ほんとうの願いに目覚めたねずみ 『アレクサンダとぜんまいねずみ』より

ほんとうの願いに目覚めたねずみ 『アレクサンダとぜんまいねずみ』より

 この美しい絵本には、2匹のねずみが登場します。いえねずみのアレクサンダと、ぜんまいじかけのおもちゃのねずみ、ウイリーです。人間にきらわれ、いつも追い回されながら暮らすアレクサンダ。自由には動けないけれど、持ち主のアニーにかわいがられてしあわせに暮らすウイリー。なにもかも対照的な2匹ですが、出会ってすぐに大の仲良しになりました。
 ところが、ウイリーがうらやましくて仕方ないアレクサンダは、自分もぜんまいねずみになりたいと思うようになります。ある日、アレクサンダはウイリーから魔法のトカゲの話を聞きました。そのトカゲは、生きものをほかの生きものに変える力を持っているというのです。

 さっそくアレクサンダはトカゲを訪ねます。満月の夜に紫の小石を持ってくるように言われたアレクサンダは、くる日もくる日も紫の小石を探しつづけました。そんなある日、アレクサンダに悲しい知らせが届きます。ウイリーが、新しいおもちゃのかわりに捨てられると言うのです。
 親友ウイリーの窮地に、アレクサンダはどう行動したのでしょうか?

 「ぼくらはみんなごみばこゆきさ」とうなだれるウイリーを前に、アレクサンダは悲しみにくれます。そのとき突然、紫の小石がアレクサンダの目にとまりました。小石を抱えてトカゲのもとへ駆けつけたアレクサンダは、一瞬口ごもったあと、こう言いました。「ウイリーを、ぼくみたいなねずみにかえてくれる?」と。

 この物語をとおして、アレクサンダの心はさまざまに移ろいます。ウイリーと時間を忘れて語らうときの楽しさ、恵まれたウイリーへの嫉妬や羨望、魔法のトカゲの話を聞いたときの驚き、ウイリーの災難を知ったときの悲しさなど...。こうしたアレクサンダの心の動きが、すばらしい絵と文によって、じつに豊かに表現されています。
 わたしたちを取り巻く環境はひとりひとり違うだけでなく、刻一刻と変化し、けっして思い通りにはなりません。それなのに、アレクサンダのようにないものねだりをして一喜一憂するのが人の常です。
 仏教は、思い通りにならずに悩むわたしたちの姿を、「苦」というひとことで表しました。また、「苦」の原因として、燃えさかるような「煩悩」を心の底に見いだしました。かくれ家の暗闇のなか、「ぼくもウイリーみたいなぜんまいねずみになって、みんなにちやほやかわいがられてみたいなあ」とため息をつくアレクサンダの心には、うらやましさや嫉妬心が、煩悩の火となって燃えていたことでしょう。このようなアレクサンダの姿は、水鏡のようにわたしたちを映します。

 ウイリーのようなねずみになって人間にかわいがられるのではなく、大好きなウイリーと、いつまでも一緒にいたい。心に秘められていたそんな思いに気づいたとき、アレクサンダは、はじめてねずみである自分自身を受けいれることができました。ウイリーを羨み、ぜんまいねずみになりたくて悶々と曇っていた心は、さわやかに晴れわたったことでしょう。
 アレクサンダの気づきは、仏教の悟りを思い起こさせます。悟りとは、真実に目覚めることをいいます。この世界から自分にかけられた願いに気づき、変わり続けるこの世界と自分自身とをありのままに受けいれ、無限につながりあう生命のいとなみを知ること、と言ってもいいでしょう。真実に目覚めるとき、わたしたちは「苦」や「煩悩」を払い落としつつ、心やすらかに人生を送ることができるのです。
 わたしたちはほんとうに何を望んでいるのでしょう? この世界から何を願われているのでしょう? そんなことに思いをめぐらせつつ、この絵本を味わってみたいものです。

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清水智樹 (しみず ともき)
>>プロフィールを読む 1975年愛知県生まれ。真宗大谷派教師。真宗大谷派専超寺衆徒。博士(文学)。真宗カウンセリング(DPA)の研究と実践に取り組む一方で、仏教の社会貢献を支援する団体「祇園精舎」の設立に参画。個人アトリエ「Atelier OCEAN」にて絵本やイラストの制作も行う。京都大学文学部卒、同大学院文学研究科修士課程修了、大谷大学大学院文学研究科博士課程満期退学。