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2008年4月 アーカイブ

2008年4月25日

恥ずかしながら、数日前から風邪をひいております。
主に熱と鼻づまりに悩まされているのですが、風邪菌が目や耳にくるというのを初めて体験しました。耳は、トンネルや航空機で耳抜きがうまくいかない感じが続き、目は、かゆいような痛いような感覚で、目やにがたくさん出るんです。噂には聞いていましたが、すごく鬱陶しい症状ですね。

さて、わたしがこんな調子なので、赤ちゃん(そろそろ2歳。赤ちゃんというには、育ちすぎ)の世話はもっぱら寺の両親に任せっぱなし。朝ごはんを食べさせたあと預けて、夕飯のあとお風呂まで入れてもらってから引き取ります。食事の用意や片づけは、KAKUがいつも以上に活躍してくれています。家族みんなが家の中にいるって、ありがたいことです。
わたしはというと、寝たり起きたりを気ままに繰り返し、こんなふうにちょこちょこパソコンをいじりながらのんびり養生させてもらっています。特に用事もないので家から、というか部屋から出ることもなく、32歳にもなって、まるで箱入り娘のような生活です。外に働きに出ないって、便利なものです。

いやぁ、会社勤めをしていた頃の自分が懐かしいです。ちょっと消極的な意味で。少々の風邪であろうと、暴風雨であろうと、暦どおりに出勤し、少なくとも定時までは会社に詰めて仕事をする。それが普通だったんですよね。
でも、以前、年末年始の休み中にインフルエンザにかかっていることに気づかず、今日は仕事始めの大事な日だからと、高熱とひどい頭痛をおして出勤したら、会社に着いてエレベーターに乗ったとたん、上昇していくときのあの気圧の変化に負けて倒れたことがあったんです。周りにいた人が社内の診療室に連れて行ってくれ、診察の結果、そのまま近所の病院に即入院。結局、職場にはずいぶんと迷惑をかけてしまいました。

お寺の暮らしにどっぷり浸かっていると、ときどき後ろめたく感じることがあります。世の中の多くの人は、雨にも負けず、風にも風邪にも負けず、規則正しく出勤して、家族団らんを犠牲にしても、会社のため社会のために、それこそ体を悪くするまで働いている。それに比べて、わたしはなんて恵まれた生活をしているんだろう、って。それでも、その恵まれた暮らしの中でも、怠惰を退け、努めて有意義な時間を過ごしていれば、後ろめたい思いなんてしないのかもしれません。
わたしがお寺での暮らしに負い目を感じてしまうのは、きっと、普段からダラダラと甘えた過ごし方をしているからなんでしょうね。

お寺の暮らしって、本当はとっても素敵なものだと思うんですよ。日の出とともに起き、日が沈んだら休む。体調がすぐれないときは活動を止め、天候が悪い日には家の中で静かに過ごす。
そんな、自然に則った穏やかな暮らしの中からこそ、「実り」というものが生まれるんじゃないかな。そんなふうに思います。

まずはしっかり風邪を治して、日ごろの生活を省みようと思います。

2008年4月19日

先日、『暗闇ごはんVol.3』が開催されました。いつもは、参加者の男女比はだいたい半々くらいなのですが、今回は定員の12名中、なんと男性はただ一人。会場はまるで女子高のような、明るく賑やかな雰囲気に包まれました。いやいや、男性が多くても、いつも十分に賑やかですが、会場に男性の声が目立つのとそうでないのとでは、やっぱりその場の感じはだいぶ違うんですよね。

もう一ついつもと違ったのは、とっても久しぶりに暖房をかけずにすんだこと。会の終盤になって、むしろ少し送風をかけましたが、空調のいらない季節になったのだと思うと、なんだか気持ちもさわやかになりますね。
『暗闇ごはん』は月一度の開催なので、使う食材にも季節の移り変わりを感じやすいものです。毎回KAKUが何度も市場に足を運び、できるだけ新鮮で、季節感のあるものをと心がけて選んいます。参加者の方は、目隠しをしたままでの食事に、「今、自分が食べているものはなんだろう?」と、めいっぱい想像力を働かせ、周りの人と、ああでもない、こうでもないと話に花を咲かせるものですが、一つ、「この時期の旬はなんだろう?」ということに注意を払うと、正解への近道になるかもしれませんね。

2008年4月12日

法事などで、ご門徒さんがお寺に集まるとき。今でこそ、「こんにちは」「おはようございます」と自然に言葉が出るようになりましたが、嫁いできた頃は、いったいなんと言って声をかけたらいいのか、いつもすごく戸惑っていました。
最初に思いついた、というかなんとなく口に出たのは、「いらっしゃいませ」だったんです。自分でもなんだかしっくりこないなとは思いつつも、外からやってきた人に対して、他にかける言葉が見つからなかったんですね。
義母は、「お店じゃないんだから、『いらっしゃいませ』は変よ」と言いましたが、それじゃぁ義母はなんて言っているかと思って聞いていると、「あ、どうも」くらいの、あっさりしたやりとりで。わたしときたら、結婚したばかりの新米で、「どうも」なんて言ったところで、お互いに顔も名前も心当たりがないわけだから、「どうも」では、ちょっと心地が悪い。
それなら、普段、人に会ったときどういうシチュエーションでどんな挨拶をしているのか、考えてみました。会社であれば、まぁせいぜい午前8時とか9時とかに顔を合わせますから、「おはようございます」が自然ですよね。アルバイトしていた頃は、同僚同士ではやっぱり「おはようございます」。お客に対しては、当然「いらっしゃいませ」。それから、自宅にお客さんを招いたときも、「あら、いらっしゃい」なんて言っていました。
でも、お寺で法事などのために集まった人に対しては、どんなふうに声をかけるのが自然なんでしょう?自宅に招いたお客じゃないから、「あら、いらっしゃい」なんていう、くだけた感じはなんとなく気まずい。かと言って、ご門徒さんは、寺に買い物をしにきたわけでもないから、「いらっしゃいませ」もおかしい。でも、「こんにちは」なんて言うのは、まるで外でバッタリ会ったときの挨拶のようで、的外れな気がします。
法事が終わって、お見送りするときの挨拶にも迷いました。やっぱり、お店屋さんではないから、「ありがとうございました」は具合が悪いですし。
結局今は、お迎えするときは「おはようございます」や「こんにちは」、お見送りのときには「お疲れ様でした」「お気をつけて」などと言っています。それが正解なのかどうかわかりませんが、ずっと言い続けていると、自分でも馴染んでくるから不思議ですね。

2008年4月 4日

もう、かれこれ10年以上の付き合いになるでしょうか。大のお気に入りで、OLだった頃には休日に、結婚してからはそれこそ毎日のように使っていたある物が、そろそろくたびれ切って使い物にならなくなってきました。既に選手交代用に新しいものも用意して、いつでも捨てられる状態になっているのですが、あまりにも愛着があって、どうしてもサヨナラすることができずにいます。

それは、一足の靴です。

実家の母が旅行先で買ってきてくれた革製のローファー靴なのですが、誂えたようにわたしの足にぴったりで、さらに何年も履き続けるうちに、革がわたしの足になじんで、まるで自分の足のようにさえ思われてくるほどでした。なので、どこへ行くにも重宝して、普段使いはもちろん、犬の散歩やハイキングなど、あらゆる場面で大変に活躍してくれた一足でした。そんなお気に入りの靴ですから、お手入れにも気を使って、履く前には必ず防水スプレーをかけ(防水だけじゃなく、汚れにくくなる効果もあるんです!)、履いた後には汚れ落としのクリームを塗り、靴底が磨り減るとこまめに修理に出し、大事に大事に使ってきました。
ところが、ここ一年ほど、とうとう革自体が薄くやつれて、染みも大きく目立つようになり、急にくたびれた感じがしてきました。それでも頑張って使い続けていたのですが、先日、ついに革に穴が開いてしまったんです。中に履いている靴下が丸見えで、見るからにみすぼらしい雰囲気。
泣く泣く、心の中で履き納めの日を決め、新しいローファーをいつでも下ろせるように準備しました。
でも・・・。今日が最後と決めたその日から、もう一週間ほどたつのですが、まだ捨てられずにいます。さすがに履いて出かけることはありませんが、まだ玄関に置いたまま。たかが靴一足、されど靴一足、青春時代をともに過ごしてきた戦友を失うような気がして、寂しくて仕方ないんですよね。

先日、友人の結婚式に出席しました。
今日は、演劇をやっている友人の最後の舞台を観てきました。

外へ出れば、桜の花が短い隆盛の時を終え、柔らかな若芽が姿を見せ始めています。

わたしも真新しいピカピカの靴を履いて、新たな一歩を踏み出さないと、ですね。
自分の体の一部のように馴染んだ靴にお別れするのは、今でもやっぱり寂しいのですが、世の中もちょうど節目の季節。力強く安定した歩みのためには、一つのけじめが必要みたいです。

寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。