『ブッダに雲はありますか?』山下良道さんインタビュー(前編) <松本紹圭>

『ブッダに雲はありますか?』山下良道さんインタビュー(前編) <松本紹圭> 山下良道先生と藤田一照先生の『アップデートする仏教』が、日本各地(そしてこれから世界にも!)で伝統仏教界に新たな旋風を巻き起こしています。私の知る限り、一般社会もさることながら、仏教界でも大きな影響を受けている僧侶も少なくありません。私は今回、東京に長期出張する機会があったので、週末を利用して山下良道先生の一法庵をご訪問してきました。山下先生は『青空としてのわたし』という単著も最近出されたばかりです。

鎌倉湘南、稲村ケ崎駅から徒歩五分。駅の公衆案内地図には「一法庵」の文字とともに、オレンジ色の衣をまとったお坊さんのアイコンが掲載されて、地元に溶け込みつつあることが分かります。訪問した日は接近する台風のおかげで絶好のサーフィン日和。お寺へ向かう道すがら、大勢のサーファーたちの姿が見えて、ちょっとした観光気分も味わえました。

お寺に着いたちょうどそのとき、一法庵で開かれている吾妻麗子先生のヨーガクラスが終わったところで、満杯の会場には参加者の楽しい声が響いていました。インタビュー場所は、一法庵のすぐ前の海の見えるカフェ。カップルや家族連れで賑わうオシャレなカフェの一角に、オレンジ色の袈裟の山下先生が異空間を作り出していました。

なお、このインタビューは本を読んでからのほうが理解しやすいと思いますが、読まれたことのない方のために少しだけ簡単に補足します。

アップデートする仏教』においては、山下先生と藤田先生の仏教遍歴を踏まえた対話から、「日本伝統仏教(私の言葉で言えば、先祖教+大乗仏教)を仏教1.0、タイやスリランカの上座部系仏教(日本で最近受け入れられつつある瞑想仏教)を仏教2.0としたときに、これからの仏教のあり方を仏教3.0で語れるんじゃないか」というアイディアが提起されます。

また、『青空としてのわたし』では、瞑想に関して「誰が瞑想するのか」という「瞑想する主体」というテーマが前著よりもさらに詳しくなり、自己の認識を「雲」から「青空」へと転換することで開けてくる世界について語られています。

以上、インタビュ--理解の助けに少しでもなれば幸いですが、到底、両著の内容を数行で語り尽くせるものではありません。もう少し知りたい方は、この彼岸寺のブックレビュー「わかりにくかった日本仏教が、わかりやすく書いてある二冊!アップデートして仏教3.0を始めよう!」(飯田正範さん)記事もご覧の上、ぜひ本をお読みください。



ブッダに雲はありますか?

【松本】 藤田一照先生との共著だった『アップデートする仏教』に続いて、今度は山下先生の単著となる新刊『青空としてのわたし』を読ませていただきました。私の念仏の実感とも重なるところが大きかったです。今日は、いくつかご質問をさせてください。ひとつは、釈尊(お釈迦さま=ブッダ)の覚りについてです。釈尊は35歳で覚りを開かれ、それから80歳になるまで45年間、伝道の生活をされました。先生の言葉で言えば、「青空に生きた」ということだと思いますが、釈尊が悟りを開いてから、その生活の中に「雲」はなかったと思いますか?

【山下先生(以下、敬称略)】 ブッダほどの人だったら雲の入り込む余地は全くなかったと思いますよ。そのように釈尊を捉えるテーラヴァーダ的な感覚が、私の中に残っているのかもしれませんが、あの人だけは特別という思いがありますね。

【松本】 45年間、一部の隙もなく、青空だった?

【山下】 はい、45年間青空でしょう。

【松本】 山下先生はどうですか?日常、雲はありませんか?

【山下】 私は雲ですよ(笑) うん、私っていう人間は雲なんだ。けれど同時に、本質としては青空だから、雲と青空との間を行ったり来たりするわけじゃないですか。その点、ブッダっていう人は35歳以降は雲的な要素は全く なかったと思いますよ。だけど、私らには雲はまだ当然あるわけで。でも、本質としての青空は間違いない。本質としての青空に対する信頼っていうのはありますよ。どんなことがあったとしても大丈夫、という。

【松本】 その感覚はよく分かります。私は念仏の教えに親しんでいますが、信心ということも、同じことを指し示していると思います。

【山下】 大乗仏教の人なら、青空は絶対分かるはずですよ。これが分からない仏教1.0の人たちは、同じ仏教として似てはいるけれど、根本的なところでずれている。だから、私の本で言っていることが分からなくてフラストレーションが溜まるんですよ。だけど、仏教1.0を経て仏教2.0(瞑想修行を重んじるビルマやスリランカの上座部仏教)を徹底的にやった上で行き詰まった人だと、このことが分かる。


信を得ることは青空体験

【松本】 浄土真宗で言う「信を得る」ということについて、そういえば私は先生の本を読む前から、自分の中で雲と青空の喩えで捉えていました。生まれてこの方、私たちは、煩悩あるいは自我の分厚い雲に覆われた曇天の下で生きています。そこに、何かの拍子で存在の裂け目を見るような体験を得て、いつもはぶ厚い雲の裂け目から、ほんの一瞬でも青空がのぞいて地上に光が差し込む瞬間があると、その時点で世界観が180度、転換します。人によっては一生懸命仏教を勉強するとかして、「雲の上に本当は青空が広がっている」ということを聞かされてきた人もいるかもしれませんが、それを自分の目で見るのと見ないのでは、まったく違います。人間ですから放っておくと心はすぐにまた分厚い雲に覆われてしまうのですが、それでもなお、一度でも「雲の上に本当に青空があった!」ということを知った人ならば、「この上に青空が広がっている」という確信は揺るがないですね。

【山下】 雲間からちょっとだけでも青空が見えたか見えないかでは、まったく違うわけです。人間だから、それからまた青空が見えなくなっちゃったりするし、これまで雲としてずっと生きて来たわけだから、その慣性力も強いけど、やっぱり違う。 一日24時間ずっとは青空で生きていられないかもしれませんが、青空という世界観を得つつある人たちならば、当然変わって来る。対照的に、青空という発想そのものがまったくないままで生きている人たちは、人生こんなもんだということで諦めて、雲としてひいひい言っている。しかし私らからすると、そんなので得た楽しみは大したことがない。青空の楽しみとか喜びに勝るものはないわけだから。問題は、その発想すらない人たちに、どうやって 青空という発想を入れるのか。雲の人には2種類います。1種は、世間のど真ん中にいる人たち。世俗的な自分の欲望を満たすことだけ を求め、暗い話には耳を傾けない人たちです。もう1種は、せっかく仏教に片足突っ込んでいるのに、仏教2.0の世界で雲をどうやってきれいにしていくかということに精一杯で、自分の本質が青空だと知らない 人たち。仏教1.0(日本の伝統的な大乗仏教)の人たちは、浄土にも禅にもいくらでも青空をさす言葉はあるし、考え方としては青空があるわけですが、ぜんぜんピンと来ていない人たちが多いですね。


仏教3.0と念仏、世界の裂け目

【松本】 先生は、念仏についてはどうお考えですか? 先生のワンダルマ・メソッドでの瞑想を仮に「青空体験」と呼ぶとするなら、私は念仏は「青空リマインダー」かなと思います。南無阿弥陀仏と称える念仏は、英語で「calling」といいますね。主客一如の真如からの呼び声です。何を呼びかけられるのかといえば、「自分の日常は相変わらず厚い雲に覆われて、損か得か、好きか嫌いかということばかり言ってるけど、本当は、これじゃないんだよなぁ、雲の上には青空が広がっているんだよなぁ」という「青空の事実」がリマインドされ、「本当は青空」という信が確かめられるのではないかと。

【山下】 一法庵のお仏壇を見ていただけば分かりますが、父の実家が能登だったので私も家の宗派からいえば もともと、お東の真宗門徒なんですよ。私にとってお念仏というのは、ずっと近くにあったんですよ。たとえば、病気になって本当につらいとき、坐禅もできないじゃないですか。そんなとき、若い頃の私は、布団の中でお念仏を称えていることもありましたね。人生のどん底、世間的な見方では最悪の状況というのは、実は人が何かに突き抜けていく入り口じゃないですか。そこら辺のメカニズムは、お念仏の人はけっこう分かっているんですよ。そのことが分かってないと、人生うまくいかないときに参っちゃうわけです。3年前、東日本大震災がありました。福島などは別として、たとえば東京にいて鬱になった人とか、私はぜんぜん分からないんですよ。ああいう最悪のことが起こったとき、あのとき聖なるものが顕われたわけです。最悪の場所にね。震災のあと3ヶ月くらい、東京から東北にかけては緊急事態が3ヶ月続いたんですよ。最悪なんだけど、聖なる時間が流れて。人とのつながりにしても、あんなに深い時はなかった。青空を知っている人間は、そういう逆境が青空の入り口であることを知っています。

【松本】 世界の裂け目、ですね。

【山下】 そう、裂け目。ちなみに一法庵は震災で休むことはまったくなかったんですけどね。震災のためにお寺の活動を休むことは、まったくなかった。あそこで 、あの最悪の状況のなかでちゃんとしたことが言えなかったら、 みんなが逃げてこれる場所を提供できなかったらお坊さんやっている意味ないじゃん、と。そういうときこそお寺が最後の避難所にならないと。

(後編に続く)

一法庵のウェブサイト:http://www.onedhamma.com/




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松本紹圭 (まつもと しょうけい)
>>プロフィールを読む 1979年北海道生まれ。本名、圭介。浄土真宗本願寺派光明寺僧侶。一般社団法人お寺の未来理事。東京大学文学部哲学科卒業。超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』(higan.net)を設立し、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。Indian School of BusinessでMBA取得。2012年、若手住職向けにお寺の経営を指南する「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書多数。近著に『お寺の教科書-未来の住職塾が開く、これからのお寺の100年-』(徳間書店)。