唯一無二のひと

唯一無二のひと

ある知人が39度4分という高熱を出しました。ところが、その日はどうしても外せない仕事があり、その知人は解熱剤を飲み、鼻血を出しながらも仕事に向かったそうです。その話を聞いて、わたしは単純に驚き、感心しました。もしOL時代のわたしがその状況だったら、迷いなく仕事を休んでいたと思います。いくら大事な仕事だと言ったって、40度近い高熱がでていたら、それをおしても出勤しようなどという選択はわたしにはあり得なかったと思うのです。

しかし夫は、大して驚きもしないようでした。「自分の顔と名前で仕事をするというのは、そういうことだろ」と言うのです。仕事そのものの大事さというか、「自分が」その仕事をすることの重要性をわかっていれば当然のことだと。実際、先日夫が出張で「暗闇ごはん」を行った日、夫は39度の熱がありました。それでも体中の痛みをこらえ、血尿まで出しながら現場に向かいました。そこで料理をし、「暗闇ごはん」の何たるかを参加者に説明することは、詳細な手引きがあれば夫でなくてもできることです。しかし、青江覚峰という僧侶がそこに足を運んでいるという事実を重んじ、夫は仕事をしてきたわけです。

夫は言いました。「例えば結婚式のスピーチを頼まれたとしたら、自分より偉い人、自分より有名な人、何から何まで自分より優れた人が他にいたとしても、やっぱりそのスピーチは自分がしなくては意味がないでしょ」と。そう言われれば確かに納得もできます。できるできないとか、どれほどのパフォーマンスを見せられるかというのは問題ではなく、自分こそがそのスピーチができる唯一の者だということです。自分がしなくては意味がないのです。


ところで、我が家では毎日長女が幼稚園に出かけていく際、本堂に寄ってご本尊に「なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ。行ってきます!」とやっていくのが日課です。しかし、先週辺りから、お盆の準備で仏具を磨くため、たくさんの仏具を床に降ろしている状態。長女がウロウロするのは危ないので、その日課はご本尊にではなく、玄関にある「南無阿弥陀仏」の名号に向かってしていくようにしていました。


一昨日のことです。夕飯の準備をしていると、長女が一人で廊下に出ていくのが見えました。その行き先に用事はないはずなので、「どこに行くの?」と声をかけると、本堂に行くと言うのです。「何なの? 何しに行くの?」と重ねて尋ねれば、「ののちゃんになんまんだぶしに行くんだよ」と。そして、「だってほら、今お堂いろいろ降ろしてあって危ないからダメよ」と言うと、悲しそうな顔をして「だって、もうずっとののちゃんになんまんだぶしてないんだもん」と言いました。わたしには思いもよらない言葉でした。内心、よりによってこの忙しいときに!? とも思ったのですが、長女のその気持ちを大事にしたいと考え、「そっか。そうだね。じゃぁママも一緒にいこう」と言い、夕食の準備を中断して共に本堂へ向かいました。

長女はご本尊とお内仏(寺の本尊とは別の、家族の仏壇)に手を合わせ、いつものように「行ってきます!」と言ってから、「あ、『行ってきます』じゃないよねぇ」と言って笑いました。とても嬉しそうに、とても楽しそうに笑いました。その様子を見て、「やっぱり毎日ののちゃんに会わないと変な感じする?」と聞くと、少し恥ずかしそうに「うん」と答えました。

本来、浄土真宗であれば「南無阿弥陀仏」の名号を拝するほうが本筋ではないだろうか、あるいはご本尊を完全に擬人化しているという論外の問題はあるにしても、ご本尊が長女にとっての唯一の人であることは間違いないようです。

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青江美智子 (あおえ みちこ)
>>プロフィールを読む 1976年生まれ。大学を卒業後、7年間のOL生活を経て青江覚峰と結婚、三姉妹の母となる。著書に「お寺に嫁いでしまった。」(扶桑社)。