波の音は

波の音は

年が明けてひと月がたち、街の様子もすっかり落ち着いてまいりました。
気持ちの面でも、お正月というよりは、年度末から新年度への切り替わりのほうへ心が向かっている気がします。

我が家の三姉妹も、この4月にはついに三女が幼稚園へ。これで子育てもひとつの段階をクリアするかとほっとする反面、家の中から「赤ちゃん」的な存在がいなくなってしまうことに寂しさも感じます。
7年間に長女が生まれてから、あっという間に三女が生まれ、時間を重ねるごとに家の中もずいぶん様変わりしました。部屋のあちこちにオムツや肌着が積み上がっていたかと思えば、それが折り紙やおままごとの道具になり、今は幼稚園や小学校でつかうもので溢れかえっています。

大人の生活環境も、子どもたちの成長に合わせてその都度見直しをしています。カッターや薬品などのわかりやすい危険を保管する位置がどんどん高くなり、インターネットやクレジットカードなど、子どもにとってわかりにくい危険の管理にも注意が必要です。もう少ししたら、それらの危険を子ども自身でどう扱えばいいのかも話してあげなければいけないでしょう。

さて、昨年の末にリビングの照明を新しいものに替えました。最近の家電は何にでもリモコンがついていて、それ一つで様々な機能があるようです。我が家が新しく買った照明には、なぜかいろいろな「音」がついていました。鳥の鳴き声、川のせせらぎの音、波の音の三種類です。照明とどのように組み合わせて使うのが適当なのかはよくわかりません。
ためしに、週末の朝ごはんのときに鳥の鳴き声を流してみました。イメージは「高原のテラスでいただく遅めの朝ごはん」といった感じだったのですが、生活感あふれる家の中、朝から賑わう浅草の街の喧騒に完全に負けていました。

一方、子どもたちはリモコン操作に興味津々。音だけでなく、照明の明るさや色合いまでもリモコン一つで変えられます。しばらく遊んでいると、波の音が出ました。いわゆる海水浴なるものは未経験の三姉妹に、「これ、なんの音かわかる?」と聞いてみると、長女と次女が口をそろえて答えました。

「津波の音!」

思わず顔を見合わせる夫とわたし。照明から聞こえてきた波の音は、もちろん穏やかな心地良いもので、津波を連想させるような荒々しいものではありません。けれど、「海」そのものに日常的に親しんでいない我が家の子どもたちにとっては、波=海=津波と連想させる音だったのです。

これはショッキングな出来事でした。わたしは海のある街で育ちましたので、遠足や家族のちょっとした行楽で幼い頃から海に親しんでいました。海というイメージからは、砂丘や貝拾い、潮干狩りなど楽しいことばかりが思い起こされます。もう少し想像を膨らませたとしても、頭に浮かぶのは、旅行で訪れた南国の海や夕方のビーチなどです。反対に、東京で生まれ育った夫は、「地球の7割」「生物のゆりかご」「海は広いな大きいな」などを想像したようです(これもわたしには驚きですが・・)。

けれど、海というものに実際に接した経験のない子どもたちにとっては、物心ついたまさにその頃、繰り返し繰り返しテレビなどで目にした津波の映像と、それに関する話題が海のイメージそのものなのです。

浅草で生活しているわたしたちは、もちろん津波の被害にはあっていません。命の危険を感じたこともなければ、津波があったことによる間接的な不便も、子どもたちが自覚しているとは思えません。そんな我が家の子どもたちでさえ、津波の衝撃はこれほどまでに心に巣食っているのです。
いえ、むしろだからこその結果かもしれません。津波の被害があった地域の方々には、津波以前から海と密接に結びついた生活がありました。海のある街に住む人にとって、海は職場であり、遊び場であり、登下校の景色であり、窓から見える風景でです。津波の衝撃がいかに深いものであったとしても、それだけが海を表わす言葉とは言えないはずです。

照明から聞こえてきた波の音を、反射的に「津波の音」と言った子どもたちの言葉を寂しく思い、また悲しくも思います。同時に、たとえ実際に接する機会が乏しくとも、「海」のような重大な物事について、日頃からいろいろな話を聞かせてあげていなかった、親である自分の責任も感じます。そして、先の津波の影響の大きさを痛感します。

芥川龍之介の「地獄変」に「群盲の象を撫でるようなもの」という表現があります。子どもたちに対してここでの「群盲」を当てはめるのは乱暴ですが、ものを知らない者という点ではあながち間違いとも言えません。

どんなものにも、表と裏があるものです。実際には表と裏という二面性だけでは語り切れず、あらゆる多面性を備えているものです。けれど、人が自分で見ることのできる側面は限られています。できるだけ多面的な見方をしようと心がけても、人間が得られる知識や経験など、物事の真理からすればほんのわずかなものにすぎず、その全容を完全に自分のものにすることは不可能です。

自分の見方や考え方が全てではないことを弁え、できるだけいろいろな角度から物事を考えるように心がけたいものです。そして、それでも決して何もかも全てを理解することはできないのだということを忘れずにいたいものです。

子どもたちには、まず海が出てくる物語など話してあげようと思います。わたしの幼い頃の思い出話も。いつか、海水浴にも連れて行ってあげたいと思います。
夫からは、夫の思う「海」を伝授してあげてもらうとします。


青江美智子 (あおえ みちこ)
>>プロフィールを読む 1976年生まれ。大学を卒業後、7年間のOL生活を経て青江覚峰と結婚、三姉妹の母となる。著書に「お寺に嫁いでしまった。」(扶桑社)。