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    <title>ヒマラヤ求法巡礼記ー極楽デッド・オア・アライブー</title>
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    <title>ツァンパの贈り物</title>
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    <published>2012-04-23T16:02:03Z</published>
    <updated>2012-04-25T09:56:38Z</updated>

    <summary>　前回の記事では、新年の祝いに麦が登場する様子や、主食である麦こがし（ツァンパ）を紹介しました。では、それはチベットの宗教生活の中でどのような役割を果たしていたのでしょうか。　昨年、新年の頃にカトマンズでシェルパ族の友人の結婚式に出たのですが、そこでは新郎の親族から新婦の親族一同への贈り物としてツァンパを練って作ったケーキが振る舞われていました。写真のように...</summary>
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        <![CDATA[
        
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        <![CDATA[<div><img alt="tsampa 002.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/tsampa%20002.jpg" width="600" height="401" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></div><div><div><span style="color: rgb(0, 0, 0); font-family: arial, sans-serif; font-size: 13px; line-height: 15px; ">　前回の記事では、新年の祝いに麦が登場する様子や、主食である麦こがし（ツァンパ）を紹介しました。では、それはチベットの宗教生活の中でどのような役割を果たしていたのでしょうか。</span></div><div><br /></div><div>　昨年、新年の頃にカトマンズでシェルパ族の友人の結婚式に出たのですが、そこでは新郎の親族から新婦の親族一同への贈り物としてツァンパを練って作ったケーキが振る舞われていました。写真のように新婦のお父さんのもとに最も大きなケーキが捧げられます。愛しい娘を嫁がせる淋しさを慮って、敬意と感謝を込めて贈られるのです。このケーキは、麦焦がしを、三つの甘いもの（黒糖・砂糖・蜂蜜）と三つ白いもの（牛乳・バター・ヨーグルト）で出来た甘露を混ぜてよく練って固めただけのものです。食感はふわっとしてはいないのですが、甘味の中で麦の香ばしさが引き立っていて、とても美味しいのです。</div><div><br /></div><div>　別のときに、山寺にお参りしたときに開かれた儀式の中の山の神の供養のところで、果物やお菓子、お酒などと一緒に、これと同じ形をしたケーキが捧げられているのにも出会いました。自然からもたらされた収穫物を儀礼的な贈答品にしたり自然神への返礼として捧げる習慣が今に伝えられているのです。このケーキは、密教寺院の儀礼の中で見られるような様々な形や色とりどりのバターの縁飾りなどの様式が発達する以前の御供物（トルマ）の原型だと言えるでしょう。</div><div><br /></div><div>　またチベットには、古くからツァンパの団子を厄払いに用いる習慣もあります。これはセンとかチャンブーなどと呼ばれるものです。よく練ったツァンパの団子を細長く伸ばして、手のひらでぎゅっと握りしめて自らに染みついた病気などの災厄を込めます。それを野生の鳥や動物たち、そして目に見えない餓鬼たちに食べさせて、お祓いとしていたのです。これは、チベット人が普段ツァンパを練って団子を作るときに、ツァンパを少しつかって手の汚れをとって、そのかすを丸めておいたものを犬に食わせるような、ごくごく自然に行われている生活習慣と地続きのように見えます。手に付いた汚れだけではなく、心身に染み付いた見えない災厄をも吸い取ってくれるという感覚があったようです。</div></div><div><br /></div> ]]>
        <![CDATA[<div>古代チベットでは、麦の耕作技術が伝わる以前の狩猟採集や牧畜を主な生業としていたため、しとめた獲物や家畜を自然への返礼として捧げる供犠が盛んに行われていました。そこに仏教が入ってきた時の様子が伝承として伝えられています。八世紀に仏教を国教として篤く保護したティソンデツェン王は、サムイェ寺を建立するためにインドから大学僧シャーンタラクシタと密教僧グル・パドマサンバヴァを招ました。仏教では生き物に対する慈悲心に基づいて殺生を固く禁じていますから、仏教の導入を好ましく思わない大臣家の者たちが土着の神々に血の生け贄を捧げる儀式を執り行うのを目にして、インドの僧たちは深く嘆き悲しんだといいます。現在ではごくごく少数の僻地の村での調査からしか、供犠が行われているという報告はあがっていないのですが、19世紀頃に東チベットで書かれた説話集にも、村の民間の宗教儀礼で行なわれる供犠の習慣を戒める表現が度々出てくることからも、供犠の習慣の存在は、チベットにおける現実的な社会問題として近代に至るまで議論の俎上に登っていたことが伺われます。</div><div><br /></div><div><img alt="tsampa 004.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/tsampa%20004.jpg" width="300" height="449" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></div><div><br /></div><div>　チベットに広まっていった仏教の思想は、生け贄を用いた供犠を、供養の儀礼へと変質させていきました。その時に重要な役割を果たしたのが、麦で出来たツァンパでした。そのひとつの例が、ツァンパを用いて身代わり人形（ルゥ）を作って葬る儀礼です。身代わり人形は、災厄を被っている本人を象って作られる場合もあれば、身代わりとなるラマに似せて作られる例もありますが、強力な障害を祓うためには半人半獣の魔物ををかたどるやりかたもあります。この写真の丑・寅・亥の三つの頭を持つ魔物の人形はトーナク・ゴスムと呼ばれるものです。この魔物を使って厄払いをする儀礼で読上げられる詞章を確認してみると、仏教的な要素はあまりなく、むしろ十干十二支や陰陽五行説の影響を受けて発展した呪法のように見えます。</div><div><br /></div><div>　そのような仏教以前からチベットで行われていたような呪術的な儀礼が現代の仏教徒の間でも行なわれているのは、仏教の教えに沿うような換骨奪胎に成功したからです。動物を生け贄に用いいていた供犠をツァンパで象った身代わり人形に置き換えて、他の生き物を殺めるのではなく自らを象った人形を拠り所として自らの身体を捧げるように、さらには呼び寄せた魔物達も暴力的に退治するのではなく敬意を払って迎えて供物を満足の行くまで捧げて気持ちよくお引き取り頂く、というように作りかえたのです。そうして、現実世界だけでなく想像世界の中ですらも生き物の命を殺めることが無益であるどころか、心の連続体に悪い因を積み重ねてしまうものだとして戒める仏教の思想が、村で呪術を執り行うような民間の宗教者達にも根付くことになっていったのです。</div>]]>
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    <title>チベットの新年と麦</title>
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    <published>2012-01-14T23:20:19Z</published>
    <updated>2012-01-18T05:31:23Z</updated>

    <summary>　松の内も明けてお正月ムードもすっかりさめてしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます。 　日本をはなれて外国で年越しを迎えるのは得てしてさびしいものですが、今回はとくに皆と一緒に過ごしたくなり、Twitterのタイムラインを眺めていました。インターネットのおかげで、なんとなく年の瀬の雰囲気を味わったり、親しい人たちと挨拶を交わしたりできるのはあり...</summary>
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        <name>佐藤剛裕</name>
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        <![CDATA[
        <img src="http://www.higan.net/himalaya/images/SunRainbow.jpg"  />
        ]]>
        <![CDATA[<p></p><div style="text-align: left;"><br /></div><div style="text-align: left;">　松の内も明けてお正月ムードもすっかりさめてしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます。</div><p></p>

<p>　日本をはなれて外国で年越しを迎えるのは得てしてさびしいものですが、今回はとくに皆と一緒に過ごしたくなり、Twitterのタイムラインを眺めていました。インターネットのおかげで、なんとなく年の瀬の雰囲気を味わったり、親しい人たちと挨拶を交わしたりできるのはありがたいことです。YouTubeで<a href="http://www.youtube.com/watch?v=2zMhO77cbSM">細野晴臣さんがレコード大賞のオープニングで"Smile"を唄っているところ</a>や<a href="http://www.youtube.com/watch?v=QZTWgvuMgFs">NHKのゆく年くる年で、お坊さんが除夜の鐘をついている場面</a>を観られたのもうれしいことでした。</p>

<p>　さて、近代のチベットの暦では日本の旧正月や中国の春節とほぼ同じように暖かくなってくる時期に新年が設けられていますが、いま僕が暮らしているネパールやインド、ブータンなどのヒマラヤ周辺の仏教圏では、チベット暦とは異なり冬至の頃に新年が祝われることが多いようです。ここカトマンズでは、農閑期でカトマンズ盆地に降りてきて特にすることもないので、地元の暦とチベット暦とで新年を二回祝う人々もいるようです。</p>]]>
        <![CDATA[<p><br />
　新年にチベット人の家庭に挨拶に行くと、その家の若い娘がチェマと呼ばれる麦焦がしや乾燥粉チーズをバターで練った供物の入った箱を差し出して出迎えてくれます。これをすこし指でつまんで空中に三回振り撒き三宝や神々に豊作への感謝を捧げると、家に招き入れられ食事が振舞われます。</p>

<p><img alt="chemagirls.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/chemagirls.jpg" width="600" height="399" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>　チベットに農耕がもたらされてからというもの、チベット人の主食はツァンパと呼ばれる大麦、青麦、裸麦などを煎って粉にしたものが中心でした。同じものは朝鮮半島を経て日本にも伝わっていて、西日本でははったい粉、東日本では麦焦がしと呼ばれています。チベット人はこれをバターと塩の入ったお茶で練り、団子にして食べます。木の茶椀にお茶を注いだ上にツァンパを山盛りに浮かべると、それを人さし指で少しづつ沈めて、茶碗をまわしながら上手に団子にしていきます。</p>

<p>　その昔、文化人類学者が最初にチベットに入って、彼らの食事風景を観察していた時の話です。チベット人が食事の前に小さな団子を作ってテーブルのすみに置くのを見て、あれには何か宗教的な意味があるに違いないと考えていたそうです。ところが実際はチベットには手を洗う習慣があまりないので、手に付いたツァンパを丸めて手の汚れをとったものをよけておいただけだったのです。これは今となっては出所や真偽のほどの定かではない、チベット研究者の間でまことしやかに語られる笑い話なのですが、手の汚れをとったツァンパの団子を捨てたり犬にやったりする行為に宗教的な意義が全くないとも限らないという感想をこのごろでは持っています。というのも、チベットの宗教においてツァンパは供物として様々な場面で用いられてきたからです。これから何回かにわたって、チベットの民間の宗教儀礼でツァンパがどのように用いられてきたのか、少しづつ観ていきたいと思います。</p><p><br /></p>

<p>告知：サンガ・ジャパン vol.8 に「チベット仏教と生の哲学」を寄稿しています。どうぞお手に取ってみて下さい。</p><p><br /></p>

<div class="azlink-box" style="margin-bottom:0px"><div class="azlink-image" style="float:left"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905425018/higanji-22/ref=nosim/" name="azlinklink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Fq7kDbTnL._SL160_.jpg" alt="サンガジャパン Vol.8(2012Winter）" style="border:none" /></a></div><div class="azlink-info" style="float:left;margin-left:15px;line-height:120%"><div class="azlink-name" style="margin-bottom:10px;line-height:120%"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905425018/higanji-22/ref=nosim/" name="azlinklink" target="_blank">サンガジャパン Vol.8(2012Winter）</a><div class="azlink-powered-date" style="font-size:7pt;margin-top:5px;font-family:verdana;line-height:120%">posted with <a href="http://sakuratan.biz/azlink/dp/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%20Vol.8(2012Winter%EF%BC%89/4905425018/higanji-22" target="_blank">AZlink</a>  at 2012.1.15</div></div><div class="azlink-detail">アルボムッレ スマナサーラ（寄稿）,大野更紗（寄稿）,宮崎哲弥（寄稿）,藤本晃（寄稿）<br />サンガ<br />売り上げランキング: 48322<br /></div><div class="azlink-link" style="margin-top:5px"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905425018/higanji-22/ref=nosim/" target="_blank">Amazon.co.jp で詳細を見る</a></div></div><div class="azlink-footer" style="clear:left"></div></div>]]>
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    <title>テリ村の泉</title>
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    <published>2011-10-22T23:00:08Z</published>
    <updated>2011-10-23T07:11:39Z</updated>

    <summary>先日、西ネパールのムスタン郡にあるテリという村に行って来ました。交通の要衝であるカクベニ村から少し奥に入った辺りにある小さな集落です。その村のはずれにある小さな寺にしばらく滞在させてもらっていました。この写真の左手の高台の上にあるのがその寺です。このお寺が村からすぐに歩いていける距離にあるのをご覧いただくと、人里から完全に隔絶されたタイプの修行場ではないこと...</summary>
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        <name>佐藤剛裕</name>
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        <![CDATA[
        <img src="http://www.higan.net/himalaya/images/P1040366.jpg"  />
        ]]>
        <![CDATA[<p><br /></p><p>先日、西ネパールのムスタン郡にあるテリという村に行って来ました。交通の要衝であるカクベニ村から少し奥に入った辺りにある小さな集落です。その村のはずれにある小さな寺にしばらく滞在させてもらっていました。この写真の左手の高台の上にあるのがその寺です。このお寺が村からすぐに歩いていける距離にあるのをご覧いただくと、人里から完全に隔絶されたタイプの修行場ではないことが分かると思います。大寺院組織に属することはなく、村人のために祭祀を行ったり、薬を作って処方したりするような昔ながらの密教行者の住むお寺です。</p><p></p>]]>
        <![CDATA[<p><br />
テリ村では、山の中腹にある小さな泉から村に流れてくる水で灌漑農業を行っています。村人たちは、その収穫に感謝する祭りの一つとして、泉にすむ龍神や地主神（じぬしがみ）に引き続き恵みを乞うために祈りを捧げる儀礼を行っています。法要を行う日の朝、ラマは馬の背に法具や供物をくくりつけて、村人と一緒に山の中腹にある泉に向かいます。目的地に着くと一同は、石を積んで祭壇を組んだり、薪を集めて山の神に捧げるお香を焚く支度を始めます。僕も一緒に薪を拾いしながら、日本の茶道の野点というのも元々はこんな趣だったのではないかな？などと想像していました。</p>

<p><br />
祭壇にはカタと呼ばれる白い儀礼用の布をかけ、そこに米を使って八葉の蓮の花を描き、その上に真鍮の盆を載せてマンダラの土台とします。その上に龍神や地主神、そして蛇や蛙、イモリなどの水辺にすむ生き物たちを象った麦焦がしの人形を配置していきます。ラマは儀軌書にある詞章を暗誦しながら、そこに日本のお花祭りのような要領で、ひしゃくで甘露をかけて供養するのです。甘露は甘茶ではなく、三つの甘いもの（黒糖・砂糖・蜂蜜）と三つ白いもの（牛乳・バター・ヨーグルト）を混ぜたものに、様々な穀物や薬草を加えて作ります。供養を終えると、泉のわき出る口に建てられた仏塔の根元に、この供物を埋めて回向とします。</p>

<p><br />
<img alt="P1040782.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/P1040782.jpg" width="600" height="401" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p><br />
このチベット語で「チャプトル」と呼ばれる儀式は、人間が自然から一方的に利益を享受するだけでは負債が発生してしまうので、返礼を行わなければならないという考え方に立って行われる自然神の供養であり、先日護国寺でダライ・ラマ法王とチベット人僧侶達の執り行った大震災の追悼法要でも詠まれた大地母神の供養文と同じ系列に属するものです（サンガ・ジャパン vol.6 の拙稿「ダライ・ラマの慈悲とチベットの大地母神」を参照）。このような儀式は、日本の施餓鬼会や中国や韓国で行われている水陸斎（すいりくさい）などと共通の起源を持つのですが、チベットではグル・パドマサンバヴァが埋蔵した教え（テルマ）として独自の発展を遂げました。村人たちにとっては自然を司っている神々や餓鬼たちにその季節の収穫を感謝し返礼をすることで、次の季節にもきれいな水や収穫をもたらしてくれるように祈る儀式なのですが、それと同時に、密教行者にとっては本尊となった自らの身口意の三密を甘露によって浄め龍神や地母神の加持力によって息災と増益を成就するという密教の修行法でもあるのです。このような密教の息災法や増益法などの加持祈祷は、決して民衆の世俗的な利益の為だけに行われるのではなく、密教行者の内的な体験と繋がっているものだということは忘れてはならない点だと思います。</p>

<p><br />
この日、気になったことが一つありました。この頃は水が昔のように生のまま飲むことが出来なくなってしまった。それは時代が悪いのだと村人たちが話しているのを耳にしたのです。水の流れをよく見ると、確かに水質が富栄養化していて植物性プランクトンによる汚れが目立ちました。別の日に水の湧き出しているところからさらに奥のほうまで登ってみたのですが、雪解け水が流れ込んでいる水源のすぐ近くの一帯でも家畜の放牧を行っている様子が伺われました。しかも放牧や山仕事をする人々が捨てていったであろう調理油のプラスチックの瓶やインスタントラーメンのビニール袋などが捨ててあるのがあちこちで目に付いたのです。もちろん、そのような人工的な要因だけが水質の悪化の原因かどうかは素人目では分からないのですが、村人たちが水源地を汚すことについてわりと無頓着というか、自然の浄化力や生産力をナイーブに過大評価してしまっているように感じられました。</p>

<p><br />
<img alt="P1040784.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/P1040784.jpg" width="600" height="400" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p><br />
ここで直面しているのは、伝統的な共同体で行われる呪術的な宗教儀礼の現代社会における有用性についての問題だといえます。龍神に甘露を捧げて祈るという儀式が、村人たちと自然との協調関係を作り上げるために重要な役割を果たしてきたのは確かです。しかし、それだけで村を潤す水をきれいに保つことができるのかというと、もはや必ずしもそうとは言えないほどに現代の人間の営みと自然との関係は緊迫したところまで来てしまっています。ただ自然神を供養するという呪術の領域に留まっているのではなく、その教訓を日常的な世界での行動に反映させていかなくてはならないのではないか。つまり、こうしてせっかく折りに触れて龍神様に供物をお捧げしているのだから、それを無駄にしてはならない。水源の周りで沢山の家畜を放牧したりゴミを捨てたりして水を汚すのは止めよう。そのような実践的な考え方も同時に持ち合わせる必要があるのではないのだろうか。そうでなくては、その儀礼は形骸化の一途を辿ってしまうだろう。ヒマラヤの山村の人々の営みが、押し寄せるグローバリゼーションの波にさらされて変化しつつある様子を目の当たりにしながら、そのように考えさせられたのです。</p>

<p><br />
その考えには、もちろん日本の原発事故のことをずっと案じていたことが大きく影響していると思います。この時、ムスタン地方に滞在していても、日本にいる愛しい人々のことを一瞬たりとも忘れることはありませんでした。自然神に甘露を捧げるような呪術的な儀礼を行ったところで、それだけでは原子炉の中で融け出した燃料を冷却することも、東日本一帯に降りそそいでしまった放射性物質の微粒子を取り除くことも出来ません。また、瞑想によって現象世界が空であるということを体験的に理解したからといって、汚染された食物を口にした子供たちの低線量の長期被曝を防ぐことはもちろん、その不安を取り除くことすら出来ません。現在の日本で真っ先に必要とされているのは、現実に起こっている問題を解決するために具体的な方策を講じることなのです。ですから、いま日本が大きな危機を迎えているのに、自分だけはヒマラヤで宗教儀礼の研究をしていていいのか？という悩みを抱かずにはいられませんでした。</p>

<p><br />
しかしその一方で、ヒマラヤの密教行者たちが伝えている儀礼や神秘思想が現代に生きている我々にとっても真に実効性のあるものだという直感的な確信が自分の中にあることにも気がつきます。僕がこれまで学んできた、古代のチベット人たちが初めて仏教の因果や慈悲の教えを受け入れはじめた時代に編み出された教えというものが、現代人にとっては逆に失われた野性を再び取り戻すための大きな手がかりとなってくるのだという実感があるからです。ですから、その中で行われているレヴィ＝ストロースが「野性の科学」と名付けたような古代から呪術の領域で行われてきた象徴操作が、自然と向かい合わせになって行う内省と、現実世界での具体的な実践を結びつけるための媒介としての役割を果たしてきたのだということを明らかにしていくことが、今の僕にできることなのではないかと思うのです。</p><p><br /></p>

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    <title>知られざる流浪の行者の伝統</title>
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    <published>2011-05-17T23:39:37Z</published>
    <updated>2011-05-18T07:31:35Z</updated>

    <summary>　僕は今、ネパールのドルポ地方の密教行者の皆さんと協力して、チュウという宗教儀礼の体系に関する文献を保存・継承する活動を行っています。　このチュウと呼ばれる教えは、11世紀から12世紀にかけて活躍したマチク・ラプドンという女性ヨーガ行者によって創始された教えの体系です。この教えの修行者たちは、大きなでんでん太鼓、金剛鈴、人骨笛などを鳴らしながら、自らの身体を...</summary>
    <author>
        <name>佐藤剛裕</name>
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        <![CDATA[
        <img src="http://www.higan.net/himalaya/images/ThePeak.jpg"  />
        ]]>
        <![CDATA[<div>　僕は今、ネパールのドルポ地方の密教行者の皆さんと協力して、チュウという宗教儀礼の体系に関する文献を保存・継承する活動を行っています。</div><div><br /></div><div>　このチュウと呼ばれる教えは、11世紀から12世紀にかけて活躍したマチク・ラプドンという女性ヨーガ行者によって創始された教えの体系です。この教えの修行者たちは、大きなでんでん太鼓、金剛鈴、人骨笛などを鳴らしながら、自らの身体を供物に変えて神々や魔物たちに捧げる詞章を歌い上げるという、古代のユーラシア大陸一帯に広まっていたシャーマニズムの供犠とよく似通った儀式を行います。しかし文献を読み解いていくと、そのような儀式のまた異なった一面が浮かび上がってきます。チュウとは、自らの身体や現象世界が実体のない空であるという、般若経典に書かれている通りの見解に基づく究極の布施波羅蜜行の実践であり、インドの後期密教で説かれている高度なヨーガ技法を単純明快に表したものだということが分かってきます。つまりこの教えは、インドからチベットの古代の宗教思想家たちが大乗仏教を伝える際に、それまで原始的な宗教を行ってきた人々に受け入れられやすいように、教義の核心部分を素朴で力強い表現で再構築し直したものなのです。</div> ]]>
        <![CDATA[<div><br /></div><div><img alt="TarabLamas600.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/TarabLamas600.jpg" width="600" height="401" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></div><div>　チュウは、主に在家の密教行者達の間で細々と伝承されてきた教えでした。彼らが修行を行うときには、一ヶ所の瞑想場に籠るということはしません。法具とテント、そしてわずかな食料だけを持って、何日も一人で荒野を転々とさまよいながら、大きな岩の陰や一本木の根元などで寝起きしては、恐怖に打ち勝つための修行を続けたのです。日本では「野伏し」とか「山伏し」と言われていたような、流浪の行者の伝統でした。チベットの仏教の長い歴史の中で、チュウの修行者たちは寺院組織に保護されることはあまりなかった、というよりも政治権力と結びついて権威を誇っているような寺院組織から好きこのんで距離を置いて自由を謳歌していたのです。チベット仏教が近代化をとげるにつれて、そのような伝統は次第に衰えてしまい、カギュ派のカルマパ・ランジュン・ドルジェやカルマ・チャクメイが編纂した儀軌集や、ニンマ派のジグメ・リンパやドゥンジョム・リンパらが感得した埋蔵教説などの、例外的に寺院組織の中に取り込まれたものだけが形式的な儀礼として残っているような状況です。ですからチュウに関する言説も宗派組織の歴史観のフィルターを通して語られることが多く、荒野を放浪する修行のやり方などは、ほとんどがすでに過去の遺物と見做されてきました。</div><div><br /></div><div>　ですが、幸運にも二年前に、ドルポ地方でそれらとは系統の異なる古い流派の文献や儀礼を継承する方々と偶然知り合ったことで、古い時代のチュウの修行者たちのより生々しい姿を知る手がかりを得ることができました。彼らは中央チベットの宗派組織と直接の関わりを持っておらず、異なる時代に伝わった様々な教えを村々の小さな寺でひっそりと受け継いでいます。彼らの話を聞くうちに、山奥の小さな寺には、カギュ派やニンマ派の宗派組織に属さず手を加えられなかった、マチク・ラプドンとその弟子たちの時代のものに限りなく近い手書き文献が遺されていることもわかりました。これらの文献の多くは、修行者自身の手によって筆記体で書写されて伝わってきたため、略字や綴り間違いがとても多い上に、シミや虫食いなどで損傷している状況です。そのため所々に意味の不明瞭な箇所も出てきてしまっているので、口頭伝授をうけた先生方の記憶が確かなうちに複数の写本を参照しながら校訂を行わなければなりません。</div><div><br /></div><div><img alt="LamaDrukta600.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/LamaDrukta600.jpg" width="600" height="401" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></div><div>　そこで、密教行者の皆さんと協力して、関連する文献を収集して校訂出版を行う計画を立てていたところ、幸いなことにトヨタ財団のアジアの伝統文献保存継承活動を支援するプログラムから助成金を受けられたので、プロジェクトを実行に移すことができました。彼らの出身の村々から持ち寄ってもらったものをアメリカやドイツの援助ですでにマイクロフィルムのアーカイブに収められているものなどと照らし合わせながら読み進め、コンピューターに入力したテキストの校正を行っています。</div><div><br /></div><div>　このような密教の文献は、本来は師から実際に教えを受けて修法しながらでないと読んではいけないことになっています。不思議なもので、一人で勝手に読もうとするといくら辞書を引いても内容が頭に入ってこないのに、先生と一緒に簡単な解説を受けながら読むとすらすらと理解できるようになったりすることが多いのです。実際に文献保存活動に取り込んでみると、何故そのようにして受け継がれてきたのかという理由にあらためて気付かされます。つまり修行者たちの間で言い伝えられていることや共有されている体験を手がかりにしなくては、分からないことがとても多いのです。外国人の文献研究者が、どれだけチベット語に熟達していても、実際に教えを受けていなければ、系統分類して目録を作ることすらも困難なのです。ですから、この教えに関する文献を収集して復刻するという活動に共感を持って、僕に教えを説きながら、作業に自発的に参加してくれる協力者を得られたことは、とても幸運なことだと思っています。</div><div><br /></div><div><img alt="MicroFilm600.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/MicroFilm600.jpg" width="600" height="401" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></div><div>　ヒマラヤの高地では春先まで雪が降っていて訪れることが難しいので、ここ数ヶ月は首都のカトマンズで文献研究ばかりしていたのですが、そろそろ峠道が開く頃ですから、少しずつ山の中の小さなお寺を回って、古いチュウの教えがどのような環境で受け継がれてきたのかということをこの目で確かめにいきたいと思います。</div>]]>
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    <title>『サンガジャパン vol.5』に寄稿しました。</title>
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    <published>2011-04-23T23:39:30Z</published>
    <updated>2011-04-24T00:19:15Z</updated>

    <summary>いま店頭に並んでいる『サンガジャパン vol.5』に「クンサン・ラマの死の教え」というエッセイを寄稿しました。 このタイトルは、19世紀の東チベットで超宗派運動が盛んになった頃にまとめられた「クンサン・ラマの教え」という仏教書のタイトルをもじってつけました。この本は、民衆に向けて広く説かれている入門書なのですが、本来は密教の本行に含まれる阿弥陀浄土への往生法...</summary>
    <author>
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        <![CDATA[<p>いま店頭に並んでいる『サンガジャパン vol.5』に「クンサン・ラマの死の教え」というエッセイを寄稿しました。</p><p><br /></p>

<p>このタイトルは、19世紀の東チベットで超宗派運動が盛んになった頃にまとめられた「クンサン・ラマの教え」という仏教書のタイトルをもじってつけました。この本は、民衆に向けて広く説かれている入門書なのですが、本来は密教の本行に含まれる阿弥陀浄土への往生法である「ポワ」という比較的高度な死の教えが説かれています。その意義について考えるために、古代吐蕃王国に仏教が導入されグル・パドマサンバヴァが活躍した頃から現代に至るまでの、チベットの仏教社会の歴史を振り返りました。その結果、チベットの超宗派運動のありかたについて学ぶことが、日本のこれからの宗教のありかたを探るための大きなヒントを与えてくれるのではないかという考えを持っているのですが、その背景にある歴史的認識を大まかに示すことになりました。</p>

<p><br /></p><p>このブログをお読みの皆さんにも、ぜひお手にとっていただきたいと思っております。どうぞよろしく！</p>

<p><br />
</p><table border="0" cellpadding="5"><tbody><tr><td colspan="2"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904507762/higanji-22/" target="_top">サンガジャパン Vol.5(2011Spring）</a></td></tr><tr><td valign="top"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904507762/higanji-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51vZXnMDiWL._SL160_.jpg" border="0" alt="サンガジャパン Vol.5(2011Spring）" /></a></td><td valign="top"><font size="-1">佐々井秀嶺（寄稿） (著), 宮崎哲弥（寄稿） (著),南直哉（寄稿） (著),板橋興宗（寄稿） (著),ティク・ナット・ハン（寄稿） (著), 藤本晃（寄稿） (著), サンガ編集部 (編集) アルボムッレ・スマナサーラ（寄稿） (著) <br /><br />サンガ  2011-04-11<br />売り上げランキング : 4442<br /><br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904507762/higanji-22/" target="_top">Amazonで詳しく見る</a></font><font size="-2"> by <a href="http://www.goodpic.com/mt/aws/index.html">G-Tools</a></font></td></tr></tbody></table><p></p>]]>
        
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    <title>チベット語のススメ</title>
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    <published>2011-04-04T02:48:15Z</published>
    <updated>2011-04-04T08:43:44Z</updated>

    <summary> 　大学の三年生になったときに、チベット語を習得しながらチベットの文化や歴史を学ぶという事例研究のゼミが始まりました。ケルサン・タウワ先生を講師として大学に毎週お招きしてチベット語の手ほどきを受けました。ケルサン先生は、当時は早稲田大学の正門のすぐ近くに「カワチェン」というチベット関係書籍を扱う小さな本屋さんを構えていいらっしゃいました。 　チベット文字は、...</summary>
    <author>
        <name>佐藤剛裕</name>
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    </author>
    
        <category term="チベットとの出会い" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="カワチェン" label="カワチェン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="チベット語" label="チベット語" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[
        <img src="http://www.higan.net/himalaya/images/TibetanFonts.jpg"  />
        ]]>
        <![CDATA[<p><br /></p><p> 　大学の三年生になったときに、チベット語を習得しながらチベットの文化や歴史を学ぶという事例研究のゼミが始まりました。ケルサン・タウワ先生を講師として大学に毎週お招きしてチベット語の手ほどきを受けました。ケルサン先生は、当時は早稲田大学の正門のすぐ近くに「カワチェン」というチベット関係書籍を扱う小さな本屋さんを構えていいらっしゃいました。</p><p><br /></p>

<p>　チベット文字は、インドのデヴァナガリ文字を、中央チベット的な乾いた美的感覚で整形した表音文字です。</p>]]>
        <![CDATA[<p><br /></p><p><img alt="TibetanChar.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/TibetanChar.jpg" width="300" height="400" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>　という30種類の基字に、</p><p><br /></p>

<p><img alt="TibetanVowel.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/TibetanVowel.jpg" width="300" height="150" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>　のように四つの母音記号をつけて五種類の母音を表します。さらに、この文字同士を、頭字、足字、前置字、後置字、再後置字を組み合わせて発音を表します。</p><p><br /></p>

<p>例えばチベット語で数字の8を表す単語は、</p><p><br /></p>

<p><img alt="TibetanSyllable.jpg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/TibetanSyllable.jpg" width="300" height="150" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p>と書くのですが、アルファベットに転写すると brgyad となり、現代のチベット語では、ギェーッという発音になります。東チベットでは、ジェーッというふうになります。綴り通りの古い発音が残っているラダックなどの地方では、ブルギェッドに近いような発音になるようです。とても複雑ですから、基字を覚えてから、文字の組み合わせと出来上がる音のパターンを覚えるというだけでも、2〜3ヶ月くらいかかるかもしれません。声を出しながら繰り返しノートに書くというような、子供の頃に文字を覚えたのと同じやり方で覚えるしかないようです。</p><p><br /></p>

<p>　チベット人は日常生活の中でも文字をとても大切にします。文字の書かれたものは、仏典はもちろん、新聞やメモ書きであっても床に置いたり跨いだりは決してしませんし、もしも不要になったとしても丁寧に燃やして処分します。僕の部屋などは、あちこちに研究資料が散乱していたりしますから、部屋にやってきたラマに呆れられることもあります。そのように文字を大切にしなければならない理由を尋ねると、少し仏教の素養のある人なら「それは、お釈迦様が、私の教えは濁世には文字の中にしか残らないから、文字を私だと思って大切にしてくれと言い残したからさ」と答えます。それは確かにそうなのですが、僕には少し教科書的すぎる回答だとも思えるのです。チベット人が経典を収めた大きなマニ車を回しているのを見たことのある人も多いでしょう。また、仏塔や仏像を作る時には、中に陀羅尼を書いた巻紙や経典を沢山詰め込みます。そのようにお経そのものを崇拝の対象として扱うことには、仏教が危機にさらされた時にも教えが復活するように、という願いも込められているのでしょうが、文字そのものに神秘的な力が宿っていると認識されているようにも見受けられます。チベット仏教の伝わる地域では、よく真言を旗に刷ったり石に刻んだりしたものが飾られていますが、そこには、雨風にさらされて文字が消えて行くとともに、捧げた祈りが神仏に届くという素朴な感覚が根底にあるのです。</p><p><br /></p>

<p>　アジアの古典的な学問おいては、意味は全く分からなくても、まず声を出してすらすらと朗読し、暗唱するという訓練を長い期間かけて繰り返していきます。チベットのお寺でも、入門したばかりのお坊さんたちが毎日何年間もやるのは、簡単なお説法を聞く以外には、習字と読経の練習だけなのです。読んでいるお経自体は、非常に深遠な内容を語っているものなのですが、小坊主さん達は、その意味を全く知らずに読み上げたり書き写したりしているのです。文字が意味するところよりも、形と音をまず徹底的に身に付けるということをやらせるのです。それこそがお経の中身を学ぶ基礎だと考えられているのです。これを若い時に身に付けておくと、あとで密教の修行をするようになったときに、種字を観想しながら真言を唱えるような瞑想においては、文字の形や音に意識を集中する能力として大きく役立ちます。</p><p><br /></p>

<p>　文字を読むということについては、こんな話があります。ある家の仏壇に、お経が収めてあるのだけれど、それを読める人がいない。やっとのことで隣の村から字が読めるというお坊さんを連れてきてお経を上げてくれとたのんだそうです。でも、そのお坊さんは左から右へと呼んでいくお経を、左から右へ、右から左へ、と交互に読んで行ったんだそうです。それを不審に思った家の主人が、どうして折り返しながらも読んでるんですか？と聞いたところ、「なんだって？手ぶらで帰れってのかい？」といったそうで。このような素朴な味わいの小咄が成立する背景には、文字を知っているということの第一義は、声を出して読める、ということであり、それ自体が大変ありがたいことだったことが伺われます。</p><p><br /></p><p>
　チベット語を学び始めるとすぐに、日常生活の会話の中には仏教用語が浸透していることに気がつきます。例えば「ありがとう」は「トクジェ・チェ（ご慈悲）」といいますし、「あぁ、かわいそうに」というように「ニンジェ（慈しみ）」といったり、「こんにちは」や「おめでとう」を「タシ・デレク（吉祥がありますように）」と表したりします。このようなことは日本語の中でもいくらか起こっているのですが、日本の例と比べると、チベットの日常会話に浸透した仏教用語は、もともとの意味からあまり遠く離れずに残っているような印象をうけます。それに、人の名前も仏教用語から付けられている人が多いことが分かります。サンギェ（仏陀）さん、ドルジェ（金剛）さん、ソナム（功徳）さん、タシ（吉祥）さん、デチェン（大楽）さんなどなど。</p><p><br /></p><p>

</p><p>　このあたりまで勉強するだけで、チベット語のカタカナの固有名詞などが、本来はどのような発音なのか、どのような意味なのか、ということが少しずつ分かってくるようになりますから、チベットやヒマラヤ周辺地域の歴史や文化について書かれた本を読むのが楽しくなってくると思います。それに、簡単なお祈りの文句を覚えたりするのも楽しいでしょう。本格的にチベット語を話せるようになろうとか、ラマのチベット語での法話が理解できるようになろう、という程の目標を持っていなくても、文化や歴史に触れる第一歩として文字と発音を覚えてみるというのもいいことなのではないかと思います。</p><p><br /></p><p><img alt="kawachen_tibetan_intensive_class_for_blog.JPG" src="http://www.higan.net/himalaya/images/kawachen_tibetan_intensive_class_for_blog.JPG" width="322" height="248" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p><p>　僕が最初にチベット語の手ほどきを受けた「カワチェン」のケルサン・タウワ先生が、年に二回、チベット語の初心者向け集中講座を開いています。文字と発音、習字、初歩的な会話などを習うことができます。次回は、ゴールデン・ウィークに行われる予定です。&nbsp;</p><p><br /></p><p>※講義の詳細は<a href="http://www.kawachen.org/class.htm">カワチェンのウェブサイト</a>でご確認ください。</p>]]>
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    <title>日本のみなさんへ</title>
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    <published>2011-03-25T07:52:02Z</published>
    <updated>2011-03-25T07:56:54Z</updated>

    <summary><![CDATA[　今回の震災と津波、それに伴う二次災害に直面している皆さん、特に、三陸地方や北関東沿岸部で直接大きな被害に遭って、ご家族を亡くされた方々、家や財産を全て失って避難生活をしている皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。&nbsp; ...]]></summary>
    <author>
        <name>佐藤剛裕</name>
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        <img src="http://www.higan.net/himalaya/images/blog_special.jpeg"  />
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        <![CDATA[　今回の震災と津波、それに伴う二次災害に直面している皆さん、特に、三陸地方や北関東沿岸部で直接大きな被害に遭って、ご家族を亡くされた方々、家や財産を全て失って避難生活をしている皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。&nbsp; ]]>
        <![CDATA[<div><br /></div><div>　僕は Twitter で、主に東京周辺にいる友人たちのツイートから地震が起きたことを知りました。地震が起こった時に、皆さんも、まずは一番大切な家族や恋人の無事を確認したことでしょう。そして次には、友人たちを思い出したり、仕事で関わりのある人々を気遣う気持ちが湧いてきたと思います。そこから次第に、見ず知らずの大勢の人々が災害によって自分よりももっと苦しんでいることや、日本語が分からない外国人が不安を感じていることに思いを馳せようという呼びかけが広まりました。数日後に、無事が確認できた被災地の友人たちとも連絡が取れるようになり、時折お互いを励ましあう言葉を交わせるようになったことは、うれしいことでした。その後も経過を注視しているのですが、地震が起きた直後から現時点まで、皆さんが冷静さを保ち、お互いにおもいやり、助け合って、この事態を乗り越えようとしていることが伝わってきます。&nbsp;</div><div><br /></div><div>　そのような様子を見ていると、日本人の精神性の欠陥について、これまでいろいろなことが言われてきたけれども、日本という国で暮らしている人々の中には、危機的な状況に直面したときに、個々人の心の中から、利他心や公共性と呼ばれるようなものを生み出す精神文化がしっかり根付いているのを感じます。こういう危機を乗り越える力というものは、政治・宗教のような権力機構や、市場原理の中からではなく、個々人が自分の心を見つめるところから湧き上がってくるものだという知恵を、とくに誰からも教えられることなく知っているのではないでしょうか。そう思うと、あまり心配しすぎなくてもいいとも思えるのです。&nbsp;</div><div><br /></div><div>　いま現在も、余震や原発事故の危険にさらされて恐れを感じたり、被災して亡くなった方や今も苦しんでいる人々に対して、自分には何も出来なかったという思いに悩まされている方も多いことでしょう。そのような時は、感情や思考が、心の中のどこから生じてきて、どこに留まって、どこに消え去っていくのか、ということをただ見つめることで、だんだん心が静まっていくことを感じるように心がけてみてください。皆さん、知らず知らずのうちに身体に緊張を感じているとおもいますから、くれぐれも身体をいたわって、無理をなさらぬようにしてください。&nbsp;</div><div><br /></div><div>　僕も、ここネパールで研究生活を送る中で、自分に出来る限りのことをやっていきたいと思います。次回からは、ようやくヒマラヤ周辺地域の文化をレポートするような内容の記事をお送りします。&nbsp;</div><div><br /></div><div>※写真：中央に観音菩薩、右手に緑ターラ、左手に白ターラの石像。黄色く塗られていますけれど。</div>]]>
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    <title>1995</title>
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    <published>2011-02-24T06:04:05Z</published>
    <updated>2011-02-24T06:20:39Z</updated>

    <summary>　ちょうど16年前のことです。 　その頃僕は、横浜にある実家に暮らしていて、春休みなので部屋で夜更かししていました。朝になった頃に、ぐらーんと足下をすくわれるような揺れを感じたのです。その時は、徹夜のせいで眩暈がしたのだろうと思って寝てしまったのですが、起きてからテレビをつけると、高速道路が倒れている光景が映っていました。それが阪神淡路大震災でした。それから...</summary>
    <author>
        <name>佐藤剛裕</name>
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        <category term="チベットとの出会い" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="オウム真理教" label="オウム真理教" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="ケツン・サンポ・リンポチェ" label="ケツン・サンポ・リンポチェ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="ニンマ派" label="ニンマ派" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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    <category term="中沢新一" label="中沢新一" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="虹の階梯" label="虹の階梯" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[
        <img src="http://www.higan.net/himalaya/images/sujata.jpeg"  />
        ]]>
        <![CDATA[<p>　ちょうど16年前のことです。</p><p><br /></p>

<p>　その頃僕は、横浜にある実家に暮らしていて、春休みなので部屋で夜更かししていました。朝になった頃に、ぐらーんと足下をすくわれるような揺れを感じたのです。その時は、徹夜のせいで眩暈がしたのだろうと思って寝てしまったのですが、起きてからテレビをつけると、高速道路が倒れている光景が映っていました。それが阪神淡路大震災でした。それから僕は、連日、瓦礫となった町で工場や住宅が燃え続ける様子が映し出されるテレビに釘付けになっていました。</p><p><br /></p>

<p>　しばらくたったある日、アルバイトに行くために家を出ようとしたら、僕より早く家を出て赤坂方面に向かっていたはずの母親が、何だか腑に落ちない顔をして戻ってきました。地下鉄でテロがあって、なんだか大変なことになっているようだから帰ってきたのだというのです。その後のテレビのニュースで、地下鉄にサリンが撒かれたらしいこと、それがオウム真理教の仕業らしいことが報じられているのを見ました。そこに映された、霞ケ関の駅の周辺にパトカーや救急車が集まっている光景は、つい先日起こった阪神淡路大震災を彷彿とさせるものでした。テレビのニュースやワイドショーは、それからも連日、オウム真理教というチベットの仏教を模倣した新興宗教の姿を映し出していました。</p>]]>
        <![CDATA[<p><br /></p><p>　オウム真理教という宗教団体については、この事件の前には、変な人たちが選挙に出ているんだな、という程度の認識しかありませんでした。その後のさまざまな報道からは、この人たちがやっていることは、チベットの人たちが伝える仏教とは、どこか根本的なところで大きな違いがあると感じられました。彼らはオカルト雑誌に出てくるような、密教の修行によって空中浮遊をしたり透視をしたりといった、超能力や超越的な神秘体験を得ることを期待しているようでした。そこではグルに絶対服従することばかりが要求されていて、自分自身の心を見つめるということが全く疎かにされているようにも見えました。なによりも、おかしな服を着て、富士山の麓のプレハブで集団生活をしている彼らの様子には、僕が映像を通して知っていたチベット人の持っている野性的なたくましさが、全く欠けているように見えたのです。</p><p><br /></p>

<p>　それに、いくら「すべての現象は空である」というような仏教の高度な見解に立っていたとしても、いくら権力者が作り出した社会の仕組みに対して批判的な思想を持っていたとしてとも、現実世界において大量無差別殺人のようなことをやっていいはずはありません。なぜなら、仏教というのはニヒリスティックなものの見方をしながらも、現実社会の中で苦しんで生きている人々に対しては深いところから湧き上がる愛情をもった思想だからです。</p><p><br /></p>

<p>　僕には、何かに脅えて後ろめたそうにしている、あの青白い顔の連中が、ヨーガ行者としての深い体験を得ているようには到底思えませんでした。追及を逃れようとオウム真理教の人たちが発している言葉を聞くと、空々しい気持ちになったものでした。彼らなどよりも、毎週末のようにナイトクラブや野外レイヴで踊り明かしているようなパーティ・ピープルのほうが、よほどチベット人たちの生き方に近いプリミティブさや愛情を持っているように思えました。</p><p><br /></p><p><img alt="DolpoDance.jpeg" src="http://www.higan.net/himalaya/images/DolpoDance.jpeg" width="600" height="450" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></p>

<p><br /></p><p>　そのように、オウム真理教として形を結んでしまった何かに対しての嫌悪を感じる一方で、オウム真理教を批難しているマスコミにも大きな違和感を覚えました。マスコミに登場して発言する人々の多くが、宗教的な行為そのものを否定しているように思えたのです。弱い立場に立っている人々が神や仏にすがったり、人生に疑問を感じた人々が精神的な探求を行うために日常生活を離れるようなことまでをも、真っ向から否定するような言説があちらこちらでみられました。「宗教というものは、もとより反社会性を伴った両義的なものである」という趣旨の発言をした宗教学者が「オウムを擁護している」と糾弾されて大学の職を追われるほどでした。</p><p><br /></p>

<p>　また、マスコミに登場するチベット仏教の研究者は、ここぞとばかりに「オウムは、ニンマ派の入門書である『虹の階梯』の影響を受けた。ニンマ派のような、ろくに学問も行わないで密教の体験を重視するような考え方は間違っている。もっと論理学や戒律を重んじなければならない」というようなニンマ派批判を繰り広げていました。そのような言説の多くは、チベットの政権を担ってきた最大宗派であるゲールク派の政治的立場の影響下にあるものでしかありませんでしたし、非常に極端なものの言い方に思えました。そのように、頭で理解したり、外側から行動を規制することだけが仏教なのか？そこからは共同体を作り上げる論理しか生まれてこないのではないだろうか？あのチベット人たちの伝えている宗教の本質はそれだけのものなのか？という大きな疑問も生まれました。</p><p><br /></p>

<p>　この1995年の春休みに立て続けに起こった二つの大きな事件を通して、僕はこの文明社会というものが、子供の頃から信じさせられてきたほどには確固なものとしてでき上がっているものではないと思うようになったのです。その当時、参与的な観察を行う手法でニンマ派の思想の研究をしてきた中沢新一先生のもとで、宗教人類学のような学問を学びはじめていたということは、もちろん大きく影響していたと思いますが、僕には、世の中全体がなんだかおかしな方向に向かっているように見えたのです。そして、こういう世間を作り上げているような理屈を完全に信じ込んだまま生きていくことが、自分の目指していく生き方ではないのだろうという認識が、はっきりと心の奥に芽生えたのでした。</p><p><br /></p>

<p>　その年の夏休みに、僕はバックパックを背負ってアジア旅行をしました。タイ、マレーシア、シンガポールを鉄道で回ったあと、ネパールに飛んで、陸路でインドに行きました。ネパールのルンビニからインドのビハール地方の仏蹟を巡りながら、『虹の階梯』という本を読みました。旅の終わりには、ネパールのボードナートという大仏塔のある町で、その『虹の階梯』の語り手である、故ケツン・サンポ・リンポチェに初めてお会いすることができました。ケツン先生は、夏休みの旅行中だと言って訪れた中沢先生の教え子の僕をとても穏やかに迎え、あたたかい言葉をかけて下さいました。僕が「この『虹の階梯』を通して、私たち日本人に教えを説いて下さって、ありがとうございます」と述べると、ケツン先生は「いいえ、それは私の教えを訳してくれた中沢先生にお礼を言ってください」とおっしゃったのが一番印象に残っています。仏教を学びヨーガの修行を積んだ方とは、まさにこういう人のことなのだと、深い感銘を受けたのでした。ほんの少しでもいいから、あの先生のような、つつましさやあたたかさを身に付けることができたら、それだけで僕の人生は有意義なものだったと言えるようになるのではないかと思いました。</p><p><br /></p>

<p>　このようにして、僕は、本格的にチベットの仏教を学ぼうという決意をしました。そのケツン・サンポ先生を始めとして、その頃のチベット人のラマ達の多くが、チベットの会話や読み書きが習得できるまでは密教については一切教えない、という考えに立っていましたから、僕は、まずはチベット語を勉強しようと心に決めたのです。</p>]]>
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    <title>チベットとの出会い</title>
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    <published>2011-02-05T23:33:44Z</published>
    <updated>2011-05-16T12:00:44Z</updated>

    <summary>　これから僕がどんなふうにチベット仏教と出会ったのか？どうしてチベット仏教を学ぶことになったのか？ということについて書こうと思いますが、なかなか一筋縄ではいかない作業です。その問いの答えは、物心のついた中学生くらいからの個人的な体験にとても深く関わっていますから、思うがままに書けば書くほどチベットやヒマラヤのこととも仏教のことともあまり関係ない話が多くなって...</summary>
    <author>
        <name>佐藤剛裕</name>
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        ]]>
        <![CDATA[<p>　これから僕がどんなふうにチベット仏教と出会ったのか？どうしてチベット仏教を学ぶことになったのか？ということについて書こうと思いますが、なかなか一筋縄ではいかない作業です。その問いの答えは、物心のついた中学生くらいからの個人的な体験にとても深く関わっていますから、思うがままに書けば書くほどチベットやヒマラヤのこととも仏教のことともあまり関係ない話が多くなってきそうですし、ブログの連載全体を通じてようやっとおぼろげに描き出せるようなものだと思うのです。とはいえ、書き出しのところで自己紹介するのも悪くないですから、ざっとかいつまんでお話しましょう。</p>
<p><br /></p>
<p>　この彼岸寺でブログを連載されているのは、先祖代々お寺を受け継いできた家の方だとか、熱心な仏教徒の家庭に生まれた方が比較的多いかと思うのですが、僕はカトリックの家庭に育ちました。父方が東北地方の明治初期にカトリックに改宗していた家だったので、僕も生まれてすぐに幼児洗礼を受けて教会のミサや日曜学校に通ったり、中学と高校は神奈川のはずれのほうにあるイエズス会の男子校に通っていました。まぁ、高校生くらいになると外で遊んでいるほうが楽しいですから、教会にもクリスマスくらいにしか行かなくなってしまいましたが。母方の実家は山梨の仏壇と神棚が両方あるような普通の家でしたから、どんど焼きや盆踊りなど季節の行事には普通に慣れ親しんでいましたし、時には法事に出ることもありましたから仏教についても日本人がごく一般的に抱いているような理解をしていました。</p>]]>
        <![CDATA[<p><br /></p>
<p>　中学生くらいのころ、チベットといえば、ヒマラヤの奥地にある高原地帯にその昔は吐蕃王国と呼ばれていた神秘的な国があってダライ・ラマという何世代も生まれ変わっているラマ教の王が治めているらしい、というくらいの印象でした。ラマ教といわれているものが仏教だということすらよく知らなかったように思います。前世の記憶を持っている霊童がいるといわれていることに、なにやら空恐ろしいものを感じたのを覚えています。</p><br />
<p>　僕がチベット仏教というものに初めて触れたのは、中沢新一先生の書いた『チベットのモーツァルト』という本がきっかけでした。当時の中沢先生は、ニューアカデミズムの旗手としてメディアでもてはやされていた人気者で、この本は、かなり難解だというのにも関わらず大ベストセラーとなっていたのです。僕があの本を最初に読んだのは、出版されてから数年後の高校三年生の時だったと思います。高校の図書館の本棚の間でなんとなく手に取ってページをめくった時の光景を今でも覚えているのですが、この本の最初のほうに出てくる「孤独な鳥の条件」という文章で、「ポワ」という霊魂を極楽浄土に向けて送り出す瞑想技法の修行を通じて一種の幽体離脱体験を味わったけれども、それをラマに報告すると、そんな体験はただの幻に過ぎないのだといなされてしまったというシーンに衝撃を受けて身震いしました。</p><p><br /></p>
<p>　この本には他にも、浄土思想と密教の関係性や、マンダラと都市の話だとか、いま僕が主な研究テーマにしているチュウの儀礼についての論考などが収められているのですが、当時は前提とすべき知識も何もなかったので、正直に言うと全く意味が分かりませんでした。ですが、一見するとフランス現代思想のレトリックを巧みに駆使して洒落たことを言っているようにみえるのを剥ぎ取りながら、なんとかそこに込められたメッセージを解読していくと、そこでは「頭だけではなく手足を動かして身体感覚をフルに稼働させてものを考えろ」というような、実のところものすごく泥臭いことが言われているのではないかと子供ながらに共感を覚えました。</p><br />
<p>　僕は美大に入って音楽をやろうと思って予備校の美大受験コースにこっそり通ったりしていたのですが、両親の反対にあって悩んだりしていたところ、たまたま中沢新一先生が中央大学の新設学部に教授として就任したという知らせを目にして受験して、なんとか二回目で合格して入学することになったのです。中沢先生の最初のゼミの自己紹介で「僕は美大を目指していたけれども先生のところで宗教学の勉強をしながら作品を作ったりしていこうと思います」なんていうことを言ったら「自分の精神を磨かないうちから表現なんてするんじゃない！」と言われてしまい、ポカーンと頭を打たれたような気持ちになったのも懐かしい思い出です。</p><br />
<p>　その大学一年生の時の宗教学入門のようなゼミでは、バタイユの『エロティシズム』やミシェル・レリスの『日常生活の中の聖なるもの』などのシュールレアリズム運動に関わりのある思想家達の文章を読んでいました。その頃は先生は大学の講義やゼミの中でチベット仏教に直接触れることはあまりなかったのですが、その年の最後の授業で1960年代に <a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Arnaud_Desjardins">Arnaud Desjardins</a> というフランスの監督が撮った Le Message des Tibétains: <a href="http://www.youtube.com/watch?v=CZYHN5uBY38">Le Bouddhisme</a>/<a href="http://www.youtube.com/watch?v=P3rkTUobum0">Le Tantrisme</a>という貴重なフィルムを見せてもらいました。亡命直後のチベット人達がインド・ネパールでどのように過ごしながら仏教を伝えようとしていたのかを初めて目にしたのです。カギュ派のラマが高度なヨーガのやり方を弟子に伝授したり実際にやっている映像など、ちょっと普通に旅行したのでは到底遭遇できないような場面がいくつも出てきてかなり衝撃を受けました。</p><p><br /></p>
<p>　その年の冬休みには先生やゼミの仲間達と野尻湖で合宿をして雪合戦したり風呂上がりに卓球したりして楽しく過ごしたのもよく覚えています。</p><br />
<p>そうして僕は1995年の春を迎えたのでした。</p><p></p>]]>
    </content>
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    <title>連載開始！</title>
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    <published>2011-01-27T01:08:48Z</published>
    <updated>2011-09-25T00:50:46Z</updated>

    <summary>　皆さん、はじめまして。佐藤剛裕と申します。学部生の頃からチベット・ヒマラヤ周辺地域に伝承されてきた仏教や文化の歴史について研究するとともに、一人の仏教徒として教えを学んでいます。昨年 Twitter で松下さんと出会ってイベントに呼んでいただいたことがきっかけとなり、ここ彼岸寺でブログ『ヒマラヤ求法巡礼記 ー極楽デッド・オア・アライヴー』を書くことになりま...</summary>
    <author>
        <name>佐藤剛裕</name>
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    </author>
    
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    <category term="ネパール" label="ネパール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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        <![CDATA[<p>　皆さん、はじめまして。佐藤剛裕と申します。学部生の頃からチベット・ヒマラヤ周辺地域に伝承されてきた仏教や文化の歴史について研究するとともに、一人の仏教徒として教えを学んでいます。昨年 Twitter で松下さんと出会ってイベントに呼んでいただいたことがきっかけとなり、ここ彼岸寺でブログ『ヒマラヤ求法巡礼記 ー極楽デッド・オア・アライヴー』を書くことになりました。宗派を越えて集まった同世代の僧侶の皆さんと一緒に、いまという時代を生きる仏教のありかたをさぐろうという運動にこうして参加できることを心からうれしく思っています。</p>
<p><br /></p>
<p>　このブログでは、僕がヒマラヤ文化圏を訪ね歩きながら見たものや出会った人から聞いたことについて書いていきたいと思っています。まずは僕がどのようにチベット仏教と出会って足を踏み入れていったかというような思い出話から始めて、いま拠点としているネパールの首都カトマンズの郊外の古い大仏塔のあるボードナートという町から見たチベット仏教世界の様子を描いていこうと思います。ヒマラヤ周辺地域で暮らしている人々が、現代の政治経済の状況の変化とどのように対峙して生活しているのか、その中で伝統的な文化をどうやって継承していこうとしているのかを、あまり飾り立てずに紹介していきたいと思っています。</p>]]>
        <![CDATA[<p><br /></p>
<p>　僕がなぜここで「あまり飾り立てずに」なんていうことを気にしているかというと、これまでのチベットの仏教や文化の海外への紹介のされかたが、どのくらい今の現実に即しているのかということが大いに疑問に感じられるようになってきたからです。90年代の後半から2001年ごろにかけてインド・ネパールのチベット文化圏や亡命キャンプをよく旅していましたが、しばらく日本で社会人のようなことをしていた後に研究の道に復帰しようと2008年に再びインド・ネパールを訪れたときに、自分が記憶の中に思い描いていたようなチベット仏教社会というのが大きく形を変えつつあることにある種の衝撃を受けたのです。チベットの仏教を伝えてきた人々は世代交代の進む中で、グローバル化が進行している世界に向かって次の一歩を踏み出そうともがき苦しんでいるようにさえ見えます。</p>
<p><br /></p>
<p>　それでもまだ、一般的なメディアには、チベット仏教をむやみに神秘のベールにつつまれたものとして扱ったり、または巨大な寺院組織を絶対的な権威のあるものとのして崇めたりする一方、古い伝統に属する教えを不純な要素を含んだ堕落した教えだとさげすんだりするような歪んだ言説がいまだに散見されます。それに海外布教に熱心なラマ達がどんどん増えていて、その取り巻きの外国人弟子達の発する情報というのがどこまで公正なものであるか、だんだんあやしくなりつつあるようです。僕たち日本人は、そういうものに出来るだけ巻き込まれないようにしなくてはならないように思うのです。</p>
<p><br /></p>
<p>　これは自分でも思い当たる節が大いにあるのですが、チベット文化圏を旅行して写真や映像を撮ったりしていると、その土地がいかに奥深い秘境であるか、チベットの仏教文化がどんなに特異で貴重なものであるかというようなことをいささか誇張気味に宣伝したくなってしまうのが人情というものです。同じように、チベット人達の中にちょっとでも足を踏み入れると、その地点がチベット社会の中心だと勘違いしてしまいますし、学術的な研究などを始めると、自分が読んでいる文献は最も貴重で信憑性が高く、自分の扱っている事例こそがチベット仏教文化の核なのだと確信してしまいます。</p>
<p><br /></p>
<p>　ましてや、ちょっと仏教を修行したりすると、自分が教えを受けている先生がいかに優れているかとか、自分の連なっている系譜がいかに由緒正しいかということが誇りに思えてきたりします。すると、誰か偉い先生が言ったのだから絶対に正しいのだとかいう権威主義だとか、どの本に書かれているのだから絶対に正しいのだというような還元主義にとらわれてしまい、それを人にまで押し付けようとしてしまうことがあるのです。これでは、心の自由を求めてチベットの仏教に興味を持った人にとって、なにか有意義なものをあたえられるどころか、かえって束縛を増してしまうことになりかねません。</p>
<p><br /></p>
<p>　これまでのように無批判に美辞麗句ばかりを並べあげて、チベットが夢のように素晴らしい仏教王国だったような甘い幻想を作り上げていては、僕たちにとって本当に必要なものは何も見えてこないでしょう。こういうことをいうと、いわゆるチベット愛好家の方からは眉をひそめられるようなこともあるでしょうし、熱心なチベット仏教徒の方々からは不謹慎だというお叱りを受けるかもしれません。しかし、余計なフィルターをかなぐり捨てて、いま現在のチベット仏教の抱える課題に目を向けるほどに、それが驚くほど現代日本人の仏教を巡る課題と接近してきていることが分かってきます。そこまで掘り下げていくことで、ようやく日本の仏教徒とチベットの仏教徒の真の対話が可能になるように思うのです。この彼岸寺というインターネット寺院のサイトで、このようなブログを書く機会を戴いたことが、チベット文化圏や日本の社会を、仏教を通して見つめる良い機会になることを願っています。</p>
<p><br /></p>

<p>　さて、この連載のお話を戴いたときに『ヒマラヤ逍遥記』というちょっとソフトな感じのタイトルを考えていたのですが、もう一歩踏み込んで『ヒマラヤ求法巡礼記』とすることにしました。「極楽デッド・オア・アライヴ」というサブタイトルは、松下さんとSkepeで打ち合わせしながら仏教用語とロックっぽい言葉を思いつくままに組み合わせてみたのですが、その中でも松下さんが一番響きがカッコよくって好きだと言ってくれたものを最終的に採用しました。というのもこの案は、ちょっと80年代のダサい洋楽バンドのアルバムの邦題みたいでもあるのですが、今生で空性大楽を味わうことが出来るか死が訪れるのが早いかという瀬戸際で放浪修行を続けていた古のタントラのヨーガ行者達の気概を現しているようにも思えたからです。そういうイメージを、昨年出演したイベント「ニッポン仏教夜話2010」のフライヤーの強烈なビジュアルイメージを担当した京都の鬼才、宇治茶さんに伝えてもらったところ、このような<strike>（ひどい）</strike>ものすごいタイトルバナーができ上がりました。彼の描く絵の勢いに負けないような気概を保ちながら、皆さんにお便りを書くような気持ちで気楽にやっていけたらと思います。よろしければしばらくの間、お付き合いください。</p>]]>
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    <title>連載管理用記事</title>
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    <published>2011-01-13T04:03:26Z</published>
    <updated>2011-01-25T19:23:31Z</updated>

    <summary> ...</summary>
    <author>
        <name>植村宏司</name>
        <uri>http://higan.net/apps/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=73&amp;id=34</uri>
    </author>
    
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