焼そら豆
2011年05月31日
私の祖父が亡くなったのは6年前の6月のこと。晩年の祖父を思うとき、必ず思い出されるのがそら豆だ。年が明ける頃、薄皮のそら豆が出まわる。このそら豆は大変柔らかく、茹でると皮ごと食べられるのだ。祖父がまだ元気で一緒に食卓を囲んでいた頃、齢のためか既に目が悪かった祖父は自分で皮を向くのが難儀で、しかも総入れ歯で少しで固い物は食べにくそうにしていた。それで、この小さくて柔らかい薄皮のそら豆を好んで食べていたのだった。
今、我が家には0歳、2歳、4歳の娘達がいる。やはり我々大人と全く同じ物が食べられるわけではなく、辛い物、苦い物、固い物は食べられないし、自分で皮を剥いて食べるようなものも苦手だ。そこへいくと、老人だった祖父の好んだ薄皮のそら豆は、幼い娘達にも無理なくおいしく食べられる食材だと気づく。
私の目指す「仏料理」の一つの指標として、「食のユニバーサルデザイン」がある。老人だから、子供だからと言って、皆と違う食材や違う調理の物を出すのではなく、誰でも無理なくおいしく食べられる物を出そうというものだ。まさにこの薄皮のそら豆がそうだし、調理にひと工夫すれば、苦い、固いといった食材でもユニバーサルデザインになり得る。
0歳の赤ん坊から60代後半の父までの幅広い年齢層が暮らす中で、日頃から自然とそれを頭において料理しているが、祖父の命日が近づき、その思いをいっそう確かにした。

青江覚峰 (あおえ かくほう) >>プロフィールを読む 浄土真宗東本願寺派緑泉寺 副住職。1977年東京生まれ。カリフォルニア州立大学よりMBA取得。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」を運営。料理僧として料理、食育に取り組む。お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」を主催。









