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2008年5月 アーカイブ

2008年5月18日

この週末、地元浅草では恒例の三社祭が開催されました。
ただ、恒例の、とは言っても、実は去年までとは大きく違うお祭りだったんです。それは、肝心の「三社様」が出なかったこと。
三社祭は、浅草寺の起源とされる三人の人をお奉りするための祭礼で、現在では浅草寺の敷地内にある浅草神社の神事とされています。そういうわけで、これはとても神聖な意味のあるお祭りなのですが、毎年興奮して調子に乗りすぎる輩がいて、神聖なお神輿に乗っかったりするんです。浅草神社としては、今後もそういう無礼が続くようなら、もう三社祭は開かない!と言っていたにもかかわらず、ある年には神輿が壊される事態が起きたりして、とうとう今年は三社様が出ず、町神輿だけのお祭りとなったわけです。
例年とは違うスタイルでの開催に、人出はどうなるだろうと興味深く見ていましたが、土曜までは例年並、最終日の今日は若干人出も少なかったように感じました。

さて、お祭りに対しての浅草神社の対応、どうなんでしょうね。わたしとしては、まぁもっともかな、とは思います。日本全国、多くのお祭りには何かしら宗教的な意味があるものです。それを、ただただドンチャン騒ぎしたいだけ、神も仏も知ったことかと無礼を繰り返す人があとをたたないのなら、神事としての本来の意味を失ったただの乱痴気騒ぎのために、大切なお神輿を出すわけにはいかないというのは、もっともな言い分だと思います。
けれど、日本人にとってお祭りとは宗教的な意味だけでなく、この日ばかりは無礼講と、我を忘れて大騒ぎしたい、日常の中でのハレの日でもあります。そこに、神だ仏だと小難しいことを言われて水を差されては面白くない、という気持ちも、わからないではないんです。
実際、浅草のお祭りとは言っても、地元とは縁もゆかりもない人たちが全国から大挙してお神輿を担いでいるのが現実。そんな様子に、大っぴらにいい顔はできなくても、このお祭りがそういう人々によって盛り上げられているのも確かなことです。神も仏も浅草も関係ない、ただパーッと騒ぎたいんだ、という人に、祭りの本来の意味を問うたところで、大した効果はないでしょう。

ただ、それでも残念に思うのは、「これは大事なものなんです」と誰かが大切に思っているものを、せめてぞんざいには扱わない優しさを示してもらえなかったことです。宗教がどうとか難しいことはわからなくても、誰かにとって大事なものを自分も尊重できる、そんな謙虚さ、思いやりが見えていたら、「三社祭」なのに三社様が出ないなんていう、異例の事態にはならなかったはずなんです。
実際、浅草神社のお神輿がなくても、今年のお祭りを、みんなそれぞれに楽しんでいたように思いました。神社の人が、繰り返し繰り返し、「どうか乱暴にしないでほしい」と訴え続けていた暴挙なくしても、ちゃんとお祭りは楽しめたはず。

無礼講のハレの日だからこそ、みんなが心から楽しめる、和気藹々としたお祭りのあり方が取り戻されるように願います。

2008年5月11日

先週はわりと暖かい日が続き、赤ちゃんのお散歩も気持ちよく歩くことができました。でも、さんざん歩いて寄り道もして、けっこう疲れた様子に見えても、家に帰ってくるなり「もいっかい、おんも!」と言って、タッタッと走り出す赤ちゃん。
うーん、もう一度行ってあげたい気持ちは山々だけど、実は親のほうが疲れてしまっていたりして、なんとかなだめて家に入ろうとするのですが、なかなかうまくいきません。
そのとき、赤ちゃんが玄関先に置いてある、お墓参り用の桶に手を入れて水遊びを始めたんです。よしよし、これならつきあえると、さっそくわたしたちも水遊びの用意。桶の中の樒を抜いて、かわりに水を多めに入れてあげ、家の前の道路に置いて柄杓をわたします。
キャッキャと明るい笑い声をあげ、雄たけびとともにあちこちに水を撒き散らす赤ちゃん。あっという間に足元はびしょ濡れです。でも、本当に楽しそう。
玄関先の手軽な場所に、いつでも桶と柄杓があるなんて、家がお寺でラッキーなことです。

2008年5月 4日

子供部屋にある洋服ダンス。中にはもちろん、我が家の赤ちゃんの洋服が詰まっているわけですが、幼くても女の子なんですね、それを引っ張り出してファッションショーするのがお好きなようです。下着からズボンから帽子から、片っ端から引っ張り出して、ときには十枚近くも重ね着したりして、その姿を鏡に映してニヤーッとして。
まぁ、そこまではかわいいからいいのですが、問題はそのあと。引っ張り出すまでは簡単なんですが、もちろん一歳児にはたたんでタンスに戻すなんてできませんから、それは当然親の仕事になるわけです。
着込んだ服を脱がせて、一枚一枚たたんでタンスにしまう。何回も何回もそれを繰り返して、ようやく全部終わろうかというときになって、今度はファッションショーよりも親の真似をしたい虫がうずき出し、たった今しまったばかりの洋服を引っ張り出しては、広げてたたんでみる赤ちゃん。もちろん、ちゃんとたためてなどいません。それでも、せっせせっせとたたみ続け、ある程度たまったところで、まとめて引き出しにドサッ。そして、「できたよ」と満面の笑み。
子供の無邪気な気持ちに水を差してはいけないと、「上手にできたねー」とこちらも笑顔で答えながら、「でも、これじゃぁ引き出しが閉まらないね」と言いつつ、パッパッとたたみ直して再びタンスへ。すると、お気に入りのワンピースが目に入り、そこからまたファッションショー再開。振り出し。そして繰り返し。

とまぁ、飽きもせずそんなことを繰り返す日常です。
子供って、びっくりするほど飽きないんですよね。毎日毎日、同じぬいぐるみ、同じビデオ、同じ歌、同じ遊びに夢中になる、。けして、それしかないから仕方なく、というのではなく、本当に楽しそうに熱中して遊ぶんです。けれどよく見ていると、例えば同じぬいぐるみ相手に同じように遊んでいても、昨日とは違う言葉を話しかけていたり、同じ歌を歌ってとわたしにねだっても、昨日までは聞いているだけだったのが、今日はおぼつかないながらも一緒に歌おうとしていたりします。

我が家の赤ちゃんはまだ保育園などにも行っていませんから、彼女の世界はこのうちの中の家族だけ。それでも、限られたその狭い世界の中で、ものすごい勢いでいろんなものを吸収して成長につなげているわけです。
それに比べて、育ちきってしまったわたしの世界は、彼女の何倍も何十倍も広く、自分の思い一つでさらにいくらでも広げていくことができるのに、およそ「成長」ということになると、さっぱり広がりがありません。
もっともっとと広い世界、つまりいろんな刺激を求めても、それが欲でしかなくなり、もはや糧にはなりえていないわけです。

飽きもせず、一つのことに夢中になりながら、そこからあらゆるものを吸収していく赤ちゃんの日常に、驚きと焦りを感じずはにいられません。

寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。