"与える"ことから離れてみる


今週を締めくくる「未来の住職塾サンガ一日一分説法」は、静岡県にあります浄土宗のお寺、蓮馨寺の掬池友絢(きくちゆうけん)さんです。掬池さんは、国際仏教婦人会や傾聴に取り組む宗教者の会、寺子屋ブッダ主催の法話会の講師を務められるなど幅広い活動を行っておられ、お寺でも「お念仏の会」や「お寺BBQ」を開かれ、地域から世界にまで、視野の広い女性僧侶です。お話にも、その視野の広さが表れておりますので、どうぞ皆さま、じっくりとお味わい下さい。



"与える"ことから離れてみる

「これも何かのご縁だね」
普段の生活の中でよく耳にする言葉ですね。実際に使ってらっしゃる方も多いのではないでしょうか?仏教には「縁起」(えんぎ)という言葉があります。人や物事がそれのみで存在するわけではなく、相互に関係し合い、その中で成り立っていることを表す言葉です。つまり、良いことも悪いことも、自分自身の存在すらも他の物ごとや人の影響を受けながら、そこにあると考えるのが仏教的な世界の捉え方なのです。

また、仏教の考えの中に「回向」(えこう)という言葉があります。自ら修めた、善い行いの結果を功徳(くどく)というのですが、これを自分の為だけではなく、他者に振り向けることを示す言葉です。どういうことかと言いますと、「自分の幸せを願うだけではなく、他者の幸せも願い、応援しながら生活していきましょう」という姿勢のことをいいます。"相互関係"を重視した、とても仏教的な考え方だと思います。

Give and takeという言葉がありますが、誰かから何かを受け取ったら、自分も何かを与えるのが理想的だと思いますよね?しかし、あなたは思うのではないでしょうか。いったい私に他者に与えるものなんてあるのだろうか?何が与えられるのだろうか?自分のことで精いっぱいなのに......と不安になるかもしれません。

そんな風に不安になればなるほど、自分には価値がない人間ではないかと、空回りするばかりです。そんな時は、ちょっとこんな感じに考えてみてはいかがでしょうか。

"与える"この発想をおもいっきり手放してみることです。

静岡県にある私のお寺の境内では、四季折々の植物をみることができます。先日もちょうど、紅色のフヨウが大きな花を咲かせていました。自然の木々や花々を見てください。時期がくれば、色つき、美しい花を咲かせ、やがて枯れていきます。それを見て、私たちは、美しいと思いますが、木々や花々は人間に見せる為に、美しく咲くのではありません。ただ、自然のままにそこにあるだけなのです。

つまり、"与える"ことを意識しなくても、私たちは、自然に他者へ与えているものではないでしょうか。逆に、たとえ自分が気づかない中でも、他者から与えられていることも数多くあるように思います。

"与えなければ"そんなプレッシャーに取りつかれては、自然体ではいられません。そのままでも充分あなたには与えられるものがある。そんなに力む必要はないということです。

「縁起」という関係性の中で、日々、それぞれ一人一人が、互いに影響力のある存在だという事実に自覚的であることが大切です。あるがまま、のびのびそこに咲くように、私たちも自分らしくありましょう。自然の木々や花々のように。

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●掬池友絢(きくちゆうけん)さん プロフィール
静岡県 浄土宗 君澤山蓮馨寺

一言自己紹介
地域、国際、女性をキーワードにお寺つくりに努める。蓮馨寺では「お念仏の会」(月1回)、「お寺BBQ」(年2回)などを開催。ILAB(国際仏教婦人会)では役員として活動。傾聴に取り組む宗教者の会(KTSK)にて被災地支援に参加。また、寺子屋ブッダで開催の「お坊さんとお茶を飲む日」(月1回)では、女性向け法話会の講師を務める。


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日下賢裕 (くさか けんゆう)
>>プロフィールを読む 1979年、石川県生まれ。浄土真宗本願寺派の僧侶、布教使。 広島大学人文学部東洋史学科卒業後、本願寺派の教育機関である中央仏教学院、伝道院にて仏教を学ぶ。 現在は故郷の山中温泉にて、本願寺派の若手僧侶が作るサイト「メリシャカ」や「彼岸寺」との関わりを通して、仏教を外に発信するとともに、地元の人たちに愛されるお寺作りに挑戦中。