アニメ「魔法少女まどかマギカ」と祖父の死

アニメ「魔法少女まどかマギカ」と祖父の死

夫が「人に勧められて」と、珍しくアニメのDVDを借りてきました。それは「魔法少女まどかマギカ」。ネタバレになるのであまり詳しくは書きませんが、ストーリー設定が非常に仏教的で、見れば見るほどその世界観に引きずり込まれるのだと、お坊さん仲間の間でもかなりの評判になっていた作品です。
とは言え、アニメを見慣れないわたしにとってはあまり見やすいものとは言えず、「そうは言っても、とにかく3話まで我慢して見ればもう目が離せなくなる」との口コミを頼りに、なんとか頑張ってその3話までを見終えました。なかなかどうして、たしかに先の展開が気になって仕方ありません。そこからはいっきに最終話までを借りそろえ、あっという間に見終わってしまいました。

お話の中で、「どうして人間は、そんなに魂の在り処にこだわるんだい?」という言葉がありました。魂は体から離れて生き続けているのに(という設定)、死んで肉体が動かなくなることを深く嘆き絶望する人間に対し、人外であるキャラクターが投げかける言葉です。
その台詞を聞いたときは、「なるほど仏教的な問いだなぁ」とはたしかに感じました。

ところで、実は先週実家の祖父が亡くなりました。91歳という高齢であり体は弱っていましたが、とても朗らかでユーモアがあり、誰からも愛されるおじいちゃんでした。その祖父が発熱のため入院し、数日後には医者から「会わせたい人がいたら呼んで下さい」という状況になり、連絡を受けたわたしは子供達と一緒に急遽実家へ戻りました。病院に着くと、予想に反して祖父は元気で、体力は相当落ちて入るものの、「こんなの食べるの15日ぶりだでー」と笑いながらかき氷を口に含んでいるほど。予断を許さない状況と説明されても今ひとつ現実味はなく、私たちは日帰りで東京の自宅に戻りました。祖父が亡くなったとの知らせを受けたのは、その翌朝のことでした。
祖父の死は本当に突然のことで、長男である父も、親を亡くす心の準備をする間もなかったようでした。しかし、すぐにお通夜、お葬式。お寺や葬儀屋さんとのやりとり、弔問に駆けつけてくれる親戚や近所の方への対応など、短い時間にもするべきことは山積みです。あっという間に時間は過ぎ葬儀も終わり、棺に花や思い出の品を入れる段になりました。父も父の姉妹も、孫であるわたしの従妹達も、笑みを浮かべてさえいるように見える祖父の遺体を前に、悲しみと寂しさをこらえることができず涙を流すしかありませんでした。もちろんわたしも同じです。

ほどなく出棺、荼毘に付された祖父は、やがてお骨となりました。

あれ? と思ったのはこのときです。
ついさっきまで涙涙だった家族が、祖父のお骨を前に、なんだかとてもすっきりした笑顔なのです。悲しくないわけではないはずです。けれど先ほどまでと打って変わって、何かふっきれたような、明るくさわやかな表情でした。

ここでわたしは、ふと「魔法少女まどかマギカ」を思い出しました。
見慣れていた祖父の「肉体」が目に見えている間は、その死を現実として受け入れることは難しく、けれどひとたびお骨になったとたん、別離の苦しみから明らかに一段落解放されるのかしれません。もちろん、誰も祖父の「肉体」に執着してるのではありません。親しく過ごしてきた思い出、何十年分もの記憶を懐かしみ、それをこれ以上重ねていくことができないということを悲しむのであって、肉体があるかどうかは問題ではないはずです。アニメのキャラクターが言ったように、人は肉体を「魂の在り処」として捉え、それを宿している肉体を焼くことで故人の魂を解放し、自らをも別れの苦しみから解放させようとしているのかもしれません。


青江美智子 (あおえ みちこ)
>>プロフィールを読む 1976年生まれ。大学を卒業後、7年間のOL生活を経て青江覚峰と結婚、三姉妹の母となる。著書に「お寺に嫁いでしまった。」(扶桑社)。