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   <title>お寺に嫁ぐということ</title>
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   <updated>2010-02-19T04:42:43Z</updated>
   <subtitle>寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁（てらよめ）の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那（お坊さん）の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。</subtitle>
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   <title>「お寺に嫁ぐということ」をお読み下さっていた皆さまへ</title>
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   <published>2010-02-19T04:42:00Z</published>
   <updated>2010-02-19T04:42:43Z</updated>
   
   <summary>大変ご無沙汰しております。みちこです。 最後にこのブログを更新してから、とうとう...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      大変ご無沙汰しております。みちこです。

最後にこのブログを更新してから、とうとう１年以上になってしまいました。
この1年、たしかに子育てにも奮闘しておりまして、なかなかブログに向き合う時間が持てずにおりました。
それと同時に、寺の嫁になって６年、ブログをスタートさせた当初と比べると、わたし自身の気持ちにも様々な変化が産まれ、心に浮かんだことを素直に書き綴ることができなくなってもいました。

これまで、たくさんのご意見や励ましも頂戴し、わたしにとって大きな糧になっていました。
そのお気持ちを思えば、もっと早くにけじめをつけるべきだったのですが、ここでこのブログを終了させて頂こうと思います。

長い間おつきあい下さり、本当にありがとうございました。
今後とも『彼岸寺』をよろしくお願いいたします。

青江美智子
      
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   <title>出産報告</title>
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   <published>2009-01-11T08:34:53Z</published>
   <updated>2009-01-11T11:04:17Z</updated>
   
   <summary>「日日是好日」の中でＫＡＫＵからご報告したとおり、1月１日午前3時過ぎ、女の子を...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      「日日是好日」の中でＫＡＫＵからご報告したとおり、1月１日午前3時過ぎ、女の子を出産しました！
予定日は12月25日のクリスマスだったのですが、出産は二人目だし、切迫早産で入院していた経緯もあり、今回は絶対に予定日より早く産まれるだろうと思っていたのですが、実際には一週間遅れの出産となりました。

前日（大晦日）のお昼頃の検診で、「今日にでも産まれておかしくない」と言われるも、そう言われ続けて既に3週間くらいがたっていたので、どちらかというと「でも、このままあと一週間くらい陣痛が来なかったら、促進剤だね」という言葉のほうを受け止めていました。
ところが午後3時頃、そういえばなんとなく規則的な腹痛・腰痛。念のために時間を計ってみると、なんと9分間隔。とりあえず病院に電話してはみたものの、自分でも「これは本格的な陣痛ではないよね・・・」という感覚があって、自ら「もう少し自宅で様子を見ます」と言ってしまいました。その後、一時間ほどたった頃には痛みは6分間隔に。でもやっぱり弱いままの痛みです。
さすがにＫＡＫＵが心配して、「いいからもう病院にいこう！」と言い出しました。前回の出産で、分娩監視装置で身動きが制限された状態で陣痛に耐えるのがつらかった記憶があったので、今回はできるだけギリギリまで自宅で過ごしたかったわたしです。「そうねぇ」とお茶を濁しつつ、大晦日のお経を終えました。

ところが、出前の年越し蕎麦を待っていたとき、ついに破水！
さすがのわたしも病院に行かざるを得なくなり、急いで身支度を整えて玄関へ。すると家を出たところで、うちへの配達分を持ったお蕎麦屋さんとバッタリ！これさいわいと、玄関先で一口だけですが、年越し蕎麦を食べて病院へ向かいました。

その後は、やっぱり二回目の出産ということで、かなりスムーズな進行でした。夜9時過ぎ頃までは、比較的強めの陣痛がありつつも、KAKUと二人でしりとりなどしながら、「陣痛室ってテレビないんだね。紅白見たいよね」なんておしゃべりする余裕も。それからいっきに痛みが増し、「痛い～！痛い～！」と大騒ぎしながら年越し。最後は、「いきんでいいよ」と言ってもらってから、たぶん3分くらいで産まれたと思います。
一人目の出産のときは、40時間に及ぶ陣痛で意識も朦朧とし、出産の瞬間は、何が何だかわからない状態だったのですが、今回はしっかりと産みの感激を味わうことができました。

そうそう、前回もそうだったのですが、わたしは胎盤を出すのが難しいようで、なんとここで陣痛促進剤が使われました。でも使う量が絶妙で、一回だけ強烈にいきみたい感じがあった直後に、するっと出てきたんです。
まさに「医師の匙加減」に脱帽といったところです。

何はともあれ、いろんな人に支えてもらって、今回も無事に出産し、母子共に健康で退院してくることができました。
自宅では、魔の2歳児と新生児を抱えて、ＫＡＫＵともどもテンヤワンヤの毎日ですが、日々成長する子供達の姿を励みに、このブログも新たな段階にパワーアップしていけたらと思っています。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
      
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   <title>受難続きです</title>
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   <published>2008-12-20T12:51:06Z</published>
   <updated>2008-12-20T13:43:56Z</updated>
   
   <summary>出産予定日まで一週間を切り、しかし体調に全く変化なしのみちこです。 今回の妊娠は...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      出産予定日まで一週間を切り、しかし体調に全く変化なしのみちこです。

今回の妊娠は、切迫早産での入院に始まり、先月末にはウィルス性の胃腸炎にかかったり、現在も原因不明の咳に苦しめられたりと、なんだか受難続きです。
一人目を出産したときは全くのノートラブルで、最初から最後まで快適妊娠生活だったのですが、単純に前回よりもわたしが年をとっているせいか、出産する季節の違いか、もしくは単なる偶然か、今回は勝手が違って戸惑うことばかりです。

そういえば、今回の妊娠がわかったとき、住職にこんなことを言われたのを思い出しました。
「自然界では、こんな時期の出産はありえないんだ」と。
実際、なんのトラブルもなく出産までこぎつけた前回の出産は、予定日が5月末で、産まれたのが6月はじめ。自然界では、この春から夏にかけての陽気の安定した過ごしやすい季節に出産ラッシュを迎えるけれど、人間は一年中いつでも産むことができる。でも、本来なら人間も動物なのだから、冬の寒い季節の出産はいろんな意味で注意しなければならないよ、とそんな話でした。

ところで、話はだいぶ変わるのですが、先日、街角でちょうど1歳くらいの子供を連れた夫婦とすれ違いました。その子は手に持ったおもちゃをしきりに両親のほうに伸ばしながら、「あー」「うー！」と声をあげています。よその人間にはその赤ちゃんが何を言っているのかさっぱりわかりませんが、ご両親は赤ちゃんの訴えがわるのか、何かを答えながら、傍目にはしっかりとコミュニケーショがとれているように見えました。
その様子に、「そうそう、うちの子もしっかりとしゃべりだす前はこんな感じだったな」と懐かしく思いながら、ふと子供のコミュニケーション能力について考えてみました。
      

我が家の子は現在2歳半。おそらく相当のおしゃべりさんで、同じくらいの月齢の子よりも会話量は豊富です。話す内容も大人顔負けの、というか、大人の真似をしてもっともらしいことを言ったりするので、聞いているほうとしてはずいぶん楽しめます。
最近は、拙いながらも話に起承転結ができ、自分の要求を訴えるのに理由をつけて説明するようになり、冗談を言ったりもするようになりました。つまり、会話の技法としては大人と大して変わりないレベルを身につけているわけです。
実際、日常会話をする分には大きな不便がなく、大人同士で話すのとあまり変わりないようにさえ感じています。

でも、それじゃぁ彼女が社会に出て、一人前の社会人として一日でも過ごせるかと言うと、それはとんでもないことですよね。
まず背丈や筋力など身体能力がないし、知識や経験も著しく乏しく、人脈や信用も皆無です。一日どころか、一時間でも無事ではいられないでしょう。

社会生活で肝心なもののうち、かなりの上位にランクインするものの一つにコミュニケーション能力があると思うのですが、それが一定のレベルに達していても、それだけでは人間社会の中で暮らしていくのは全くの不可能です。
幼い子供ですから、有害な食べ物や不穏な空気を察するなど、生き抜くための野性の本能のようなものは、大人よりもむしろ優れているようにも思います。でも、複雑な社会体系をもつ人間社会の中では、あまりにも無力な存在。そういった、動物的、生理的な成長以外の膨大な要因が成熟しないでは、ほんのひとときも社会的には存在できないわけです。

他の動物だったら、生後2年もたてば身体も成長を終え、親元から離れて自分自身の所帯をもっていても不思議はありません。人間はそもそも寿命が長いですから一概に比較することはできませんが、それでも人間社会とはなんて複雑なところなんだろうと思い知らされます。

自然界ではありえない「冬の出産」を控え、そんなことを考えています。
もちろん、その複雑で、すなわち高度な文化を持つ社会でだからこそ、トラブル続きの今回の妊娠もようやくゴールが見えてきたわけですから、本当にありがたいことですが。
ただ、なんだかんだ言っても、妊娠･出産というのは、生まれた、死んだというのと同じくらい、生涯の中でも最も動物的な経験に違いありません。あとは、いつやってくるかわからない陣痛に備え、できるだけ早く体調を整えて、慌てずに「そのとき」に臨むだけですね。
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   <title>お坊さんの仕事</title>
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   <published>2008-11-16T00:49:14Z</published>
   <updated>2008-11-16T01:53:25Z</updated>
   
   <summary>今、子育て系のテレビ番組の取材を受けているのですが、その中でこんな質問がありまし...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      今、子育て系のテレビ番組の取材を受けているのですが、その中でこんな質問がありました。

「幼稚園などで、将来お子さんが『お父さんのお仕事はなんですか？』って聞かれたら、どう答えるように教えますか？」

これには、ＫＡＫＵもわたしも一瞬固まってしまいました。
うちの子はまだ2歳なのでそういう場面に出くわしたことはないのですが、いずれ必ず通る道ですよね。それでとっさにあれこれ考えたのですが、いい答えが見つかりません。「お父さんのお仕事は？」に対しては、「お坊さんだよ」とすぐに言えるのですが、「お坊さんて何する人なの？」と聞かれたら、どう答えたらいいのかわかりません。

少し前に、ＫＡＫＵがお坊さん仲間とそんな話をしたことがあるらしく、そのときちょうど幼稚園くらいのお年頃の子を持つお坊さんが、「いろいろ考えた結果、お坊さんは『ポクポクチン（お経のときの木魚などの音）する人だよ』ということになった」と言ったそうです。ところが、その場にいた他のお坊さん達からは、「いくらなんでもそれはないだろう！」と一斉ブーイング。でも、そうは言っても、誰もお坊さんの仕事を幼い子に分かりやすく説明できる言葉を、他に見つけられません。

お坊さんの仕事って、何なんでしょう？
特に浄土真宗では、お坊さんにとって最大にして唯一の務めは、お経（念仏）を唱えることだと言えます。でも、けしてそれだけしているわけではないですよね。お寺やお墓の維持・管理もするし、宗派や近隣のお寺との会合もあるし、法事や葬儀の際にご門徒さんの食事の手配をしたり、片づけをしたり、個人的な相談を受けたりもする。
でも、よく考えれば、それはお坊さんがしていることであると同時に、お坊さんの家族がしていることでもある。
また、お寺や僧侶であるのとは全く関係ない場面での言動であっても、その根底にあるのは自らがお坊さんであることによる意識だったりする。
この彼岸寺の活動だって、お坊さんであるからこそのものだし、その中でメディアの取材を受けるのだって、お坊さんでなければあり得ないことですよね。
「お坊さんの仕事」というのは、なんだかつかみどころのないもののような気がしてきました。お坊さんにオンとオフがないことと関連しているのかもしれませんね。

そこで、この場をお借りして皆さまに公開質問！

お坊さんへ。
「お坊さんて、何をする人ですか？」

お坊さん以外の方へ。
「お坊さんて、何をする人だと思いますか？どんな説明がわかりやすいですか？」
      
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   <title>ぼちぼちと復帰です</title>
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   <published>2008-11-07T13:43:51Z</published>
   <updated>2008-11-07T13:56:49Z</updated>
   
   <summary>ご無沙汰しております、みちこです。 しばらくお休みさせていただいておりました「お...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      ご無沙汰しております、みちこです。
しばらくお休みさせていただいておりました「お寺に嫁ぐということ」ですが、予定していた年明けを待たず、再開できそうです。とは言え、まだ万全の状態というわけでもないので、更新は不定期になってしまいそうですが。

実は第二子を妊娠したのですが、切迫早産で2ヶ月間の入院をしていたんです。
こんなに長い間の入院生活、家族と離れての生活は初めてだったので、入院が決まった当初は理由もなく不安だったのですが、家族や友人･知人のサポートのおかげで、不便も寂しさもなく、かなり快適な入院生活を送っていました。
その間、本当のたくさんの産前産後の母子の様子を目にする機会があり、わたし自身もいろいろと感じることがありました。そんなエピソードも、こちらで少しずつ紹介していきたいと思っております。

出産予定日は年末です。
病院の先生にゴリ押しして半ば強引に退院してきたのですが、まだ当分は自宅安静が必要とのこと。今までの寂しさを取り戻すかのように、激しく濃密なスキンシップを求める娘のご機嫌をとりながら、ぼちぼちとブログ更新と出産準備に取りかかっていこうと思います。
これからも、よろしくお付き合いくださいませ。

      
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   <title>連載休止のお知らせ</title>
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   <published>2008-09-14T12:27:16Z</published>
   <updated>2008-09-18T12:29:26Z</updated>
   
   <summary>ご好評をいただいております「お寺に嫁ぐということ」は、著者の都合により当分の間休...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.higan.net/blog/totugu/">
      ご好評をいただいております「お寺に嫁ぐということ」は、著者の都合により当分の間休載させていただきます。
再開は年明けを予定しております。
どうぞご了承くださいませ。
      
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   <title>赤ちゃんの感覚</title>
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   <published>2008-08-31T04:21:13Z</published>
   <updated>2008-08-31T04:31:24Z</updated>
   
   <summary>ある日我が家の赤ちゃんが、ただボーッと立ったまま、それでもなんだかとっても機嫌よ...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.higan.net/blog/totugu/">
      ある日我が家の赤ちゃんが、ただボーッと立ったまま、それでもなんだかとっても機嫌よさそうにニコニコしていたので、「何してるの？」と聞いてみました。すると、「立っちしてるの！」と元気なお答え。そして今度はしゃがみこみ、「でも、もうヤーエンコ（お座り）しちゃったの！」と言います。
わたしはその答えに衝撃を受けてしまいました。
ただボーッと立っているだけ。何をしているのかと聞かれても、大人だったら「え？別に・・・」となるところです。でも、赤ちゃんにとっては、「立っちしてるの！」。感覚が、ものすごくストレートでシンプルなんですよね。欲求が複雑で、刺激に慣れきっている大人には、なかなか真似できるものではありません。
一事が万事、赤ちゃんはこんな調子。欲求も単純だし、過去も未来もなく、目の前の「今」という時間だけが全てなんです。
もちろん、こんな赤ちゃんのようなピュアな感性のまま現実の大人社会でやっていくのは難しい、というか周囲には大迷惑です。でも一方で、たくさんのことを知り、経験して、ある程度の分別が身についてしまった大人には味わえない世界を生きている赤ちゃんのことが、少し羨ましくも感じられました。
      
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   <title>オリンピック開幕</title>
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   <published>2008-08-09T15:17:13Z</published>
   <updated>2008-08-09T15:37:52Z</updated>
   
   <summary>始まりましたね、オリンピック。スポーツ音痴のわたしですが、メディアで特集されるく...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.higan.net/blog/totugu/">
      始まりましたね、オリンピック。スポーツ音痴のわたしですが、メディアで特集されるくらい注目度の高い種目や選手は、いちおう気にして見ています。
その中でも、昔から個人的に応援しているのは、柔道の谷亮子選手。同い年の上、学生時代に住んでいたマンションがものすごく近所で、わたしがアルバイトしていたお店にもときどき顔を出していたので、一方的にですが、当時から親しみを感じていました。テレビ放送などで見る谷選手は、48キロ級（学生時代は45キロ級）という小柄ながら、顔つきはキリッと引き締まって、体の小ささを感じさせない堂々たる存在感がありますよね。でも、ひとたび胴着を脱いでオフタイムになると、本当に小柄でものすごく華奢で、子犬のような笑顔を見せる、とってもとってもかわいらしい女の子でした。
今回、惜しくも五輪三連覇ならず銅メダルという結果に終わって、正直、もちろん残念ではあります。彼女が三たびの金メダルを獲り、いつものような王者然とした頼もしいコメントを聞かせてくれるのを、すごく期待していましたから。
でも、やっぱり彼女には心からの拍手を送りたいと思います。同い年で、一時は同じ街に暮らし、結婚や出産も同時期に経験した女性同士として、彼女の存在はとてもかっこよく見え、憧れでした。オリンピックという大舞台を終えた彼女に、「お疲れ様、ありがとう」と伝えたいです。
谷選手のほかにも、女子柔道には思い入れがあるんです。結婚前に勤めていた会社は女子柔道が盛んで、同じ部で働いていた人が何人かオリンピックに出場したときは、みんなで仕事を中断して画面の前で応援した思い出もあります。
わたしにとって個人的に大注目の柔道が既に始まっていることで、今年のオリンピックも強い興味を持って見られそうです。
メダルの数に関わらず、そしてどの国の選手ということにもあまりこだわらず、それぞれの選手が競技に臨む真剣な姿に大いに刺激を受けたい、夏バテ中のわたしです・・・。
      
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   <title>お坊さんの買い物風景</title>
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   <published>2008-08-05T00:48:15Z</published>
   <updated>2008-08-09T15:16:52Z</updated>
   
   <summary>お盆のお経参りの帰り道、ＫＡＫＵがデパートのお惣菜屋さんで夕飯のおかずを買ってき...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.higan.net/blog/totugu/">
      お盆のお経参りの帰り道、ＫＡＫＵがデパートのお惣菜屋さんで夕飯のおかずを買ってきてくれることになりました。そのときのＫＡＫＵの格好は、着物に間衣（黒い装束）、頭は丸坊主。一目見てお坊さんとわかる装いです。
お芋の煮物と炊き合わせと夏野菜のサラダをレジに預け、隣にあった鱧の煮凝りに手を伸ばしかけた瞬間、「やっぱりお坊さんは野菜ばっかり食べるんですね」と、頭上からの一声。顔を上げると、レジ係のお兄さんが、ＫＡＫＵの姿と買い物の内容を見比べながら、納得顔のご様子だったとか。KAKUは、鱧の煮凝りに伸ばしかけた手を、思わず湯葉に向かって方向転換させてしまったそうです。
家に帰ってきても、「鱧の煮凝りが食べたかったー。今しか食べられないのにー。」と、名残惜しそうにしていたＫＡＫＵ。
開祖・親鸞聖人が一早く肉食妻帯を実行した浄土真宗ですが、「お坊さん」という一括りのイメージの中では、やっぱり精進料理ばかり食べていると思われているのでしょうか。そんなイメージを裏切れず、思いがけず買ってきた湯葉のお刺身ですが、お味はとっても美味。湯葉が大好きなわたしにとっては、棚から牡丹餅のご馳走でした。ついでに、翌日の赤ちゃんの朝ごはんにも重宝できて大満足です。
      
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   <title>「暗闇ごはん」受付締め切りました</title>
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   <published>2008-07-26T23:41:17Z</published>
   <updated>2008-07-27T00:31:45Z</updated>
   
   <summary>昨日ご案内した8月7日の「暗闇ごはん」は、おかげさまで満席となりましたので、予約...</summary>
   <author>
      <name>彼岸寺管理</name>
      
   </author>
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.higan.net/blog/totugu/">
      昨日ご案内した8月7日の「暗闇ごはん」は、おかげさまで満席となりましたので、予約受付を締め切らせていただきました。
ご希望に添えなかった皆様、本当に申し訳ございません。
通常の「暗闇ごはん」は毎月一回のペースで開催しており、次回は8月末頃を予定しております。
詳しい日時が決定次第、こちら彼岸寺のウェブサイトで告知いたしますので、どうぞその機会にお申し込みくださいませ！

なお、彼岸寺メールマガジン購読にご登録いただきますと、ウェブサイトでの告知に先立って先行予約が可能です。メールマガジン発行時で予約が埋まってしまい、ウェブサイトでの告知に至らない状況が続いておりますので、「暗闇ごはん」に興味をお持ちの方は、メールマガジン購読にご登録をおすすめします。

ご登録はinfo@higan.netまで
※現在、システム上の都合で、自動登録ができなくなっております。お手数ですが、上記アドレスまでご連絡下さいませ。
      
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   <title>三連休</title>
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   <published>2008-07-20T00:17:28Z</published>
   <updated>2008-07-20T00:32:52Z</updated>
   
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.higan.net/blog/totugu/">
      東京はお盆も無事に終わり、この三連休からいよいよ夏休みですね、世の中は。でも、お寺では何も変わりはありません。土曜日曜に比較的はっきりとした仕事が多いといういうだけで、特に休日というのがないので、ともすると、曜日の感覚も連休の感覚もなくなってしまいます。せいぜいゴミの収集日で曜日を気にするくらいです。
ところで、夕べ寝ているときに、ＫＡＫＵが隣で寝ていた赤ちゃんに、目の上に思いっきり踵落としを受けて悶絶していました。以前にも、赤ちゃんの投げたテレビのリモコンが眼球を直撃して、眼科のお世話になったことが。今回も、一晩たっても痛みがとれないので、「また病院行きかなぁ」とぼやいています。風邪や頭痛、腹痛なんかでは、ちょっとやそっとでは病院のお世話になることもありませんが、目は自分で治せる気がしないので心配ですよね。
ところが、いつも行く近所の眼科は本日休業。連休なので、もちろん明日もお休みです。
こんなときには、「まったく三連休なんて・・・」と恨めしく思ってしまいます。会社に勤めていた頃は、連休というだけで、たとえ何も予定がなくてもなんとなくウキウキしたものなのに、今は連休どころか土日祝日の高揚感もありません。病院もやっていないし、銀行もやっていないし、連休を利用して訪ねてくれた友人を浅草案内に連れ出しても、休みでどこも混雑しているし、まるでいいことなし。
普段は、だからといってそれほど不便も感じませんが、今回のように、急に病院に行きたい！というときに連休だと困ってしまうんですよね。
でも、往来の人ごみに子供の姿が目立ち、みんなどことなくはしゃいで見える様子は、そう悪くもないものですね。
      
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   <title>もったいないなぁ</title>
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   <published>2008-07-05T11:40:32Z</published>
   <updated>2008-07-05T11:48:31Z</updated>
   
   <summary>夫のKAKUは、二、三日に一度のペースで髪を剃っています。そんなハイペースなので...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      夫のKAKUは、二、三日に一度のペースで髪を剃っています。そんなハイペースなので、剃りたての青っぽい頭皮にほんの少し髪の毛が顔を出し、それがはっきりと黒に変わった頃、また剃刀をあてるわけで、頭の変化は一目瞭然です。その様子に、わたしはいつも「もったいないなぁ」と思うんです。剃られても剃られても、健気に生えてくる髪の毛。そんなに愚直に生えてくるのは、人体にとって頭髪が必要なものだからで、わたしからすれば、それをわざわざ剃りあげてしまう意味がわかりません。彼にとっては、お坊さんである自分を自覚するために欠かせない行為なのでしょうが、別に髪の毛を剃ったからって、立派なお坊さんになれるわけでもないし、突然さとりがひらけるわけでもないんですから。それよりも、必要に迫られて、あとからあとから生えてくる髪の毛を、ご丁寧に四六時中剃ってなくしてしまうなんて、よほど不毛な行為に思えるんですよね。
まぁ、自分の髪なんだから気のすむようにすればいいと思っているので、普段はそれについて何も言いませんが、こんな季節になり、炎天下にさらされる頭皮を目にするたび、どうも納得のいかない思いがこみ上げるこの頃です。
      
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   <title>お墓についてなど。雑記</title>
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   <published>2008-06-23T10:17:56Z</published>
   <updated>2008-06-24T01:44:42Z</updated>
   
   <summary>先日、実家に帰省した際、飼っている犬の体調があまりよくないと聞かされました。病院...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      先日、実家に帰省した際、飼っている犬の体調があまりよくないと聞かされました。病院で血液検査をしても異常が見つらず、幸い、そのうちに症状も次第に穏やかになりました。それで、家族の間では、最近新しい犬を飼い始めたせいで、精焦りや寂しさ、嫉妬などで精神的にストレスを抱えてしまったためだろうということに落ち着きました。
でも一瞬は、この犬がもし死んでしまったら・・・という不安を感じました。かなりの大型犬ですので簡単に埋めるわけにもいきませんし、火葬してお骨になったとして、その辺の海や山に捨ててしまうというのも問題がありますし、だからといって納めるお墓に心当たりもありません。家族の心情としては、できれば同じお墓に入りたいくらいにかわいがっていますが、それは現実的ではないですよね。
親戚の家には、過去に飼っていて死んでしまった犬達のお骨が、まだ家の中に置いたままになっています。
また、ある家には、生後間もなく亡くなった子供のお骨が仏壇に置いたままになっているとか。その家ではご主人が分家にあたるためまだお墓がなく、本家のお墓もものすごく遠方で納められないそうです。家族には、「こんな小さな子供の骨なんだから、別にお墓に入れなくなっていい」とか、「もし次の子供ができると、やきもちを焼いてあの世に連れて行こうとするからちゃんと納めないとダメだ」とか、いろんな意見があるようですが、お母さん本人は、やはりどこかちゃんとしたお墓なり納骨堂なりに納めたいというのが本音だそうです。
でも、実際、このあと家族の他の人がお墓に入る予定も早急にはない状態です。そもそも自分達自身は、いざというとき、ちゃんとした葬儀もしてもらわなくてかまわないし、お骨だって海や川に散骨してもらえばいい、くらいの気持ちでいるのに、たしかにこんなに小さな子のお骨を入れるために、わざわざお墓や納骨堂を求めるというのも、経済的にもピンとこない。さて、どうしたものだろう・・・と悩んでいるのだとか。
      日本では、亡くなった家族は一つのお墓に入るというのが一般的ですよね。でも、まだ生きている間の個人に話を聞くと、お骨は海や山に流してほしいとか、思い出の場所に埋めてほしいとか、希望は多様です。中には、旦那や義理の両親と同じお墓には絶対に入りたくない、なんていう人もいたりします。
葬儀についても、儀式なんてしなくていいとか、賑やかなお別れ会にしてほしいとか、個人レベルでは、従来のやり方の枠にはまらない、いろんなかたちを思い描いてる場合が多いようです。
ところが、ではそんなふうに自由な葬送を希望していたその個人が亡くなったとき、残された家族が本当に故人の希望どおりのやり方を踏襲するかというと、必ずしもそうではないというのが現状です。
「そうは言っても、やはりきちんとした形で旅立たせてあげたい」とか、「親戚の手前、あまり突飛なことはできない」とか、「一般的な流れでないと、面倒くさくていやだ」など事情はありますが、結局、いわゆる普通のお葬式を出して、先祖の眠る墓地に普通に埋葬するというのが多いように思います。もちろん、死亡が突然のことだったり、あまりに悲しみが深く、オリジナリティのある葬送を企画できないという気持ちからでもあると思いますが。

一方で、継ぐ人がいなくなり絶えた家のお墓が、手を合わせに訪れる人もないまま放置されていたり、ちゃんとお墓を守っていきたいけれど、転勤など仕事の関係で現実問題として難しいという家もあるでしょう。
あるいは、継ぐ人のいなくなったお墓は、いずれ合祀されることになりますが、それには抵抗がある、でも、自分が継いで守っていく心づもりまではない、というような声も聞かれます。

お墓に入りたくないけれど、結局は入るしかなさそうだ。
お墓に入りたいけれど、入るお墓がない。守ってくれそうな人もいない。

お墓について、そしてそれを取り巻く事情には様々な問題がありそうです。
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   <title>仏前結婚式</title>
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   <published>2008-06-08T02:25:30Z</published>
   <updated>2008-06-08T02:53:29Z</updated>
   
   <summary>友人の結婚パーティにお呼ばれしてきました。 わたしたちが参加したのは二次会だけで...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      友人の結婚パーティにお呼ばれしてきました。
わたしたちが参加したのは二次会だけでしたが、当日行われた挙式の様子も新郎のパソコンに写真がアップされていて、白無垢と羽織袴に身を包んだ、初々しくも厳かな表情で杯を交わす新郎新婦の姿を見せてもらうことができました。
このご両人、挙式は上野・寛永寺で仏前結婚式を行ったとのことでした。袈裟をつけたお坊さんが儀式を執り行う様子は、さすがにＫＡＫＵやわたしにとっては見慣れたものですが、集まった多くの参加者にはとても新鮮なようで、みんな興味深そうに見入っていました。

仏前結婚式、やっぱりいいですね。新郎新婦を囲むように両家の親族が並ぶ配置が、わたしはとても気に入っています。結婚が二人だけのものではなく、家と家との結びつきであり、つまり、二人の存在の由縁によってこそ、新しい絆、縁が結ばれたのだということを実感できるんですよね。それに、結婚式という、いやがうえにも緊張を強いられる場面だけれど、親しい顔が回りで見守ってくれるおかげで、なんとなく気持ちがほっとします。

なかなか出会う機会のない仏前結婚式ではありますが、これから結婚をお考えの方には、是非検討してみてほしいと思います。有名な大きいお寺なら、たいてい受け付けてくれますし、菩提寺など、ゆかりのあるお寺に相談なさってもいいと思います。というか、仏壇があれば、自宅でも可能ですよ！

それにしても。わたしも数年前に仏前で結婚式を挙げた身。今回の新郎新婦の様子に、当時の自分を重ねたりもしてみたのですが、いやはや、さすが寛永寺、舞台が違いますね。時代を感じさせる広くて重厚なお堂に、お坊さんの数もなんと5人！わたしたちは雅楽をお願いしたので、その奏者（お坊さん）や、住職の親しい友人（お坊さん）にも参列をお願いしていましたが、それを除けば、式を執行したお坊さんは1人だけ。それもＫＡＫＵのおじいちゃん。
さらに、寛永寺は密教系の天台宗なので、お堂の様子も、お坊さんの装束も、浄土真宗であるうちの寺のものとは全然違います。
本当に、「お寺」といっても実に様々なものだなぁと、改めて実感しました。

何はともあれ、新郎新婦、ご結婚おめでとうございます！この日の姿をお互いに忘れず、いつまでもお幸せに。
      
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   <title>仏の子</title>
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   <published>2008-06-01T12:52:01Z</published>
   <updated>2008-06-01T13:25:37Z</updated>
   
   <summary>今日、近所の仏教系幼稚園で行事があり、ちょっと覗いてきました。かわいいですね、子...</summary>
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      <name>彼岸寺管理</name>
      
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      今日、近所の仏教系幼稚園で行事があり、ちょっと覗いてきました。かわいいですね、子供たちは。我が家の赤ちゃんには幼稚園はまだ先の話ですが、集まった園児達に我が子の未来を重ねて見て、思わず笑みがこぼれました。

さて、その行事での一コマ。園児達が、事前に覚えていたある言葉を一斉に唱えるのですが、それが「これからも、わたしたち仏の子を見守ってください」というものだったんです。
それを聞いた瞬間、思わずゾッとしました。

「仏の子」。
その言葉の持つ強い響きに圧倒されて、身震いさえする思いでした。こんな幼い子供達に、いったいなんてことを言わせるのだろう、これでは洗脳じゃないか、と。
その幼稚園はうちの寺からとても近所なので、我が家の赤ちゃんもいずれ通う可能性が高いのです。ひどい嫌悪感に襲われましたが、よく考えてみれば、まぁ仏教系の幼稚園ならどこでもありえることだし、わたし自身の夫であるＫＡＫＵも、おそらくそんなふうに教育されてきたクチでしょう。
右も左もわからないうちから「わたしは仏の子」と刷り込まれたところで、別に大した問題じゃない、すぐにそう思い直しました。

でも、今日一日、頭の片隅にその言葉が焼きついて離れませんでした。
それが、突然わかちゃったんですよね。「仏の子」の意味するところが。

最初にそれを聞いたとき、「何言ってんの、あなたたにちはパパやママがいるでしょう！？」と、本当に思ったんですよ、わたし。でも、それじゃぁそのパパやママは誰の子なのだろう。当然、誰にでも父母があり、その父母にもまた父母があります。でも、人ひとりの存在は、けしてそれだけの単純なものではないんです。
『お寺に嫁いでしまった。』の中でも触れましたが、わたしは長女を出産する前に二度の流産を経験しています。もし、そのときに産めなかった子供たちが無事に産まれていたら、長女は存在しなかった。つまり、この世に生きられなかった命に、我が子は生かされているわけです。
それだけじゃない。出産した病院が違っていたら、里帰りの日にちを変えていたら、あのとき通った道を変えていたら、昨日の夕飯の献立を変えていたら・・・今、この子は生きていないかもしれない。笑っていないかもしれない、泣いていないかもしれない。

我が子が、わたし自身が、そして全ての命が存在し、今まさにそれぞれの時を過ごしている背景には、ものすごい偶然が幾重にも折り重なっているんですよね。その膨大な偶然を、例えば仏教では「縁」と言うのかもしれません。
そして、「仏の子」の意味する「仏」が、すなわち「縁」であるのだと。

無邪気に「わたしたちは仏の子」と言った幼い子供達に対して、「何言ってんの、あなたたにちはパパやママがいるでしょう！？」と本気で訴えていた、あまりにも刹那的な自分に驚いています。
こうやって時間をかけて考えれば、なるほど我が身もまた仏の子なのだと納得できる。逆に言えば、時間をかけてよくよく考察しなければ、それがわからない自分。三十路を過ぎて、子供まで産んでいながら、何もわかっていない自分。

ものの理屈など考えもしない頃から、自分や他の命が生かされている由縁を感覚できるような教育。その表れの一つが、今日のあの場面だったということなのでしょう。頭と図体ばかり育ちきってしまってから仏教に触れ合っているわたしと違い、あの園児達は、しっかりと開いた眼で世の中に出て行くのだろうと思うと、彼らが頼もしく、彼らの担う未来が輝かしく思われるのです。
      
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