同級生の死

つい最近、私の学校のクラスメイトが亡くなった。ラクシュミーがキャンパスの自室で発見されたときには、死後数日経っていた。病気か事故か、あるいは本人が意図したものか、理由は明らかではない。ただひとつ間違いないのは、彼が亡くなったということだ。

今学期、ラクシュミーはパワー&ポリティクスの授業で私の隣りの席に座っていたので、週に2回は会って挨拶をした。元気でたくましく、彼がいると周りが明るくなるような感じの人だった。最近、授業を欠席していたので、就職活動で忙しいのかなと思っていたが、今考えると彼はその時すでに亡くなっていたのだ。

彼の死は同級生に大きな衝撃を与えた。それはつい先日まで隣りの席に彼が座っていた私にとっても同じで、言葉を失うショックだった。実はそのニュースを聞く直前、トランスフォーメーショナル講義で「死」の果たす役割が話題になったので、私は「人生は有限で、最後はみんなお金も地位も名誉もすべて捨てて旅立たなくてはならないという事実を考えることは、誰しも嫌なことだが、でもそれは同時に、人生において本当に大切なことに気づく良いきっかけになるのではないか」という発言をした。それに対し先生は「そうだ。皆若いので真剣には考えていないかもしれないが、この中の誰が明日戻ってこなくなるかもしれない」と応じた。それが本当になってしまった。

ラクシュミーの隣りに座っていた私が、生前彼に何かしてあげられることはなかっただろうか。お坊さんとしてこの学校にいながら、私はここで身近な人やクラスメイトにこれまで何をしてきただろうか。亡くなった彼はこのインドという輪廻の国で、どこに行ってしまったのだろうか。これまで日本で数えきれないお葬式のお勤めをしながら、自分はどれだけ死についてほんとうに真剣に考えてきたのだろうか。それ以来、ずっとそんなことが頭を巡っている。

せめてお坊さんとしてできることは、お葬式に参列することくらいしかなかった。学校が手配したシャトルバスに乗って、近しい友人たちと一緒に火葬場へ向かった。インドの火葬場はバラナシのガンジス川でも見たことがあったが、まさかインドで自分の友だちのお葬式に参列することになるとは想像もしなかった。悲しみで立ち上がるのもままならないお父さんが、ヒンズーのお坊さんに支えられながら、喪主を勤めた。

最近ではインドでも日本と同じように近代的な火葬施設が広まりつつあるそうだが、ラクシュミーは昔ながらの方式、薪をならべた上に白い布に包まれただけのご遺体が安置され、点火されるという昔ながらの火葬だった。点火された薪の周りから火葬場の作業員がときおりガソリンをかけるたび、火は強さを増す。やがてそれは火柱となり、立ち上る黒煙が青空へ抜けていった。私たちは立ち尽くし、その光景をただ見つめていた。

お葬式の後、学校で追悼集会が開かれた。私は学生を代表して、お経を読むこととなった。何か着る機会があるかなと思って持ってきたお坊さんの服を、こんなところで着ることになるとは思わなかった。「日本の葬式仏教ではいつも、人が亡くなってからお坊さんがやってくる。でもそれでは遅すぎる。仏教を生きている人のためのものにしていかなければならない」と日頃思っていた私だが、気づけばここでも結局、お葬式に行くことと、お経を読むことくらいしかできなかったのだ。

死のリアリティと不条理感、そして私の無力感が、この記事を書いている今も、私の心を覆っている。日本で仏教式のお葬式を何度となくお勤めしてきた私だが、これほど死が露わに感じられたことは今までなかった。今こそ、やがて死ぬ命であるという事実を私の中に深く内面化し、この悲しみを、有限の命を精いっぱい生き切るエネルギーへと転換する時が来たのだと思う。そして、家族、友人、知人、すべての人との毎回の出会いが一期一会であることを知り、感謝の気持ちを持って接したい。悩んでいる人があれば、すすんで相談に乗りたい。それが、友が最後に残してくれた大事なメッセージを無駄にしない、私にできる唯一のことではないかと思う。


松本紹圭 (まつもと しょうけい)
>>プロフィールを読む 1979年北海道生まれ。本名、圭介。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。一般社団法人お寺の未来理事。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』(higan.net)を設立し、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。Indian School of BusinessでMBA取得。2012年、若手住職向けにお寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書多数。近著に『お寺の教科書-未来の住職塾が開く、これからのお寺の100年-』(徳間書店)。