There is no alternative

There is no alternative


「行に当りて苦楽の地に至り趣く。身みづからこれを当(う)くるに、代るものあることなし」 『仏説無量寿経』


「鉄の女」として名高いイギリスのサッチャー元首相は、他に「ティナ」というニックネームがあったそうです。これは彼女が議会の答弁で、「There is no alternative」という答えをしたため、その頭文字を取ってそう呼ばれるようになったのだとか。「There is no alternative」というのは、直訳すれば「代替となるものはない」ということで、「他に道はない」とか「選択の余地はない」という意味に訳されます。


そんな「TINA」がお経の中にも出て参ります。それが今回ご紹介した言葉です。ただしサッチャーの言葉とは少しニュアンスが異なります。「他に道はない」ではなく、「私の代わりとなってくれる者はいない」というのがポイントです。


「行に当たりて苦楽の地に至り趣く」というのは、自らの行いによって、苦や楽、様々な結果を得るという意味となるでしょうか。そして「身みづからこれを当くるに、代るものあることなし」とはその行為の結果を受けるのは自分自身であり、代わってくれるものは誰一人いないということです。


私たちの今の現状は、様々な縁(条件)が寄り重なった結果として生じています。そしてその条件には、自身が積み重ねてきた行為も影響しています。その結果はどんなものであれ、私自身で引き受けていくしかありません。


そしてこの一節の前には「人、世間の愛欲の中にありて、独り生れ独り死し(独生独死:どくしょうどくし)、独り去り独り来る(独去独来:どっこどくらい)」という言葉もあります。この人の世に生まれ死んでいくという現実も、引き受けていくのは自分自身しかいないのです。


これは実に厳しい教えです。しかしだからこそ、この厳しい現実の中を歩んでいくために仏教があります。独り生まれ、独り死んでいく私であり、自らの行いによって、苦悩の道を歩まなければならないこの私の足元を、仏教はしっかりと照らしてくれるものです。どこまでも独りであり、無常であり、無我であるという不確かな存在でありながらも、実は無限とも言える縁によって満たされた私であったことも同時に知らせてくれる。私が私自身の荷物(生老病死などの苦悩)を背負わなければならないけれど、歩み方はそれで良いのか?向かう先は本当にそれで良いのか?と常に問いかけ、そしてこの命の向かう先を「仏と成る」という目的地へと差し向けてくれる。そんな智慧と慈悲によって私を照らしてくれるのが、仏教という教えなのです。


そして仏教の教えを聞く時「あの人こそ聞くべき」というような思いを抱くことがあります。しかしそれは怒りの心でしかありません。そうではなく我が事として仏法を聞き入れていくことが大切なのです。仏法を聞き、仏法に生きるのもまた、替えの効かない私自身、「There is no alternative」なのです。


日下賢裕 (くさか けんゆう)
>>プロフィールを読む 1979年、石川県生まれ。浄土真宗本願寺派の僧侶、布教使。 広島大学人文学部東洋史学科卒業後、本願寺派の教育機関である中央仏教学院、伝道院にて仏教を学ぶ。 現在は故郷の山中温泉にて、本願寺派の若手僧侶が作るサイト「メリシャカ」や「彼岸寺」との関わりを通して、仏教を外に発信するとともに、地元の人たちに愛されるお寺作りに挑戦中。