお坊さんの話にほんの2分、耳を傾けてください。

ボランティアの方をはじめ、被災地で懸命に救助・救援に携わっている多くの方がいらっしゃいます。その多くは人を助けるため、尊い思いを持って活動をされています。まさに頭の下がる思いです。
まだ危険の残る被災地に取り残されている被災者に手を差し伸べたいという気持ちは非常に尊く、ご自身の危険を顧みない純粋な気持ちは社会の宝だと思います。

しかし、被災地ではまだ混乱もあり、自分に何ができるのかわからない中で出かけるのは、決して人の役に立つことではないかもしれません。

被災地で現地のものを食べれば、それは被災者の口に入るものを横取りしてしまったことになります。
被災地で水を飲めば、それは被災者ののどを潤すものを横取りしてしまったことになります。
避難所で横になれば、それは被災者が生活を余儀なくされている畳一畳の住処を横取りしてしまったことになります。
被災地で布団を借りれば、それは被災者がマイナス気温の中、十分な温かさで眠るチャンスを横取りしてしまったことになります。
被災地でトイレを使えば、それは寒い中被災者に2分余計にトイレに並ぶことを強いることになります。

我々仏教者が大切にしている教えに「奪うな」ということがあります。「与えられていないものを奪うな」とも言われ、盗むことを戒律で禁じていると認識されております。
もしいま、私たちが安易に被災地に行ったらどうなるでしょうか。それは誰かの食を、水を、場所を奪うことにはならないでしょうか。
つまり、もし私たちが被災地に赴けば、自覚はなくとも誰かのものを奪うことになるのです。
もちろん、自分たちが被災地で何らかのものを奪う以上のものを与えることができるのであれば、行く意味もあるでしょう。でも、何ができ
るか具体的に分からないのであれば、勇み足で出かけていくよりもまず、日常の自分の居場所からできることを考えてみることが肝心ではないでしょうか。

現在被災地では僧侶の数が圧倒的に不足しているとの情報を受け、何人かの僧侶の方が既に現地に向けて出発したとのことですが、現地入りすら難しい状況にあるそうです。地震・津波の被害に加え原発の状況も不安定で、現地への交通も混乱を極めています。
 
人が生きている以上、必ず誰かの何かを奪っているという見方もあります。しかし、今被災地に足を踏み入れれば、それは直ちに人命に関わる略奪につながる恐れがあるのです。そして、それが人を助けたいという純粋な善意から起きたことだとしたら、お互いにとってなんと悲しいことでしょうか。

人は必要とされたならば必ず声をかけられます。そのときまで、ただ黙ってじっと待つことが賢明である場合もあるのではないかと思い、私自身も自分にできる最良のことは何であるかと考えています。
現地で、直接被災地の方々とお会いしてでしかできない支援があることは言うまでもありません。葛藤を乗り越え、あえて現地入りの英断を下された方々には、無事のご健闘を心からお祈りいたします。どうか多くの人々の善意と勇気、お互いを支え合う思いが結びつき、一日も早く被災者の方々の心が安まるように願っております。


青江覚峰 (あおえ かくほう)
>>プロフィールを読む 浄土真宗東本願寺派緑泉寺 住職。1977年東京生まれ。カリフォルニア州立大学よりMBA取得。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」住職。