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九章二十一話 御師の経済力

こうして、御師は講元の力を借りながら、檀廻りをおこなっていました。御札をはじめ、相当な量の土産品の調達など、莫大な費用と手間が掛かっていたことは言うまでもありませんが、師檀関係の維持にはどうしても不可欠な営業活動でした。

檀廻りの負担は大きかったとは言え、相当の初穂米やお賽銭が御師に入っていたのも事実です。さらに、代参講で宿坊に宿泊してもらえれば、相当の収入も入ります。利益率の高さは、既に述べたところです。

御師の収入は相当のものだったらしいのですが、文化活動に熱心だったことも、その生活の余裕を示すものと言われています。

特に江戸時代後期、関東では能をはじめとする文芸の中心地として大山は知られていました。文化活動自体は御師にとって経済活動ではありませんから、収益があがるというものではありません。

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九章二十話 檀廻りのシステム

村山坊の御師が定宿としていたのは、亀屋と言いました。この亀屋に、これから檀家に配るお土産を運び込んだのです。亀屋を拠点として、必要な量を従者に持たせ、檀家を廻ったというわけです。

遠隔地で、檀廻りが広範囲に及ぶ場合は、檀家1軒1軒を廻ることはできません。講元宅だけ廻っていたのですが、講元宅に檀家が全て集まれるわけでもありません。そうした場合は、どうしていたのでしょうか。

講元や講の世話人などの居宅に、一括して御札やお土産の品を置いていったのです。檀家たちに御札やお土産を渡してくれるよう頼んでおいたというわけです。

初穂米なども、同じです。講元などに、檀家から初穂米を集めてくれるよう依頼しておきます。そして、まとまったら、指定の場所まで送り届けてくれるようにも頼むのです。

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九章十九話 大量のお土産

今まで見てきた檀廻りは、近隣地域を対象としたものですが、遠隔地を対象とした檀廻りの様子を、以下見ていきましょう。

村山坊は1万戸を越える檀家を持っていましたが、現在の千葉県北部にあたる下総国を対象とする天保8年(1837)の事例が、現在明らかになっています。この時に檀家に配付した品物の記録も残っているのですが、その種類と量を列挙してみます。

下総国の89ケ村を廻った時の事例ですが、御札にも2種類ありました。大札と小札です。大札は「糊入札」。小札は「半紙札」と呼ばれていました。「糊入札」が1705枚。「半紙札」が8082枚でした。

「糊入札」をいただいた檀家の方が扱いが上でした。御札が紙の袋に入れられて、糊付けされていたのでしょう。「半紙札」とは、御札が小さいだけでなく、袋にも入れられなかったのでしょう。

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