ツァンパの贈り物

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 前回の記事では、新年の祝いに麦が登場する様子や、主食である麦こがし(ツァンパ)を紹介しました。では、それはチベットの宗教生活の中でどのような役割を果たしていたのでしょうか。

 昨年、新年の頃にカトマンズでシェルパ族の友人の結婚式に出たのですが、そこでは新郎の親族から新婦の親族一同への贈り物としてツァンパを練って作ったケーキが振る舞われていました。写真のように新婦のお父さんのもとに最も大きなケーキが捧げられます。愛しい娘を嫁がせる淋しさを慮って、敬意と感謝を込めて贈られるのです。このケーキは、麦焦がしを、三つの甘いもの(黒糖・砂糖・蜂蜜)と三つ白いもの(牛乳・バター・ヨーグルト)で出来た甘露を混ぜてよく練って固めただけのものです。食感はふわっとしてはいないのですが、甘味の中で麦の香ばしさが引き立っていて、とても美味しいのです。

 別のときに、山寺にお参りしたときに開かれた儀式の中の山の神の供養のところで、果物やお菓子、お酒などと一緒に、これと同じ形をしたケーキが捧げられているのにも出会いました。自然からもたらされた収穫物を儀礼的な贈答品にしたり自然神への返礼として捧げる習慣が今に伝えられているのです。このケーキは、密教寺院の儀礼の中で見られるような様々な形や色とりどりのバターの縁飾りなどの様式が発達する以前の御供物(トルマ)の原型だと言えるでしょう。

 またチベットには、古くからツァンパの団子を厄払いに用いる習慣もあります。これはセンとかチャンブーなどと呼ばれるものです。よく練ったツァンパの団子を細長く伸ばして、手のひらでぎゅっと握りしめて自らに染みついた病気などの災厄を込めます。それを野生の鳥や動物たち、そして目に見えない餓鬼たちに食べさせて、お祓いとしていたのです。これは、チベット人が普段ツァンパを練って団子を作るときに、ツァンパを少しつかって手の汚れをとって、そのかすを丸めておいたものを犬に食わせるような、ごくごく自然に行われている生活習慣と地続きのように見えます。手に付いた汚れだけではなく、心身に染み付いた見えない災厄をも吸い取ってくれるという感覚があったようです。

古代チベットでは、麦の耕作技術が伝わる以前の狩猟採集や牧畜を主な生業としていたため、しとめた獲物や家畜を自然への返礼として捧げる供犠が盛んに行われていました。そこに仏教が入ってきた時の様子が伝承として伝えられています。八世紀に仏教を国教として篤く保護したティソンデツェン王は、サムイェ寺を建立するためにインドから大学僧シャーンタラクシタと密教僧グル・パドマサンバヴァを招ました。仏教では生き物に対する慈悲心に基づいて殺生を固く禁じていますから、仏教の導入を好ましく思わない大臣家の者たちが土着の神々に血の生け贄を捧げる儀式を執り行うのを目にして、インドの僧たちは深く嘆き悲しんだといいます。現在ではごくごく少数の僻地の村での調査からしか、供犠が行われているという報告はあがっていないのですが、19世紀頃に東チベットで書かれた説話集にも、村の民間の宗教儀礼で行なわれる供犠の習慣を戒める表現が度々出てくることからも、供犠の習慣の存在は、チベットにおける現実的な社会問題として近代に至るまで議論の俎上に登っていたことが伺われます。

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 チベットに広まっていった仏教の思想は、生け贄を用いた供犠を、供養の儀礼へと変質させていきました。その時に重要な役割を果たしたのが、麦で出来たツァンパでした。そのひとつの例が、ツァンパを用いて身代わり人形(ルゥ)を作って葬る儀礼です。身代わり人形は、災厄を被っている本人を象って作られる場合もあれば、身代わりとなるラマに似せて作られる例もありますが、強力な障害を祓うためには半人半獣の魔物ををかたどるやりかたもあります。この写真の丑・寅・亥の三つの頭を持つ魔物の人形はトーナク・ゴスムと呼ばれるものです。この魔物を使って厄払いをする儀礼で読上げられる詞章を確認してみると、仏教的な要素はあまりなく、むしろ十干十二支や陰陽五行説の影響を受けて発展した呪法のように見えます。

 そのような仏教以前からチベットで行われていたような呪術的な儀礼が現代の仏教徒の間でも行なわれているのは、仏教の教えに沿うような換骨奪胎に成功したからです。動物を生け贄に用いいていた供犠をツァンパで象った身代わり人形に置き換えて、他の生き物を殺めるのではなく自らを象った人形を拠り所として自らの身体を捧げるように、さらには呼び寄せた魔物達も暴力的に退治するのではなく敬意を払って迎えて供物を満足の行くまで捧げて気持ちよくお引き取り頂く、というように作りかえたのです。そうして、現実世界だけでなく想像世界の中ですらも生き物の命を殺めることが無益であるどころか、心の連続体に悪い因を積み重ねてしまうものだとして戒める仏教の思想が、村で呪術を執り行うような民間の宗教者達にも根付くことになっていったのです。

佐藤剛裕 (さとう ごうゆう)
>>プロフィールを読む 文化人類学者。1973年生まれ。中央大学大学院総合政策研究科修士課程修了。ネパール国立トリブバン大学ネパール・アジア学センター客員研究員。現在ネパールにて仏教寺院組織に属さない民間宗教文化の調査を行っている。