お坊さんの勉強会

お坊さんの勉強会











お寺の奥さんって具体的にどうやってなっていくのでしょう。
結婚当初、身構えていた私はポツンと異世界に来てしまったようで不安でした。

結婚した途端に「おくりさん」と呼ばれ
なぜだか周りから「すごいですねぇ」と言われる事もしばしば。
そのギャップに少し焦りを感じていました。

お寺の奥さんのための教科書もなければ、目指すべき理想像が提示されているわけでもない。唯一義母の後ろ姿は見ているけれど、世間はどうなのかというのはあまり知らないのが事実。家族からは焦らなくていいと言われながらも「何をしたらいいのだろう...」と戸惑っていました。特にお寺出身ではない私の場合はより強くそう感じてしまったのかもしれません。今となっては「それぞれお寺によってやり方も違うし、そのお寺でゆっくり徐々におくりさんになっていくものだ」と思えるようになったのですが。

お坊さんの場合は資格もあり、さらに学生時代の友達や地域のお坊さん同士の交流もあります。色んなお坊さんの考え方に触れる機会にも恵まれ、お寺の奥さんより(坊守会は年に数回ありますが)情報交換の場が多いです。少なからず主人の様子を見る限り、よく周りから刺激を受けてとても楽しそう。横目に羨ましく、そして自分はどうすればいいのか分からず悶々としていた新婚の頃「お坊さんの勉強会に来る?」と主人から思わぬ声が掛かりました。

お坊さんによるお坊さんのための勉強会。
怖いもの見たさ半分と、自分の気持ちが少しでも晴れるかもしれないという望みを抱えて、参加してみる事にしました。勉強会は、有志のお坊さんたちが定期的に集まって開いているもので、主人の場合いくつか掛け持ちしているようです。

誘われたのは「曽我量深師の著書の輪読会」というもので、聞いたときは「???」でした。自宗のお坊さんでも難関といわれる題材だと知った時にはすでに手遅れ、もうメンバーとしてしっかりカウントされてしまった後でした。20代?50代のお坊さんで構成され、10人くらいのお坊さんに紛れてポツリと女子1人、そのうえ仏教初心者という明らかに浮いている状態での参加でした。それでも皆さんとても温かく歓迎してくださいました。

あまりイメージできていなかった勉強会の雰囲気、これがけっこう不思議なものでした。
輪読会なので、毎回はじめに曽我量深師のテキストを代表して誰かが音読するのですが、まぁとにかくチンプンカンプンなのです。言葉がまず難しい。そして意味がワカラナイ。そもそも論点すらサッパリ...。私は読めない漢字にふりがなを書き込むのに精一杯でした。そして、テキストを読み上げたあと、その場はしばらく沈黙が続きます。その会では先生という立場の人がいないのです。それぞれ目の前に用意している特殊な辞書や経典をおもむろに開きだして調べ始め、まるで自主勉強を集まってやっているような光景なのです。しばらくすると自分の解釈や「〇〇はどういう意味ですか?」とお互い質問が飛び交うのですが、またそこから沈黙になり各々調べる...の繰り返し。何もワカラナイ私は周りをキョロキョロしながらすっかり置き去り状態でした。ところが、そこは懐の深いお坊さん方。毎回「感想でも質問でも何かある?」と私に聞いて配慮してくださいました。ある時、テキスト内に出てきた「龍樹菩薩」が分からないと言った事は、あまりにも初歩的な質問ゆえ、そののち勉強会で語り継がれるネタになってしまったのですが、3時間の勉強時間をすべて費やして「龍樹菩薩」を掘り下げてくださいました。

これまで勉強会に参加させてもらって、仏教の知識がどれほど身に着いたかはさておき、勉強熱心なお坊さん方の姿を知れただけでも価値がありました。なかには「経典を丸暗記しているのでは!?」と疑うほど仏教に長けたお坊さんもいらっしゃいますが、とても物腰が柔らかく「いつも良い学びを有難うございます」と声を掛けてくださり逆に恐縮するばかりです。「勉強熱心な方ほど謙虚だなぁ」といつも考えさせられます。3時間の勉強会を終えた後は、そのままの流れで食事に行くのですが、そこでも仏教やお寺の話は白熱。帰宅すると午前様という県外から来られている方もいらっしゃいます。

といわけで、お坊さんの勉強会はとても刺激的で参加して本当に良かったです。
百聞は一見に如かず。何でも飛び込んでみるものですね。
今は子育て中でしばらくお休みしていますが、また顔を出せる日が待ち遠しいです。




こじまあゆみ
>>プロフィールを読む 真宗大谷派 開闡寺(かいせんじ)の若坊守。普段お寺の生活では「おくりさん」の愛称で呼ばれている。クリスチャンの家庭に育ったのち、お坊さんと恋愛結婚し、2014年春にお寺へ嫁ぐ。