第14回:「まいた種はやがて実を結ぶ」カルマ論と、その理論的限界

第14回:「まいた種はやがて実を結ぶ」カルマ論と、その理論的限界

池口:神仏に対して失礼なことをしたり、先祖への供養をおろそかにしたりすると、「罰が当たる」なんて言いますよね。たしかに悪いことしているときはなんとなく後ろめたい感じになりますが、「罰が当たる」とか、「自業自得」とかって、そう言い切れる確証はなかなかないんです。先祖供養をおろそかにしたら、次の日に出社したときに、リストラされたりとかっていうわかりやすい因果関係でもあれば別ですが、基本的にそんなことはない。でも、仏教にとって「業」はきわめて大事な問題で、多くの学説が出されてきたわけです。

辻村:その自業自得のメカニズムについて、説一切有部という学派の説までやってきました。一つは見えない物質的なカルマ(無表業)による説明(第12回)、もうひとつは過去・現在・未来の出来事がずっと存在し続けているっていう世界観(三世実有・法体恒有)に基づいた異熟因・異熟果という説明(第11回)でした。

池口:今日の私たちが常識的に考えれば、三世実有っていう思想は、まぁありえないわけです。ドラえもんの世界のようにタイムマシンがありえるとすれば、過去や未来っていうのがどこかに実在していないとアクセスできませんが、現実的にはそう考えている人はいないでしょう。
昔のインド人が私たちと同じような思考のプロセスを取ったかはわかりませんが、説一切有部の思想には批判的な見解を持つ人が出てきました。

辻村:経量部って学派ですね?『阿毘達磨倶舎論』のなかで「我々はただ、経のみを量(正しい認識手段)とするけれど、論を量とはしない」[山口・舟橋: 273](国訳98)という立場で、説一切有部に反論するんですよね。

池口:インド仏教の四大学派の一つですね。でも、それほど重んじられているにもかかわらず、不思議なことにこの学派の思想をまとめた著作は一つも存在しないんです。説一切有部の思想をまとめた『阿毘達磨倶舎論』や『大乗成業論』などのなかに、「経量部の説では...」と紹介されるところで断片的に思想がトレースされるぐらいで...。
『阿毘達磨倶舎論』の著者世親の立場って、「理長為宗(理の長ずるを宗と為す)」とかって言われますが、説一切有部の理論のウィークポイントを補うためには、経量部の理論がきわめて有用だったんだろうと推察されるわけです。

辻村:経量部の人たちは、三世実有ってやっぱおかしい、未来の出来事はまだ存在しないし、過去の出来事も過ぎ去って無いっていうんですよね(過未無体)。ありえるのは現在だけ(現在有体)。そうした時間の捉え方でいけば、現在の業が未来の結果を生み出す能力を獲得して(取果)、その業が過去に移行しても実在し続け、条件が整えば現在に結果を生じさせる(与果)、という時空を超えた遠隔操作的な説一切有部の考えはおかしいということになります。

池口:それで代わりに持ち出してくるのがいわゆる種子説あるいは相続転変説です。世親は『大乗成業論』のなかで「まさに果の種子において、よく長養するがゆえに、よく果を引くと名づくべし」[T1609_.31.0783b20]と述べていますが、つまり、悪業を犯したら、心の中に「種」を撒くことになって、その「種」は環境が整えば、発芽して、茎や葉を生じ、やがては花を開く―――「種」が相続し、転変して、業の結果を獲得するわけですね。すごくわかりやすい説明だと思いませんか?

辻村:業の影響は心の流れとともに絶え間なく続いて、変化して果を結ぶってのは、例えば嘘をついてそれがバレるのを気にしてるうちに胃が痛くなる場合のように、自分だけで完結する出来事としてなら分かる気がしますね。でも、業の結果の段階で他者が絡むとなるとどうなるのか、という疑問は残りますが、それはひとまずおいときましょう。仏教では「滅尽定」という、心の働き・意識の流れが一切停止する瞑想があるとされていて、この場合に種子説の限界があるとされる。心の流れが停止すれば、業の影響もそこで途絶えてしまうからですね。せっかく発芽して育ってきたのに、全部消えて無くなってしまう。それに、行為の元となる意思作用(思)も停止しているわけですから、瞑想状態からどうやって抜け出すんだ?ということになります。

池口:それで、深層的な識と、表層的な識を分けて考える必然性が出てくるんですね。瞑想して心を整えていくのはいいですが、瞑想を極めすぎたゆえに意識が薄らいでいって、手足の動かし方もわからなくなったら困りますからね(笑)
ともあれ、世親が、さまざまな学派の説を渉猟してまとめあげながら、多くの著作を遺したことで、仏教史は大きく変わったといえるでしょうね。次回は、深層意識と、表層意識のことについて触れていきたいと思います。

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<参考文献>
佐藤密雄訳 1990(1978)『佛典講座41 大乗成業論』、大蔵出版
山口益 1951『世親の成業論』、法蔵館
加藤純章 1989 『経量部の研究』、春秋社。


スートラ1980 (すーとら1980)
>>プロフィールを読む 「フリースタイルな僧侶たち」の池口龍法(代表)と辻村優英で構成される。現代社会の日常的視点から経典を読む「経典をナナメから読む会」を2011年12月より毎月主催している。