ある日我が家の赤ちゃんが、ただボーッと立ったまま、それでもなんだかとっても機嫌よさそうにニコニコしていたので、「何してるの?」と聞いてみました。すると、「立っちしてるの!」と元気なお答え。そして今度はしゃがみこみ、「でも、もうヤーエンコ(お座り)しちゃったの!」と言います。
わたしはその答えに衝撃を受けてしまいました。
ただボーッと立っているだけ。何をしているのかと聞かれても、大人だったら「え?別に・・・」となるところです。でも、赤ちゃんにとっては、「立っちしてるの!」。感覚が、ものすごくストレートでシンプルなんですよね。欲求が複雑で、刺激に慣れきっている大人には、なかなか真似できるものではありません。
一事が万事、赤ちゃんはこんな調子。欲求も単純だし、過去も未来もなく、目の前の「今」という時間だけが全てなんです。
もちろん、こんな赤ちゃんのようなピュアな感性のまま現実の大人社会でやっていくのは難しい、というか周囲には大迷惑です。でも一方で、たくさんのことを知り、経験して、ある程度の分別が身についてしまった大人には味わえない世界を生きている赤ちゃんのことが、少し羨ましくも感じられました。
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8月29日の暗闇ごはんに参加させて頂きました、畠山です。
今回の催しに参加させて頂くにあたり、数多いブラインド・ディナーの選択肢の中から敢えて御寺を選んだのは、「精進料理だから、素材の味を感じると云うベクトルに尤も適しているのでは!?」「面白可笑しければという普通のレストランより、主催地がお寺だもの。スピチュアルな世界に近くない!」との理由からでした。
伺う前までは、「今後は、化学調味は受付けないわ!なんて体になっていたらどうしましょう!!」「何かを体得してしまって、もう俗世間には戻れないかも!?」等々半ば怯えていたのですが、良い意味で世俗的で安心致しました。
『味わう』という言葉を 改めて感じました。
お伺いした後日の土曜・日曜の食事も、思わず目を瞑り食材を味わう私が居りました。今まで、ただ『美味しい』と味わって来ただけの食材の、生産者や育成者に心を馳せたり致しました。
それにしても一番残念なのは、二種の御握りのお米の炊き方が私以外何方も判らなかった事(決して自分のみが判った事を自慢しているのでは有りませんことをご承知下さい)。
日本人にとって、基本はお米。
なのに、あの二種類の、全く違う炊き方を見分けられないなんて…。
かなり愕然としました。
どうぞこれからも、日本人としての食育を育てて行って下さい。
もし不肖な私にも御手伝い出来る事がありましたら、何なりとお申し付け下さいm(__)m
追伸
私もMBAホルダーですし、周囲もホルダーがわんさか。
でも、あれだけ素敵なお料理が出来て、素敵な笑顔をなさる方を存じ上げません。
どうぞこれからも、ご家族お幸せでいらっしゃいますように。
投稿者: 畠山 | 2008年8月31日 20:51
日時: 2008年8月31日 20:51
私事がいろいろと重なってしまい、コメントに返信をするのが遅くなってしまい、恐縮です。
まずお断りをしておかなければいけないのは暗闇ごはんの当日もお話ししたかもしれませんが、暗闇ごはんは「精進料理」ではありません。
精進料理には肉や魚以外にも葱やニンニクといったものを使うことを控えますが、暗闇ごはんでは使用しております。
また、何よりも私自身精進料理は和食やフレンチといった食のカテゴリーではなく、(お坊さんが)修業中のお坊さんのために作られた料理が精進料理だと思っております。
たとえばお相撲さんが食べれば鍋もごはんもスパゲッティも「ちゃんこ」であるのと同じように、修行僧のための供養として作られたものこそが精進料理だと思いますので、お寺のイベントとして行っているこの料理は精進料理とは思っておりません。ただし、精進料理の姿勢を基本に添えておりますので、僕自身「仏(ほとけ)料理」と一回り大きな枠組みでとらえております。
暗闇ごはんとしては、食べるという単純に毎日行う行為にもう一度焦点をあて、食べることの大事さを考えてほしいと思ってやっております。真剣に食べることを考えれば今現在騒がれている食の安全についてもおのずから答えを見いだせるのだと思います。
実際に僕はあまり食の安全に危機感を覚えておりません。
暗闇ごはんでお出しする野菜も顔が見えて信頼できた八百屋さんから仕入れておりますし、それをうちの赤ん坊にも食べさせております。
その中でもひょっとしたら何かまずいものが入っているかもしれませんが、自分が信頼した相手だからこそ、ひょっとしたこともないと思いきれましすし、もし何かがあったにしてもそれは相手を責めるのではなく、自分が信じたことだから仕方がないことだと思えるという気持ちでいます。
100パーセントの安全を求めることは不可能だと思いますが、信頼できる人には100パーセント頼ることは気持ちの持ちようでできると思います。そこを疑って生きるほど息苦しい世の中にはなってほしくないと思います。
投稿者: KAKU | 2008年10月 2日 23:14
日時: 2008年10月 2日 23:14