自分の足で歩むこと~「やっぱり おおかみ」より〜

自分の足で歩むこと~「やっぱり おおかみ」より〜

 この絵本の主人公は、こどものオオカミ。ご存知のように、オオカミは絶滅危惧種で、ここ日本ではもう見ることができません。このオオカミも、ほかに仲間がひとりもいなくなってしまった世界で、ひとり寂しく暮らしています。


 オオカミは毎日「どこかになかまはいないかな」と街のなかをうろうろ歩きまわります。ウサギの集まる通り、ヤギが通う教会、おおぜいのブタでにぎわう青空マーケット。でも、どこへ行っても仲間はひとりも見つかりません。それどころか、みんなオオカミを見るだけで散り散りに逃げてしまいます。


 「け」


 そんな目に遭うたびに、オオカミはただそうひと言つぶやいて、とぼとぼ歩き去ります。シカが集まる遊園地や、暖かい夕食を囲む牛の家族を見るたびに、寂しさがつのります。「おれに似た子はいないんだ。」そう言って墓地に寝そべるオオカミのそばを、オバケたちまで楽しそうに踊りながら通り過ぎます。


 ある朝、オオカミは高いビルの屋上で、たったひとつ飛び去る気球を眺めて言いました。「やっぱりおれはおおかみだもんな。おおかみとしていきるしかないよ」と。このとき、オオカミはどんな気持ちだったのでしょうか...。


 わたしたちは、人生のなかでこのオオカミのような経験をすることがあるかもしれません。自分以外に誰も仲間がいない。誰ひとり自分のことを理解してくれる人がいない。この世界にたった一人取り残されたように感じる。そんなとき、誰しも言いようのない寂しさや悲しさに心が塞ぎ、自分を見失うことさえあるでしょう。


 人間は社会で生きるものですから、その中で人とのつながりを感じられないことほど恐ろしいことはありません。現在多くの人がFacebookなどのSNSを通してつながりを求める背景には、孤独を避けたい気持ちがあるのでしょう。自分とおなじ考えの仲間がほしい、自分とよく似た境遇の人と一緒にいると安心する、と考えるのは自然なことです。


 ところが仏教のお経には、一見すると孤独を強調する厳しい言葉が見られます。たとえば、お釈迦さまの言葉を集めた『スッタニパータ』には、修行僧に対して「サイの角のように、ただひとり歩め」と説きます。心の迷いを取り去るために、他人と交わることを戒めているのです。


 また、『無量寿経』には、「(私たちは)この世界にたったひとりで生まれ、たったひとりで死に、たったひとりで来て、たったひとりで去る」という有名な一句があります。どんなに多くの家族や友人に囲まれていても、人間は突き詰めればひとりなのだ、というとても厳しい人間観です。オオカミのように、仲間やつながりを求めてやまない私たちをたしなめるかのようです。


 けれども、これらの言葉は、ただ単に孤独をすすめているわけではありません。仏教はそもそも、人も動植物も自然環境も、あらゆるものがつながりあい、関わりあいながら生きていることを説くのですから。


 仏教は、困難にぶつかったときにこそ「自分の足ですっくと立ち、歩みなさい」と、わたしたちに教えてくれているのです。たったひとり修行に励む行者も、試練のなかで孤独感にさいなまれている人々も、ほんとうは決してひとりではない。たとえ周りに誰もいないように感じられたとしても、仏さまは常にわたしたちを優しく照らしてくださっている。皆がわたしたちとつながっている。そう勇気づけてくれているのです。


 オオカミは、さまよい歩いた末に仲間探しをやめました。「おおかみとしていきるしかないよ」という言葉がどこか清々しいのは、まっすぐ前を向いて歩きはじめたオオカミの姿を、その中に感じることができるからかもしれません。


 大小さまざまな困難に出遭いつつ、喜怒哀楽の波の中をわたしたちは生きていきます。孤独な思いに足がすくんでしまったとしても、このオオカミのように、再び前を向いて歩きだしたいものです。

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佐々木 マキ

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清水智樹 (しみず ともき)
>>プロフィールを読む 1975年愛知県生まれ。博士(文学)。オープンサイエンス合同会社代表社員・編集長。本業のかたわら、優れた絵本を紹介するウェブサイト「絵本らぼ」( https://www.facebook.com/EhonLabo )を運営している。