第11回:タイムカプセル的因果論

第11回:タイムカプセル的因果論

辻村:今日(本稿執筆当時)はね、マクドでビッグマック1個買ったらもう一個無料でついてくるというんで、昼ごはんに、合計3つ食べたんですよ。池口さんは昼ごはん何食べたんですか?

池口:僕は日本人らしく、ご飯と味噌汁と魚の煮付けですよ。

辻村:その池口さんの食事が原因で、僕はビッグマックを3つ食べることになったんですよ!って言ったらどうします?

池口:気が触れたんじゃないかと思いますよ。

辻村:僕もそう思います(笑)でも前回で触れた説一切有部はこう考えたんですよね。「能作因」といって、「その存在を妨げないすべての他の存在」も原因の一つとみなされる[T1558_.29.0030a14-19]。僕がビッグマックをほおばった瞬間、それ以外のすべての存在は僕がビッグマックを食べることを可能にする原因になっていると。

池口:つまり僕が辻村さんのビッグマックを強奪して食べたりしなかったかぎりは、辻村さんが太っていく原因の一端を担った共犯者だという...。

辻村:そうなると世界中の人の罪を世界中の人が共有しないといけないから大変ですね(笑)でも逆に、能作因は、今の自分はみんなの「おかげさま」って考えにもつながるし、自分が存在できる最も基本的な条件だと思うんですよね。いずれにせよ、こうした広い視野で捉えた因果論を説一切有部は説く。原因として6種(能作因・倶有因・同類因・相応因・異熟因)を数える六因説は『大毘婆沙論』で言われているように説一切有部が独自に考案したものなんですが[T1545_.27.0079a26-27]、特に業(カルマ)と関係するのは「異熟因」というやつですね。

池口:『阿毘達磨倶舎論』には、「異なって熟するのが異熟である」「熟とはすなわち相続の特殊な変化から生ずる」(桜部 1969:  372)と説かれています。
ビッグマックを食べ続けているときは至福の瞬間だったりするけれど、あとでおなか痛くなったり、胸焼けしたりするってやつですね?

辻村:仮にビッグマックを貪るのと腹痛との間に業の因果関係があるとした場合の話ですが、貪りの心で無茶食いした瞬間、その悪業は将来の腹痛という結果を引き起こす能力を獲得する(取果)。これが異熟因。で、その業は過去の中に埋れながらも実在し続け、数時間後に現在の自分に腹痛という苦しい果をもたらす(与果)。これが異熟果。と、こういうメカニズムで説明されるわけですが...まるでタイムカプセル(笑)

池口:まぁ、前回の連載で触れたとおりですが、説一切有部の考え方では、ビッグマックを食べた過去は永遠に消えないということになりますからね。その消えない過去は、いつか私たちに影響を与えてくると理解されることになります。若いときに悪い食生活を続けたことを、ずっと後に後悔することになるかもしれませんよ、辻村さん。
でも、「貪り」は仏教的には自制しなければいけませんが、苦しみ自体は「善悪無記」と定義されるので、腹痛は悪いことでもなんでもないんですよね。お坊さんが腹痛で罰せられたって話は聞いたことがないな(笑)

辻村:言い訳じゃないですけど、実際、食べ物を貪る業が、本当に腹痛をもたらすかは分からないわけで(笑)業がどういう結果を生み出すかについて考えたら気が狂うぞと、釈迦が言ったという記述が『根本説一切有部毘奈耶』にあるんです[T1442_.23.0679c15-17]。この行為がきっとこういう結果をもたらすと、私達は推測しがちですが、必ずしもそうはいかないことばかり。

池口:まぁ、人生、なにが起こるかなんてわからないですから。ガチャガチャだって何が出るかわかっていたら回す甲斐がないですし。
ただ、辻村さんには、異熟について一生懸命論じるよりも、きっちりとカロリー計算をすることをおすすめしたいですね(笑)「能作因」については、昔のインドでは、「その存在を妨げないすべての他の存在」というほどの定義でしたが、今日のような科学的知識があればもっと精緻に記述されていたんじゃないかと思います。ということで、次回は摂取カロリーと贅肉の付き方の因果律について語りましょうか。

辻村:経典談義にカロリー因果律が「肉付け」されるわけですね(笑)ってのは置いといて、次回は「無表」という考えかたの話ですね。




<参考文献>
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西義雄訳 1935b 『国訳一切経 毘曇部26上 阿毘達磨倶舎論』、大東出版。
西義雄訳 1935c 『国訳一切経 毘曇部26下 阿毘達磨倶舎論』、大東出版。
木村泰賢訳 1936 『国訳一切経 毘曇部7 阿毘達磨大毘婆沙論』、大東出版。
桜部建訳 1969『倶舎論の研究―界・根品』、法蔵館。
舟橋一哉 1954 『業の研究』、法蔵館。
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水野 弘元 1954 「業説について」、『印度學佛教學研究』Vol. 2、No. 2、463頁から473頁。
櫻部建・上山春平 1996 『仏教の思想2 存在の分析<アビダルマ>』、角川ソフィア文庫。
斉藤明編著 2011 『「倶舎論」を中心とした五位七十五法の定義的用例集』、山喜房。
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小谷信千代・本庄良文 2007『倶舎論の原典研究―随眠品』 、大蔵出版
青原 令知 2005 「初期有部論書における無表と律儀」、『印度學佛教學研究』Vol. 53、 No. 2、876頁から872頁。
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玉城 康四郎 1979 「業異熟の根本問題」、『印度學佛教學研究』Vol. 27 No. 2、563頁から571頁。
室寺 義仁 1995 「死の定型表現を巡る仏教徒の諸伝承」、『密教文化』No. 190、112頁から101頁。
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スートラ1980 (すーとら1980)
>>プロフィールを読む 「フリースタイルな僧侶たち」の池口龍法(代表)と辻村優英で構成される。現代社会の日常的視点から経典を読む「経典をナナメから読む会」を2011年12月より毎月主催している。