2004年6月26日

::::::::寺入り娘より::::::::

2004年の年明け。
大好きな彼がいて、その彼との結婚が決まりました。
彼は近所に住んでいるひとつ年下の人。
職業はお坊様です。

わたしは28歳のごく一般的なOL。
地方のサラリーマン家庭に育ち、大学進学とともに上京。卒業後は地元に帰ると期待していた両親を裏切り東京で就職。かといって何かの資格を活かすでもなく、安易に一般事務職に就き6年が過ぎようとしていた頃。

好きなことといえば飲食&睡眠。
実家の宗教?仏教・・・だと思うけど、宗派なんて知らない。
核家族に育ったから、家には仏壇さえなかった。
でも霊柩車を見るとなんとなく親指を隠していた。
もちろんクリスマス万歳!バレンタインデー万歳!
でも大晦日の紅白を見たあとは、家族揃ってなんとなく初詣。

自堕落なお気楽OLだったわたしが、彼と出会い恋をして
寺に嫁ぐまで、そしてその後の生活を思いつくままにご紹介していきます。


::::::::寺継ぎ坊主より::::::::

どうも、浅草に住む坊主です。
このたび結婚いたします。

え?お坊さんって結婚していいの?
そんな声も聞こえてきそうですが、大丈夫。私の宗派、浄土真宗では宗派を開いた親鸞聖人が結婚をしたので、古くから結婚が公に許されています。

だから浄土真宗の中では「仏式結婚」というものも存在しています。結婚といったら普通は神前結婚か教会での結婚が一般的な中、お寺での結婚って耳新しくていいじゃない?

もちろん僕も結婚は仏式結婚式を挙げ、披露宴には門徒さん(浄土真宗ではお檀家さんのことを門徒さんと呼びます)や袈裟を着たお坊さんが集まる・・・そんな結婚式になるでしょう。

お坊さんにとっての「結婚」ってどういうものだろう?普通の人の結婚と違うのかな?そんな疑問に答えていくようにこのコーナーを作りました。結婚式は10月の2日。27歳お坊さんが結婚をするまで、そしてお坊さんの新婚生活を紹介していきます。

2004年7月31日

::::::::寺入り娘より::::::::

 週末になると、西東京市にある支坊で仕事をすることがあります。場所がら土地が狭い浅草と比べ、庭も広く自然に囲まれ、四季折々の表情を見せる支坊が、わたしはとても好きです。

 ただ、ひとつ大きな問題があります。それは蚊。支坊の庭は広いうえに数十種類の木々がおいしげる、ちょっとした林のようになっています。普段は奥までは手入れしないため、人間に邪魔される心配のないそこは、言ってみれば蚊天国。ちょっとやそっとの虫除けではひるむことのない強者ぞろいです。わたしが初めて支坊の手伝いをした日には、10分間でなんと13箇所刺されるありさま。あまりの痒さでショック死しそうでした。

 わたしは蚊が大嫌いです。痒いからです。支坊での仕事があるときは、どんな猛暑の日であろうと完全防備の服装で出かけ、その上から虫除けをかけ、もちろん蚊取り線香も何箇所もで焚きます。そして、それでも彼らと顔をあわせたときには、容赦せずにたたきつぶします。

 こんなわたしに、彼は「蚊がかわいそうだよ」なんて言うのです。蚊は、刺されると少し痒くなるくらいで、他に何の害もないのだからと。たしかにそういう彼の言い分もわかりますが、それでもわたしの戦いの日々は続きます。

 蚊も、もう少し考えたらいいのに。少々血を吸われるくらいわたしだってなんとも思わないけれど、痒いことが我慢ならないのです。あの痒み成分さえ注入しなければ、蚊族ももっと繁栄できるかもしれないのに。

 そんなことを思いつつ、次回までに携帯用蚊取り線香を用意しておかなければ、なんて思っている寺入り娘です。


::::::::寺継ぎ坊主より::::::::

 うちのお寺は西東京市に支坊(お店で言うところの支店)があります。お盆の時期は毎日、普段の日にも少なくとも週に1日はそちらのほうにおもむくのですが、やはり浅草と違い、虫がとても多いです。気がつくと体中あちこちに虫刺されがあり、痒くて仕方がないこともしょっちゅうなのですが、この虫刺されの原因の蚊について考えてみました。

 蚊は動物の血を吸って生きています。血を吸われたら、痒いけど別に死ぬわけじゃない。でも、わたしたちって他の動物を殺して食べているんですよね。蚊のほうがずっと人畜無害だな、なんて思ってしまいました。

 それなのにこんなにも人間に嫌われ、たたきつぶされ、しまいにはスプレーや線香で退治される。なんだか、かわいそうになってきました。

 みみずだって おけらだって あめんぼだって みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ

 よし、今年は蚊をつぶすことなくこの夏を乗り越えよう。そんな変わった志を掲げた今年の夏でした。

2004年12月24日

::::::::寺継ぎ坊主より::::::::

21日は冬至ということで、我が家ではかぼちゃを食べてゆず湯にはいるという昔からの風習を守っています 。ところが私、かぼちゃが一番嫌いな食べ物なんです。

でも、何でかぼちゃを食べないといけないんでしょうか?調べてみると、「冬至にかぼちゃを食べると厄除 けになる、病気にならない」と書いてあります。つまり厄除けのおまじないだったわけです。こうなると浄 土真宗の坊主としてはもちろん異議を唱えなくてはいけません。

「浄土真宗では日の吉凶を気にしたり、占いや厄除けなどは決していたしません!冬至にかぼちゃを食べる と厄除けになる、病気にならないなんて信じてはいけない!冬至にわざわざかぼちゃを食べるなんてことに こだわってはいけない!」そう心の中で叫びました。

まぁ、家族の目が痛いので食べましたけどね。


::::::::寺入り娘より::::::::

わたしの実家では行っていなかった習慣ですが、昨日は冬至のかぼちゃとゆず湯を体験しました。悲しいかな彼はかぼちゃが大の大嫌いなので、毎年この日には非常に苦しい思いをするそうです。

そんな彼が言うには、浄土真宗的には、そういった縁起を担ぐような習慣はよろしくないそうで。

けれども、それならば「縁起を担がないように、冬至にはかぼちゃを食べてはいけない!」といういいわけも通用しないわけで、ほんの一切れですが、彼にもきちんと召し上がっていただきました。

そんな調子で厳密にいけば、ご本尊も拝めないしお墓も守れないし、「明日は日が良いので伺います」と言って結婚祝いを持ってきて下さった方々にお説教しないといけないですし。何より、義母が張り切って作ってくれた料理を願い下げるなんてことは、百年たってもできそうにありません。

教義に厳格であるより家庭不和を嫌ったわたしは、まだまだ未熟者ということでしょうか。。。

2005年1月 4日

20050103201053.jpg::::::::寺入り娘より::::::::
正月の三が日が終わり、お疲れ様ということで、食後に彼と二人でお酒を飲みました。明かりを消して、香りのするキャンドルに火をともし、なかなかいいムードです。
すると彼がひと言。
「ろうそくを見てるとさぁ、お線香をつけて、お焼香したくなっちゃうんだよね」

がっかりです・・・。

::::::::寺継ぎ坊主より::::::::
小さいときからろうそくの火を毎日つけきた僕にとって、ろうそくの火は仏さんの前でつけるものであって、お経を読む前につけるものなんですね。
普段の生活であんまりろうそくをつける機会も少ないですし・・・
だから・・・ね。ご愛嬌ということで。

2005年1月24日

20050121120713.jpg 新婚生活も落ち着いてきた最近、私たちはいろんなことを話しています。ここから数回の更新では、最近話題にでたトピックについて書いていきます。

::::::::寺入り娘より::::::::

「生きる」ということは、ただ「生きている」ということだと思います。生命を授かり、呼吸をして、歳月を送り、絶命する瞬間まで生命を継続させるということ。とは言っても、ただ「生存している」のではなく、自分を取り巻く社会、環境の中で様々なものに影響され、また影響しながら生きていくということ。
 笑っている日も泣いている日もある。欲をかいたり、期待したり、感謝したり、がっかりしたり、腹を立てたり。誰かを愛する日も、愛される日もある。誰かを恨む日も、恨まれる日もある。またあるときには、疲れ果て、何も感じず、ただ無気力に過ごす日もあるかもしれない。

 生きることに理由も目的もない。
 それでもただひたすらに、わたしは現実に生きているのだと気づくこと。
 それをはっきりと自覚したなら、そのときには自分の生命の意味にたどり着くかもしれない。

 多くの出来事が、人たちが、自分の上を通り過ぎていく。その繰り返し。
 そして自分もまた、多くの隣人と出会い通り過ぎていく。その繰り返し。

 もっと積極的に、人生は自分で切り開くもの、幸運は掴み取るものと思う人もいるでしょう。それも良いと思う。生まれることと死ぬことは操作できないけれど、誰でも自分の人生、経験できるただひとつの人生において、自由なのだと思うから。

 昨日があり、今日があり、明日もたぶんあるだろうということ。そして、自分の隣にもまた、同じように生きている人、物事があるということ。それが生きるということだと思います。

::::::::寺継ぎ坊主より::::::::

僕はもともとポジティブなほうではない。
「生きる」ということについて考えるときいつでも思うのが、結局生きると言うことは人間の義務なんじゃないかと思う。
「親より先に死ぬほど親不孝は無いよ」
「死んだら悲しむ人がいるでしょ」
自分が死を考える時によく言われるのはこう言う言葉だ。自分のためではない。人のため、社会のために生きていかなくてはならない。

もう10年以上も昔になってしまったけれど、友人を失った時、最後に伝えられた言葉を思い出す。
「俺の分もよろしくな」
なんて自分勝手なんだろうか。そう思った。
人の人生を勝手に背負わすな。とやさぐれた。
結局、彼の人生を背負うことも無いままここまで生きてきてしまった。
それとも、今生きているということは彼から託された義務を果たしているのだろうか?

生きている限り、自分がかかわった人の人生を背負っていくべきなのかもしれない。
でも、自分の人生すらまっとうできる自信がないのに、そんなこと言われてもつらい。
そもそも自分の人生ってどうやったらまっとうできるんだろう?

そんなこともわからないままこの年齢まで来てしまった。
今、僕は何をしてるのだろう。
毎日何かを食べて生きている。特に僕は食べることは大好きだ。
食べた分だけは責任を全うしよう、そう思って毎日生きている。
摂取したカロリーの分だけ、何かにつかわなくっちゃ。

今考えられるのはこんなことだけしかない。

2005年3月 1日

20050214175544.jpg::::::::寺入り娘より::::::::

 死ぬということ。
 お粗末ですが、正直わかりません。
 死んだら何もなくなる。肉体も精神も、「我」である全てを無くすことなんだろうな、と思うくらいです。

 浄土真宗では、死後、全てのものは浄土へ行くのだと言います。わたしには、それもいまいちピンときません。

 死という話題から少しズレますが、誤解を覚悟で言うと、「わたしは仏教徒です、仏教を信じています」と言い切ることができないのです。今まで、自分の宗教についてきちんと考えたことなどありませんでした。それが彼と出会い結婚することになって、突然そして当然のこととして、あなたは仏教徒ですと決定された、そんな感じなのです。宗教で学んだことと言えば、中学高校と通っていたキリスト教の教会で聞いたことのほうが親しいくらいです。
 もちろん、ごく自然にすんなりと受け入れることのできる部分もありますが、特に死については、完全に未体験の実感のないものだけに、浄土がどうのと言われても、きっとそうなんだろうなぁと信じることができないのです。

 わたしは昨年、とても身近な人を亡くしました。その死はわたしには止めようのないものでしたが、失ったあとで、わたしは生まれて初めて真剣に仏様に手を合わせました。仏教的に正しいかどうかはわかりません。でも、「もし浄土があるなら、どうか迷わないように導いてあげてください、その後も、いつまでも安寧であるようにどうかよろしく・・・」と、すがるような気持ちで本気で手を合わせました。
 死んでしまった命について、果たしてその後の安寧などあるのかわかりません。浄土というものもよくわかりません。でも、あってほしいと心から願いました。

 わたしはまだ自分の死を現実に考える年齢ではないし、身近に感じた経験もありません。ですから、「死はおそれるものではない、死後には浄土があるのですよ」と言われても、「いや、別に浄土とか必要じゃないし・・・」などと傲慢な思いになってしまいます。
 けれど、もし死後に安らげる世界があるなら、それは死んでしまった命のためではなく、まだ死んでいない人、わたしたちのためにあるものなのだなぁと感じました。

 そんな思いで死を考えると、死とは自分の歩みのうちのひとつの通過点、そこを通過したあとは自我を無くしている、そんなものに思えます。

::::::::寺継ぎ坊主より::::::::

 僕もいつかは死ぬんだろうな、という漠然とした感覚があります。お坊さんといえども、毎日「死」を主観的にとらえているわけではありません。僕だってまだまだ20代、死ぬなんてことは考えなくたっていいのさ。とすら思うときもあります。それでもお通夜、お葬式に行った帰りなどは決まって人の死について考えてしまいます。

 今年のお正月、再放送されていた「北の国から~遺言」で、五郎さんが、遺言の先生からアドバイスもらった時に言われたのが、「自分が死んだ後の世界を想像してください」と言うことばでした。自分が死んだ後、世界はどう変わるんだろうか?と考えてみると、きっとどうも変わらないと思う。今までと同じように毎日が繰り返され、少しずつ世の中が変わっていく。それでいいんだと思います。もし、自分が死ぬことで誰かがものすごく生き方を変えなければいけないようなことがあったら、それは僕にとってはとても悲しいことです。

 お通夜、お葬式に行って思うのが、若い人の死、特に働き盛りの人の死は見ていてもとてもつらい。残された奥さんは明日からどうやって暮らしていくんだろう。子供が二人も居て、暮らしていけるんだろうか。そう考えてしまう。そういった日常のことで僕が何をできるわけでもないのはわかってはいるし、「かわいそう」なんて感情をもたれたところでせん無いことだと思われるけれども、そう思ってしまう。

 自分に照らし合わせてみると、もし僕が40歳のころ、妻と、子供をおいて死んだとする。うちには年老いた両親が二人、彼女の両親も合わせると4人。さらに祖父母もまだ健在かもしれない。それだけの人数を一人で支えるということを想像すると、死ぬなんて、とてもじゃないけれど考えることができない。

 お釈迦様はある弟子に「人間は死後存在するのか」と聞かれたときに、何も答えなかったと伝えられています。死後の世界はあるかもしれないし、無いかもしれない。でも、死後の世界がある・ないにかかわらず人は生まれ、老い、病気になり、死ぬ。苦しんだり悩んだりもする。だとしたら、あるかないかわからないものを想像することに時間を割くより、確実にある苦しみを取り除くことに時間を割く方が先だと考えてのことでしょう。

 自分ひとりのことで考えるのならば、自分の死に対して特別な感情を持たないでもかまわない。死んだら骨になるだけでもいい。でも、残された家族は、父親なり夫なりを「今からただの白骨なんだ」とは思えないでしょう。終わったばかりの恋愛のように、どこかにいなくなった人の面影を探してしまう。自分の思い出の中で生き続けてしまう。その形が死後の世界になるんだと思います。死後の世界を宗教として利用するのはいただけないけれども、死後の世界を完全に否定するのも、僕はあまり好きではない。大事なのは、残された人が日々生きていくために大事にしたいものを一緒に守っていくことなんだと思う。結局、答えは無いことはわかっていても自分自身に問い詰めていく。その問いこそが大事なんだと思う。

 同時に、自分が死んだ後の世界を考えたとき、自分の回りの人が大きく生き方を変えなくてはならない、そんなことが無いように普段からいざという時の用意をしているほうがいいんじゃないのかな。人生なべて一寸先は闇、ですから。

2005年12月19日

小さい頃、よく学校の先生に言われました。「人が見ていないときでも、ちゃんとやりなさい」。それは時々、「人が見ていないときこそ・・・」と置き換えられることもありました。
そういう考え方は、わたしはあまり好きではありません。というか、人が見ているか見ていないかなど、あまり気にしたことがなかったのです。誰が見ていようとやりたくないときはやらないし、誰が見ていなくてもその気になれば一生懸命になりました。先生からすれば、ずいぶん扱いにくい、可愛いげのない子供だったのだと思います。

大人になった今でも、わたしのそんなところは変わっていません。先日、お客さんが来るのに部屋が散らかっていたことがありました。わたしは、物をしまうのは簡単だから彼に頼むつもりで、自分は掃除機と雑巾がけをしておきました。出ている物は一度どけて元に戻してしまう。すると帰宅した彼の目には、一見、元の状態と部屋が変わっていないように見えてしまう。つまり、わたしが何もしていなかったように見えるのです。けれどわたしはそんなことは気にしません。彼がどう思おうと、体力のいる拭き掃除は終わらせたので、あとは彼にちょこちょこっと片づけをお願いするだけ。とても満足です。
普段から、わたしは排水溝の掃除とかトイレの雑巾がけとかお風呂場の鏡を磨いたりだとか、そういうことはわりとこまめにするのに、散らかっている物の片付けはどうも苦手です。彼がそういう目立たない部分の掃除はあまり好きではないと言うので、分業のつもりで、というのもありました。というか、本当は片づけまできちっと終わらせてはじめてお掃除完了となるのですから、わたしが全部きっちり仕上げればよかった話なのですが。正直、どとらかというとわたしは怠け者です。その言い訳、でもあるかもしれません。
彼は、わたしにもっと目立つことをすればいいのに、と言います。わかりやすく言えば、もっと自分をアピールしたほうがいい、と。そして、わたしも最近、それもそうだなと思うようになりました。人の目のあるなしに関わらずやるときはやるというのは、不言実行なんていうカッコイイものにも思えますが、時としてあまりにも自己中心的な、ひとりよがりな行為になってしまうこともあります。自分のしたこと、しようと思っていることを口に出し、積極的に知らせることは、周りに安心感を与えることになるのだと、ようやく気づいてきました。報告、連絡、相談=ホウレンソウは仕事の基本だと、そういえばどこへ行っても言われてきたものです。
とはいえ、わたしはどうも「アピール」というのが得意ではないようです。掃除ひとつとっても、周りにホメてもらったり安心してもらったりするのが目的ではなくて、わたしはただ掃除をしたかっただけ、べつにアピールする必要なんてない、と思ってしまうのです。でも、これでは共同生活はうまくいかないこともあります。お互いに役割をはっきりさせ、どれだけのことを実行したのかをちゃんと伝え合えば、物事はスムーズに運びます。わたしはあなたの要求をわかっています、それに応える用意もありますよ、と示してあげれば、お互いの信頼にもつながります。わかってはいます。わかってはいるのですが・・・。
良くも悪くも、わたしはわたし、人は人、という姿勢がなかなか抜けません。

2006年1月10日

totugu0001.JPG ひばりが丘の支坊で仕事があり、その帰り道。用事で友人宅へ寄ることになりました。彼がハンドルを握り、わたしは地図を広げてナビゲーション。地図を見るのはどうも苦手ですが、結婚してから車での長距離移動の機会が多くなったので、最近ではけっこうスムーズにナビできます。

  彼「次、曲がるのはなんていう交差点?」
  わたし「次のページめくってすぐ」
  彼「・・・!?」

 地図が読める女になるには、もうちょっと時間がかかりそうです。

2006年2月 4日

数日前から、夫が胃の不調を訴えていました。腸はものすごく繊細ですが、胃はすこぶる丈夫で何でもよく食べる夫なので、ちょっと心配です。翌日も「まだなんとなく胃が痛い・・・」と言いながらも、お昼に近所でラーメンを食べた帰り道。コンビニのトイレに駆け込んで、戻ってくるなり「今から病院行ってくる!」と、ただ事ではない様子。聞けば、吐いたものの中に血が混じっていたとか。血を吐いたとなればこれは一大事です!すぐさま最寄りの病院に駆け込みました。
吐血。胃潰瘍?まさか胃がん?思えば心当たりはあるのです。昨年からずっとイベント続きで来客も多く、加えて妊娠中のわたしを気遣って炊事にお掃除にと大活躍だった彼。疲労が重なったのでしょう。
病院に着き、救急で診てもらいました。問診のあと、レントゲン、採血と検査が続きます。そして次は胃洗浄。鼻から胃まで細い管を通し、そこへ水を流し込みます。胃がいっぱいまで膨らんだところで管を下ろして内容物を排出させます。と、文章で書くとなんてことはないのですが、これがとっても苦しいらしいのです。
以下、KAKU談です

【胃洗浄は本当につらくて、始終涙が留まることなく流れ落ちていきました。鼻から入れられた管が動くたびに、本当にこの世のものとも思えない痛み、というか苦しみでした。ご飯を急いで食べると鼻の奥のほうに食べ物が入って苦しい経験がありますが、鼻の奥に10円玉を無数に詰め込んだような強烈な痛みでした。】

検査服姿で部屋から出てきた彼の鼻は真っ赤になり、目は泣き腫らしたように腫れています。「大人になってから、こんなに泣いたのは初めてだよ」と、疲労困憊の体。そのあと、血液検査の結果を待ちながら点滴を受けることおよそ30分。わずかな時間の間にすっかりやつれきって病院のベッドに横たわる彼の傍らに、わたしはそっと腰を下ろします。
いつもはわたしが体調を崩して看病してもらうばかりなので、なんだか新鮮な気持ち!勇気づけようと、手を握って腕をさすってあげます。すると、「悪いけど、さすってくれるなら反対の腕にしてくれないかな?」と彼。点滴を刺しているほうの腕は、少しの振動でも痛みが響くみたいです。ならば胃が痛かったならお手当てしてあげようと、おなかに手を当てると、「悪いけど、胃の辺りは触らないでくれないかな?」と彼。どうやら大量に吐いたばかりの胃は、少しの振動でも吐き気がぶり返してくるみたいです。
することがなくなり手持ち無沙汰のわたしは、妊娠中の体で病院に長居するのもよくないかしらね、と帰り支度でも始めようかとそわそわ。そこに、医師が検査結果を持ってやってきました。検査の結果は異常なし。極度に空腹な状態で一気に大量に食べたために吐き気を催し、吐こうと思って指を入れたときに喉の奥を傷つけて出血したとのことでした。

はぁ。なんて人騒がせな。
でも、このところずっと彼が頑張り過ぎだったのは確かです。日頃の彼の気遣いに心から感謝しつつ、もう少しゆっくり休ませてあげなくちゃな、と反省させられた事件でした。

2006年2月14日

いやはや。バレンタインデーですね。うちはお寺なので、だからと言って何も胸踊るようなことはないのですが、これまでの人生、初恋から結婚まで、多少なりともバレンタインの思い出はあります。好きな人に渡したくてドキドキしたこと、渡したいと思える相手さえいなくて白けムードだったこと、友達同士で手作りチョコを交換しようと張り切っていたこと、等々。

で、KAKUとわたしにも、バレンタインの思い出があるんです。

まだ出会ってひと月ほどしかたっていない頃。家が近かったので、ほぼ毎日にように会っていて、その頃にはわたしはすっかり彼のことが大好きになっていました。当時わたしは27歳。そろそろ結婚についても真剣に考え始めるお年頃。そんなときに彼と出会っていたので、出会いからわずかな時期で、既に彼との結婚を意識していました。でも、彼は年下だし、留学から帰ってきたばかりだし、まだまだ結婚なんて考えられないんだろうなぁ、とも感じていました。というかまだつきあってもいなくて、完全にわたしだけが舞い上がっていたわけなんですけどね。

で、まずは彼に、わたしを女性として意識してもらうところからスタートさせようと考えました。方法はいろいろ考えたんですよ。ちょっときれいな格好してみようかなとか、恋愛系の話題をふってみようかなとか、酔っぱらったふりして甘えてみようかなとか、まぁいろいろと。

でも、ときは2月。バレンタインデーも間近です。いわゆる駆け引きはあまり得意じゃない、というか面倒だったのでここは直球でいこうと、とりあえず告白することに決めました。あまり見栄えも良くないけどいちおう手作りチョコと、気持ちを書いたカードを、いつものように二人で飲みに行った帰り道、別れ際に手渡します。そのときは、彼はたぶん義理チョコだと思っていたんじゃないかな。実はバレンタイン当日ではなく少し前だったのと、あまりにも色気なくさらっと渡してしまったので。ところがどっこい、家に帰って中のカードを読んで驚け、です。
さて、いったい彼がどんな反応に出るか・・・部屋に帰って待つこと10分少々。携帯電話が鳴りました。彼からの着信音です。告白した身でありながら、彼はさぞかし驚いたことだろうと、なぜか、してやったりの気分。「よかったらもう一杯飲みに行きませんか?」とのお誘いに、何を言われるのだろうとドキドキしながら近所のバーへ向かいました。

そして、現在に至る、です。
なんて、本当はここからが長~いお話になるわけなんですけどね。恋人としてつきあうまでにもいろんなことがあったし、結婚を決めるまで、結婚が決まってから結婚式を迎えるまで、それぞれに本当にたくさんのことが、思いもよらない事件が次々に起こりました。もちろん結婚してからも大変なことはいっぱいあります。まぁ、それはいつか改めて。
何よりも、あの状況でよくいきなり告白に踏み切ったものだと、己の英断に脱帽。

今年のバレンタインは、夫婦合作でチョコレート菓子をつくりました。

2006年2月17日

わたしは、いつでもどこでも、思い立ったときに思い立った場所で歯磨きをします。結婚して最初に驚かれた生活習慣の違いが、これでしたね。歯磨きしながらテレビも見るし、ストーブにあたったりもします。特に夜はお風呂場で磨くので、後からお風呂に入った彼が、お風呂場に歯磨きセットが置いてあるのを見てびっくりしていました。彼にとっては、歯磨きは洗面台でするものと決まっているようです。同じように、わたしはドライヤーで髪の毛を乾かすのは、夏は冷房の下、冬はガスストーブの前です。床に座って乾かすと楽だし、お風呂と隣接している洗面所は湿気がこもっていて、乾くのが遅い気がするんです。いちおう、リビングでドライヤーを使ったりしたら嫌がるかしらと思って、結婚したばかりの頃に、「うるさい?気になる?」と聞いたことがあったのですが、「別にいいよ」との答えでしたので、わたしも気にせずきままに過ごしてきました。
ところが、この間パソコンでどこかのサイトを見ていた彼が、「そうそう!」と何やら大きくうなずいています。何かしらと思って横から覗いてみると、こんな記事(2/17をご参照下さい)。
あら、やっぱり気にしてたのかしら。
改めて話をしてみると、「やっぱり、歯磨きしたりドライヤーを使ったりするのは洗面所と決まってるんじゃないかな。それってマナーだと思うんだよね」とのお言葉。
うーん、そうなのかな。ワンルームマンションで10年一人暮らししていたわたしは、ちょっと感覚が狂っているのかしら。でも、実家の家族もかなり気ままに移動歯磨きしていたよなぁ・・・。
わたしは、彼がどこで歯磨きしようとまったく気にしません。もちろん、いつも必ず洗面台でしていることも知っていますが、そうしたい人はそうすればいいし、お風呂場でしたい人はお風呂場ですればいい、くらいにしか思っていません。でも、どんなことでもそうですが、これはこうあるべき、という概念を持ってそれを守って暮らしている人は、それに従わない人に対して批判的なんですよね。怠け者は頑張っている人を見てもなんとも思いませんが、頑張っている人は怠け者に対して、まず間違いなく攻撃的です。
「もっと自由に、心の垣根や既成概念を取り払って、気の向くままに暮らしたほうが楽しいし、楽よ。言ってみれば心のバリアフリーね!」と彼に言ったら、思いっきり白い目で見られました。トホホ。

2006年2月19日

今日は本当に何もない一日でした。もともと予定が入っていなくても、なんだかんだで直前もしくは当日になってから何かしら用事が入ることが多いのですが、今日は正真正銘、何もない一日でした。いや、いいんですけどね。このところなんだかすごく忙しくて、KAKUは血を吐くほどだし(笑)、わたしも妊娠中なので何もせずにのんびりできる日はありがたいです。でも、たいていの日曜日は法事が入っているか、そうでなくてもお墓参りにいらっしゃる方が多いので、寺から出かけることは滅多にありません。それで、家で何かしら仕事をしたり、ビデオを見たりして過ごすのですが、今日は特にやっておく仕事もなく、借りていたビデオもなく、昼間はオリンピックもやっていないし、今日に限ってお墓参りに来る方もない・・・することがない。でも、寺から出るのはちょっと不安。
お寺は休みがないから大変とはよく言いますが、常にものすごく忙しいわけではないのです。むしろ、こんなふうに何もすることがない一日を、家の中でどう過ごしたら有意義かを考えるのが大変なのかも。
お寺って、朝起きて「今日は休みだー!」ということはないんです。何か入るかも、と思いながら一日を過ごし、夜になってから初めて「あー、今日は休みだったんだー」って気がつくものなんです。
結局、今日は本当に何もしないで過ごしました。ご飯食べて、パソコンいじって、おやつ食べて昼寝して、またご飯食べて。こんな日があってもいい・・・かな?

と、ここまで書いたことろで、KAKUは急用で呼ばれ出かけていきました。おしまい。

2006年2月26日

先日誕生日を迎えまして、わたしも30歳になりました。今まであまり年齢のことを気にしたことのなかったわたしですが、今回はやはり少し気が重いというか、今年は母になることを思うと重みが違うというか、なんとなくこれまでの誕生日とは違った気持ちになりました。嫌だとは思いませんが、手放しで「めでたい!」という感じでもなく。
ところで、数ヵ月後には子供が生まれるので、今回の誕生日は夫婦二人で過ごす最後の誕生日でした。そんなわけで、ちょっと贅沢をして都内のホテルに一泊してきました。

チェックインして部屋に案内してもらう途中で、ホテルのスタッフが大きくなったわたしのおなかを見て、「もしかしておなかの中、赤ちゃんですか?」とひと言。いえ、ただの肉です、なんて答えたらどんな顔するだろうと冗談を言ってみたい衝動を抑えつつ、「ええ、そうなんです」と答えると、そこから話題も弾みます。しばらく部屋でくつろいでいると、再び別のスタッフがやってきて加湿器とひざ掛けを持ってきてくれました。妊婦ということで、配慮してくれたようです。ホテルの部屋はどこも乾燥していますから、加湿器の貸し出しはありがたいですね。それからホテルの近くを散歩して部屋に戻ると、デスクの上にホテルのロゴの入った紙袋と、その横にアロマオイルのセットとスタッフからの手紙が。「今度は元気な赤ちゃんと3人でお越しいただけるのを楽しみにしています。アロマは、妊婦さんでもお使いいただけるレモンの香りをご用意いたしました」とのこと。そして紙袋の中には、ホテルのスリッパ(部屋履きとしてはかなり上質なタイプ)が、家族三人分!うちひとつはなんと子供用!さらに子供用のかわいらしい歯ブラシまで!
すごい。子供が生まれたら気軽にホテルライフも楽しめないと思っていたのに、こんなサービスをしてくれたら、本当に子供を連れて来たくなっちゃいます。
すると、「子供用のスリッパをもらうなんて初めだね」と、彼。それはそうですよね、今まで子供はいませんでしたから。
でも、子供が生まれるとこうやっていろんな新しい物事に出会うんだろうなぁ、と思いました。新しい物事というか、自分が子供の頃に触れ合って、今では忘れてしまったいろいろな物事に再会できるような。小さな家具や、子供の頃の遊び、子供用歯磨きとか、子供用風邪薬とか。塗り絵なんかも懐かしいなぁ!まぁ、生まれてしばらくは赤ちゃんも寝ているだけですから、一緒に遊んだりできるのはだいぶ先のことですが。

結婚して夫婦になったときもそうでしたが、家族が増えるというのは、なんだか不思議な気持ちがするものですね。安心と希望と不安と責任感が、なんともいえないバランスで胸の中に湧き上がってきます。来年のこの日には、家族三人、どんなふうに過ごしているんだろう?

と、その前に。来月には彼の誕生日があります。今度はわたしのプロデュースでどんな一日を演出しようか、思案のしどころです。

2006年3月 9日

totsugu0002.JPG事件です。トイレの便座が青くなりました。言葉で説明するのは難しいので、今回は写真付き。ご覧のとおり、まるで人が座ったままの足(太ももの辺り)の形そのままに、便座が青く変色しているんです。
実は、この怪現象に最初に気づいたのは去年の暮れのこと。朝起きてトイレに入ると、一目見てわかるほど、便座がはっきりと青くなっていたんです。前日の昼間にトイレ掃除したときは何も変わりなかったので、わずか一夜にして真っ青、新品のジーンズが色落ちしたようなはっきりとした青色に変色したわけです。でもなぜ!?
とりあえずメーカーに電話。オペレーターも、「便座が変色?青くですか?」と訝しげ。「通常の使い方をしていれば、そんなふうになるはずはないのですが」と。でもそれはこちらのセリフです。人様がトイレで用を足しているところをじっくり拝見したことはありませんが、おそらくわたしたちもかなり一般的な使い方をしているはずです。実際、これまでの人生で青くなった便座など見たことがありませんし、結婚を機に新しい便座に変えて以来およそ一年半、便座は真っ白なままでしたから。

早速その日のうちに作業員の方がいらして、我が家のトイレを調べていきました。でも、やはり「相当な数のトイレを見てきましたが、こんなのは見たことがない。原因もさっぱり思い当たらない」とのこと。しかも、まったくもって不思議なことに、便座の温熱装置をオフにし、業務用のクレンザーで便座の表面を拭いてみると・・・ますます青くなるんです!これには作業員も頭を抱えていました。
何はともあれ、年明けを待って新しい便座と交換してくれることに。その間にも便座は徐々に青色を濃くし、まぁ使うだけには差し障り無いのですが、やはりなんとなく気味が悪いというか、落ち着かない気持ちで過ごしていました。そして年明け10日頃だったでしょうか。やっと新しい便座と交換してもらい、メーカーでは持ち帰った便座をもとに原因を調べてくれることになりました。
ところが、です。新しいものと交換してからわずか一週間ほどで、また青くなってしまったんです!しかも、わたしたちが年始の挨拶でわたしの実家に帰っていて、東京に戻ってきたその夜に青くなっていたんですよ。東京を発つ日の朝、便座に異常がないことを確認しているので、誰もトイレを使用していない状況の中で変色したことになります。再度メーカーに連絡し、また新しいものと交換してもらいました。が、またひと月ほどして、なんとなく青色が出てきてしまいました。

もうこうなると、家族の間でも「お化けのしわざに違いない」「何かのたたりだ」などと言い出す始末で、魔よけのお札でも貼っておけ!と大騒ぎです。
でもそこは浄土真宗の寺、浄土真宗はお札などの縁起物を良しとしない教義なので、滅多なものはおけません。そこで考えたのが「南無阿弥陀仏」と書いた紙。これなら問題ないだろうと、それを貼ってみました。すると本当に不思議なことですが、変色が止まったんです!うっすらと青くなったまま、紙を貼った日以降はまったく色が濃くなる様子なく現状維持です。これにはわたしたちも言葉がありません。お化けのしわざだなどと言われ、何を言っているんだと一蹴していたのが、南無阿弥陀仏を貼って変色が止まったということは、本当に何か不思議な力が働いていたということ?・・・お化けとか。

とにかく、一日も早く調査の結果を出して、わたしたちを安心させてほしいものです。

2006年5月21日

実家には、3歳のオスのサルーキと、1歳の同じくオスのアフガンハウンドがいます。両親もわたしも、それはそれは目の中に入れても痛くないほどに可愛がっていて、完全に家族の一員になっています。2頭とも犬種として野生の強いタイプで、しかも年の近いオス同士ということもあり、去年の夏に多頭飼いを始めたときには、果たして2頭の相性はどうか、仲良くやってくれるかどうかとても心配したものですが、ふたを開けてみれば、人間の目から見ていても微笑ましいくらいに仲の良い兄弟になってくれました。
まぁ、2頭とも育ち盛りなので、毎日のように取っ組み合いのケンカはしていますが、それは人間の男の子の兄弟と同じようなものですよね。ドッグトレーナーの先生も、かかりつけの獣医さんも、滅多に見られないくらいの成功例だと太鼓判を押してくれたんですよ!

さて、今朝のこと。家族が起きて犬たちの様子を見に行くと、床に何かを吐いた跡がありました。家族が寝ている間のことなので、2頭のどちらが吐いたものかわかりませんが、あまり大量ではなかったので、とりあえず様子を見ることにしました。
隣の部屋で人間たちは朝食をとりながら、フェンス越しにしばらく犬たちの様子を見ていると・・・アフガンの様子がおかしい!オエッ、オエッと苦しそうな呼吸を数回繰り返したかと思うと、次の瞬間、胃の中のものを大量に嘔吐したのです。こんなことは、彼が我が家にやってきてから初めてのこと。驚いて駆けつけ、原因を調べようと吐いたものの匂いを嗅いでみましたが、それが何かどうにもわかりません。うちでは餌は生肉と決まっているのですが、その肉ではないし、夕べ遅くにスイカを少し食べさせたのですが、それとも違う感じ。
とりあえず、吐いたということは胃腸が弱っていることは間違いないからと、今朝は朝ごはんを抜きにさせました。とは言えそこは犬ですから、少々体の具合が悪かろうと、そう簡単に食欲は落ちません。そろそろいつもの朝ごはんの時間じゃないか!と、ビタッとお座わりしたまま必死の眼差しでキッチンを見つめていますが、心を鬼にして無視します。そのうち、やっぱりどこか調子が悪いのか、あきらめた表情で寝床に行き、ぐったりと横になってしまいました。
今日はたまたまフィラリアの薬をもらいに動物病院に行く日でした。予定では、散歩ついでに2頭とも連れて行くはずだったのですが、暑さに弱いアフガンのこと、朝ごはんも食べさせず、そもそも具合の悪い日に長く歩かせるのは良くないと、予定を変更してサルーキだけを連れて母と出かけました。歩くと往復で一時間はかかる距離ですが、臨月のわたしにも、ちょうどよい運動です。
病院に着いてサルーキの体重などを量ってもらいながら、獣医さんに今朝のアフガンのことを話しました。もし何か問題があれば、ペットタクシーか何か頼んでも、すぐに病院に連れてこなくてはと思って。すると、「吐いたものは胆汁ですね」と、ひと言。ん?胆汁?
聞けば、それはあまりにもおなかが空き過ぎたときに、本来は腸に向かっていくべきはずのものが逆流してしまうことがあり、今朝うちのアフガンが吐いたものは、おそらく胆汁だと言うのです。
そういえば、育ち盛りのアフガンのために、いつも寝る前に肉を少しあげているのですが、あまり遅い時間にものを食べさせるのも良くないかもしれないと、昨日はスイカだけで終わらせていたんです。あー、あれじゃ足りなかったんだ・・・。それで思わず吐くほどにおなかが空いていたのに、挙句の果てに朝ごはんまで抜きにされて、なんてかわいそうなアフガンちゃん!
慌てて帰って様子を見に行くと、嗚呼哀れなり、あまりの空腹に起き上がることもできず、視線だけこちらに送って弱々しく尻尾を振っています。
いやはや、突然の嘔吐にびっくりはしましたが、大したことじゃなくて本当に良かったです。でも、犬は言葉が話せませんから、調子が悪そうなときは本当に心配です。その上、いつも便を手にとって見られるので、体調の変化がつぶさにわかってしまいますから、ちょっとしたことで、何か悪い病気じゃないか!?と疑ってしまいます。

きっと自分の赤ちゃんが生まれても、こんな気持ちになるんだろうなぁ。赤ちゃんだって、どこが悪いわけじゃなくても、ちょっと虫の居所が悪かったり、元気が出なかったりすることだってあるだろうけど、大人には赤ちゃんの事情はわからないから、過度に心配してオロオロしてしまいそう。あまり過保護にするのは良くないとわかっているけれど、口のきけない相手のことですから、いらぬ心配も尽きない気がしています。
こんな話、犬嫌いのKAKUにしたら、「俺たちの子と犬を一緒に考えるな!」って怒られるんだろうな・・・。

2006年5月26日

亡くなった祖母の埋骨も無事に終わり、わたしたち家族は残された祖父のことを心配していました。葬儀が終わって数日たち弔問に訪れる人もまばらになった頃、祖父は急に落ち込んで、「次は自分の番だから、もういつ死んでもいいんだ」なんて言い出していました。その後はまたなんとなく元気も戻ってきていましたが、お骨を納めてしまったら、またガクッと気力を失ってしまうのではないかと思ったのです。幸い、祖母のお世話がなくなったことで祖父の身体的な負担も大幅に減り、納骨も無事に済ませられたことで気持ちもだいぶ楽になったようで、今はわたしたちの心配していたようなこともなく、けっこう元気にしています。
そんなある日、祖父と母が話をしていたときのこと。祖母の遺影を眺めながら、母がふと「あの世っていうのは、本当にあるんでしょうかねぇ」とつぶやくと、祖父はこんなふうに答えたんです。「あの世は俺も行ったことないから、あるかないかはわからんけど。あったとしても、ばあさんは体が弱いからそんな遠いところへは歩いてけんら(歩いていけないだろう)」。
これには母もわたしも思わず顔を見合わせてしまいました。母やわたしにとって、あの世というのは(あるかないかは別として)まだ実感のない遠い世界ですが、祖父にとっては、もっと身近に感じられるものなのでしょう。それにしても、歩いて行くような場所(距離?)で、しかも病弱な祖母じゃたどりつけないというほど具体的なイメージを持っているとは、正直驚きました。というか、肺の病気で長く苦しんでいた祖母も、亡くなってやっと楽になったと思っていたのに、祖父の頭の中では、亡くなってなお苦しんだままの祖母でいるなんて、ちょっと意外でした。思わず、「やだ、おじいちゃん。おばあちゃんは死んじゃったんだから、もう病気もない楽な世界に行ったのよ。遠いから歩いて行けないなんて言ったら、あんまりよー。」と言うと、「そんなことお前、わからんでー」と笑う祖父。
たしかにあの世なんて、行って見て帰ってきた人はいないから、あるのかないのか、どんな場所か、思い描く世界は人それぞれに自由ですが、祖父との会話になんだか新鮮なものを感じてしまいました。

2006年6月10日

産院に入院している間、出産を終えたママ同士でいろんな話をしました。その中で、わたしより二日遅れて出産したママさんが、「うちは予定日より二週間も早かったから、2,700gしかなかったの」と言っていました。あら?うちは予定日を過ぎていたのに2,600gだったわ。まぁ、生まれてしまっても十分に育っていける大きさですし、今のところいたって健康なので問題ないのですが、生まれたばかりの赤ちゃんでも、既にそれぞれ個性を持っているものなんだなぁと妙に感心したものです。そういえば、出産を終えて病室に戻り助産士さんとお話ししているときにも、「あなたの場合、促進剤を使うのが早かったのかもしれない。予定日を過ぎてはいたけど、赤ちゃんはまだ生まれる準備ができていなかったのかも。だからこんな難産になってしまったのかもしれないね。」と言われたことを思い出しました。

4月に亡くなった祖母も、正直、まさかあのタイミングで亡くなるとは思っていませんでした。たしかに亡くなる前の数日は、急に体力が落ちて弱っているように見えましたが、これまでにも、もっともっと深刻な状況に陥ったことは何度もあり、その度に祖母は医者も驚くような生命力を発揮し、持ちこたえて回復してきました。なので、亡くなるときはきっとものすごく苦しみぬいたたあと、病院のベッドの上で力尽きて亡くなるんだろうな、と以前から想像していました。それが、自宅で家族に見守られながら呼吸を一瞬乱すこともなく眠るように逝ってしまった。周りの者にとっては意外な去り方であっても、きっとあのときが祖母の持って生まれた寿命というものだったのでしょう。

相次いだ、身近な生と死。人は、生まれることと死ぬことはコントロールできません。誰にとってもきっともっとも関心のある、自分の思いどおりにしたいと望むことだけど、それを支配することはできない。自分の支配の及ばない、期が熟すそのときの訪れに委ねるしかないのだと感じさせられた出来事でした。

2006年6月28日

「お寺に嫁ぐということ」と銘打ったブログなのに、最近お寺ネタがちっとも登場していないので恐縮です。
出産のため実家に里帰りして、もうすぐ3ヶ月。お寺とはまったくかかわりのない毎日が続いています。かといって、実家で何か仕事(家事)を与えられるわけでもなく、友達と遊ぶわけでもなく、出産前はひたすら犬のお世話、出産後はひたすら赤ちゃんのお世話をするだけの日々。水仕事は体に悪いから、力仕事は体に悪いから、手作業は腰を痛めるからと、日常のほとんどの作業を免除され、ただただ、寝て起きておっぱい、寝て起きてオムツ替えを繰り返しています。
こんな過ごし方をしている今、きっと人生の中でものすごく貴重な時間なんだろうな。
授乳で寝不足だし、オムツ替えで腰は痛いし、赤ちゃんのお世話は意外に重労働。疲れちゃったなぁと思う瞬間もあるけど、いつも何か新しい発見のある毎日。赤ちゃんも日を追うごとに成長して、一日前とはどんどん顔つきも違ってくる。こんなふうに赤ちゃんとベッタリ水入らずで過ごせる幸せな時間を、ずっと大切に覚えておきたい。
しかしながら、赤ちゃんを連れて東京に帰る日も次第に迫ってきました。そして、帰ったらすぐにお盆到来。こんな非日常な日常生活から、すぐに寺の暮らしに戻れるのかしら。いや、戻らないといけない。というか、戻るしかないんだけど。

2006年7月 8日

3ヶ月の実家暮らしを経て、先日ようやく東京の寺に戻ってきました。帰京する当日はあいにくの大雨で、高速道路を運転するKAKUも大変に緊張のご様子でした。後部座席にチャイルドシートを設置し、今まで助手席が定位置だったわたしは赤ちゃんの隣に座ります。料金所でもらったチケットを預けようと、KAKUが何気なく助手席に差し出しても、そこには積んできた荷物があるだけ。KAKUは自分で頭上のポケットにチケットを納めます。こんなことも、子供を持つと変わってくる家族の姿ですね。

さて、浜松にいた頃と比べて、最近、赤ちゃんの様子がちょっと違うように感じます。なかなか眠らなかったり、寝てもすぐに起きてしまったり、なんとなく機嫌が悪くぐずっていたりと、どうも居心地が悪そうにしているんです。部屋の涼しい場所に連れて行ってあげると比較的おとなしくなるので、おそらく浜松との気温・湿度の違いを敏感に感じ取っているんだと思います。大人の勝手で住む場所を移動され、暑いとも寒いとも言えず、着替えもシャワーも自分ではできない赤ちゃん。わたしたちがちゃんと気を配ってあげないといけないですね。

そんなわけで、生まれて初めて寝たり起きたりの生活リズムが狂ってしまった赤ちゃん。夕べから今日にかけて、やたらによく寝るんです。夕べは12時前の授乳を最後に5時ごろまで寝っぱなし、この記事を書いている今も、既に3時間は起きずじまい。ここへきて赤ちゃんも疲れが出ているのかな?
わたしは、寝起きや授乳のタイミングは、一切赤ちゃんに任せています。なので、授乳も二時間おきとこだわらず、赤ちゃんが欲しがるタイミングでおっぱいを飲ませます。そうすると、いつ赤ちゃんが起きて泣き出すかわからないので、なかなか自分のことが手につきません。頻回授乳でわたしも疲れているからと、赤ちゃんが寝ている間に仮眠をとろうと思っても、もうすぐ起きるかもしれないからと予測して寝ないでおいたり、しばらくは起きないだろうと油断して寝てしまっても、寝付いたところで起こされたり。
で、昨日まではまとめて寝なかった赤ちゃんなので、今日もそんなものだろうと覚悟して、KAKUもわたしも大して休憩をとらずにいたら、結局はこの有様。ちゃんと息をしているのか心配になるほどの立派な寝っぷりです。この様子じゃ今夜は赤ちゃん元気いっぱいかな、こんなことならさっき昼寝しておけばよかったね、とKAKUも溜め息まじりにこぼしています。赤ちゃんがどれくらいまとめて寝てくれるか=どれくらい自分達の自由時間があるかは、赤ちゃんが起きて初めてわかります。あ、こんなに休めたはずなのに・・・って。

ふと、以前KAKUに言われた言葉を思い出しました。「お寺って休みの日が決まってないというか、いつが休みかわからないんだよね。一日が終わってみて初めて、今日は誰もお参りに来なかった、今日は休みだったんだ、ってわかるんだよ」

onとoffがはっきりしない、意のままにならないお寺の暮らし。子育てにも通じるところがあるのかな、なんて思った一日でした。

2006年8月 7日

KAKUが近所に買い物に出かけ、赤ちゃんと二人でお留守番の、とある昼下がり。頂き物をしたビスケットをおやつにつまんでいました。香ばしさと甘みの具合がちょうど良く、バターのコクもほどよい加減に抑えられていて、なかなか美味なるお菓子でした。そこへ帰ってきたKAKUにも、「このビスケットすごくおいしいから、一枚食べてみない?」とおすそ分け。すると、「本当だ!胡麻の香りが濃厚でおいしいね!」とひと言。
え?胡麻なんて入ってたっけ?
わたしは食べる前に裏書の原材料を確認していたのですが、そこには胡麻は書かれてい