料理という「ことば」で仏教を伝えるお坊さん/料理僧・青江覚峰さん(2/3)

料理という「ことば」で仏教を伝えるお坊さん/料理僧・青江覚峰さん(2/3) 彼岸寺のお坊さん・KAKUさんこと青江覚峰さんインタビュー第2回です。お坊さんになるのが嫌でしかたなく、コンサルタントを目指してアメリカへMBA留学したKAKUさん。起業の夢をつかみかけていた矢先に、9.11同時多発テロを経験して大きな衝撃を受けることになります。そして、アメリカという異国で丸裸になり「自分は何なんだろう?」と問い続けることで、改めて発見した「仏教」というバックボーンを確かめるために帰国を決意されました。

遠く離れることで、あまりにも身近すぎて見えなくなっていたものを見直したり、確かめられることがあります。KAKUさんは、思い切り遠く離れようとしたからこそ、仏教と出会い直せたのかもしれないな、なんて考えながら原稿を書いていました。さて、今回は帰国後のKAKUさんがどのように仏教と再会しその面白さを発見していったのか、そして料理僧としての活動を始めるに至った経緯についてお話を伺っています(前回のインタビューはこちら)。

何これ? 仏教って面白い!――仏教ファンになる


カリフォルニア州立大学フレズノ校 卒業式で角帽姿のKAKUさん――それで帰国されて、改めて仏教を学びはじめることになったんですね。
ええ。本来、僕は浅草の本願寺で勉強すべきところだったんですけども、あえて築地本願寺の東京仏教学院※に(笑)。毎日2時間くらい早く行って図書館で時間を過ごしていたら、そこに仏教説話集という本がものすごくたくさん置いてあったんですよ。何気なくぺらぺらっとめくってみたらこれが非常に面白くて。こんなことを言うとすっごく怒られると思うけれど、古今東西人間が考えうる犯罪の目次録みたいなものなんですよ。
(※:浄土真宗は色々な派に分かれおり、浄土真宗東本願寺派である浅草の本願寺と、築地本願寺が所属している浄土真宗本願寺派は別のもの。KAKUさんのお寺は浅草の本願寺に所属する)

「こんな悪い人が世の中にいましたけれど、道端の花を見て仏弟子になりました。実は、花は阿弥陀如来の生まれ変わったお姿だったのです」とか、だいたい同じようなオチなんですけども、前半に描かれる犯罪を犯すに至った背景の部分に、すごく人間臭さを感じました。なかでも、ナーガールジュナ(龍樹)の伝説なんて、宮廷中の美女を犯した後に愛欲が苦悩の原因だと悟り出家するという話なんです。龍樹菩薩ともあがめられる方のストーリーなのに、ですよ。

普通は、聖人であればあるほど卑下できないはずなのに、「そこには深遠な思想があったから」などと言わずに、さらっと悪事を働いたことが書かれていることに驚いたし、また可能性も感じたんです。なんと正直で懐が深いというか、どういう判断を持ってこういう話が残されているんだろうか、と。そういうことがいろいろ積み重なって仏教のファンになったし、仏教で何かできたら面白いなあと思うようにもなったんですね。


料理という"ことば"で仏教を伝えてみたい


――KAKUさんは、"料理僧"として『暗闇ごはん』などの活動されています。お料理と仏教が重なってきたのはいつ頃からですか?
料理に関しては、アメリカ留学中に立ちあげた料理のサークル活動に原点があります。ひとりだと作れないおいしいものをみんなで作って食べようというサークルで、たとえばラーメンを作るとなると一か月かけて、1週目にはとんこつスープの取り方、2週目にはスープを使ってチャーシューを作る、3週目には麺を打つ......と本格的にやっていたわけです。

ところが、なかなか食材が手に入らないから、うちの近くにある中華マーケットに行ってみると、牛タンなんかベロのままドンと置いてあるんですよ。牛なので、舌の表面にある味蕾というブツブツが1?2cmくらいもあってトゲトゲしていてすごく生々しい。でも、食べるってそういうことだよなと納得もして。その時は仏教とはまったく関係なくですが、「命を食べるということは、生々しく生きていたものを殺して食べるということだ」と気づかされました。

それからは、食べるということにちゃんと向き合わないといけないなと思うようになって、いろんな人にそういったメッセージを発信していたんです。でも、お坊さんになってもすぐには、料理と仏教はつながりませんでした。僕のなかで、料理と仏教をつなげてくれたのは、句仏(くぶつ)上人という明治時代のお坊さんです。

『暗闇ごはん』でお話するKAKUさん (c)みずたにひろこ――句仏上人とはどのようなお方ですか?
東本願寺の二十三代法主でいらっしゃった方で、「句をもって仏徳を賛嘆す」という活動をされていた方です。浄土真宗だと法話で仏教を伝えることが一番であって、場合によっては御文書や手紙なんですけども、句仏上人は俳句で仏教を伝えておられたんです。俳句で仏教を伝えるのがアリなら、僕の持っている"言語"は何だろうと思いました。英語と日本語はできるけれど、僕は言葉で話すのが非常に苦手です。だったら、料理という"言語"で仏教を伝えられないだろうかと、句仏上人の"句仏"という俳号に対して"料理僧"という名前をつけたんですね。今は、『暗闇ごはん』がメジャーになりましたが、それ以前にも料理で仏教を体感してもらうことをしたいと思っていろんなことをしていましたね。

――『暗闇ごはん』がメジャーになったのは、料理で仏教を伝える方法としてわかりやすかったからでしょうか。
『暗闇ごはん』では、お料理を食べてもらうときにうるさいことは何も言わないんです。アイマスクをつけて何を食べているのか判らない状態で料理を食べていただいた後、最後にアイマスクを外してもらって「今日召し上がっていただいたのはこちらですよ」と紹介してひとつだけ尋ねます。「こんなに一生懸命にごはんを食べたのは、最近いつされました?」と。それで、わかる人にはわかるメッセージになると思っています。

「一生懸命ごはんを食べる」というのはそれ自体珍しいフレーズではありません。ただ、「農家さんが一生懸命作ってくれたお米や野菜だから、一生懸命に食べなさい」と言われながらも、そこに真剣に向き合う時間って意外とないんですよね。朝は、昨夜遅くまで仕事をしていたから1秒でも長く寝ていたいし、出勤時間に間に合うように急いでいてゆっくり朝食を食べられない。昼は仕事に追われて急いで済ましてしまう。夜は夜で、時間がたくさんあるから、家族や友人、恋人、職場の人たちと一緒に、コミュニケーションの潤滑油として食事をすることが多いです。

コミュニケーションは食事の大切な要素ですが、やっぱりそれは自分と食事が向き合う時間ではありません。だから、暗闇という非日常的な空間で、何を食べさせられているのかわからない不安のなかで、「一生懸命ごはんを食べる」という経験を持って帰ってもらえれば、その気づきはその人の人生にとって絶対にプラスになると思うんですね。それを料理の面から気づいてもらうのが僕の仏料理だと思っているんです。そして、生きづらいと思っている人に対して、少しでも生きやすく生きてもらうための指標が仏教だと思うんです(次回へと続く)。

※2枚目の写真:(c)みずたにひろこ

プロフィール


青江覚峰/あおえ かくほう
http://www.higan.net/apps/mt-cp.cgi?__mode=view&id=31&blog_id=58
浄 土真宗東本願寺派緑泉寺 住職。1977年東京生まれ。カリフォルニア州立大学よりMBA取得。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」や、日本初・ お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」、等を運営する組織IBA代表理事。料理僧として料理、食育に取り組む。彼岸寺では「KAKUさんの仏料理」を連載中。

緑泉寺
http://www.ryokusenji.net/
元和元年豊臣家滅亡の年、江戸に下り本郷湯島に湯島山緑泉寺として建立。当時東本願寺派は江戸神田明神下に在りしも、明暦三年正月、世にいう振袖火事により類焼、当山ことごとくに帰す。後、東本願寺とともに浅草に遷ってから今日まで連綿と法燈を継ぐ。
元和元年より昭和五十五年今現在、実に三百六十五年を閲す。大正十二年九月一日の関東大震火災、昭和二十年三月十日の第二次世界戦争の劫火により、寺宝は申すに及ばず一屋余すところなく焼尽するも幸い、古くより伝来する阿弥陀如来像並びに記録系図等消失を免れる。
昭和二十四年、焼け跡に仮堂を建立、三十三年四月、本堂の竣工を見、三十六年十一月十二日、本堂落慶法要を厳修す。
こ れより先、大正十二年九月一日の関東大震火災後、東本願寺とともに墓所を保谷市ひばりが丘の地に移し、現在に至る。当初建立の田無出張所は、五十余年の歳 月に漸く老朽したため、昭和五十四年四月、西松建設株式会社設立施行により支坊建設に着手、同年十二月完成、昭和五十五年十月十九日、支坊落慶法要を厳修 した。

関連タグ:暗闇ごはん 青江覚峰 彼岸寺 料理僧 緑泉寺 カテゴリ: 体験  浄土真宗 

杉本恭子 (すぎもと きょうこ)
>>プロフィールを読む 大阪生まれ東京経由京都在住のライター。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。お寺取材を経験するうちに「お坊さん」に興味を持ちインタビューを始める。