2008年3月15日

今月末に、わたしの実家で祖母の三回忌が行われます。実家の菩提寺は臨済宗のお寺で、わたしが暮らす浄土真宗のこの寺とは、読むお経も、本堂の感じも全く違います。
お寺って、もちろん宗派が違えばいろんなことが異なりますし、地域や規模によっても、状況は様々なんですよね。
嫁ぐ前は、「お寺」という一括りでしかイメージがなくて、それこそアニメの一休さんや日本昔話に出てくるようなお寺しか、想像がつかなかったんです。でも、こうしてお寺に嫁いでお寺に暮らし、いろいろなお寺の方と話をするようになると、お寺というのは、こうという形のない、ある意味とても自由で開放的な場所なんだなと感じます。

先日、沖縄にある知人のお寺を訪ねました。待ち合わせ場所にやってきたそのお坊さんが乗ってきたのは、軽トラック。荷台には、何本ものロープや工具を積んで。お坊さんと軽トラックという組み合わせが意外で、ちょっと驚きました。それから気をつけてみてみると、周囲を走っている車のおよそ九割が軽自動車なんです。東京・浅草ではありえない光景です。それから、お墓の形も、わたしが知っているものとは全く違うし、場所もお寺にあるわけではなく、町中のいたるところに点在しています。本堂の前に立派なシーサー、そして、お寺から見える景色が抜けるような青い空と海というのも、新鮮な驚きでした。
さてさて、こんなふうに、目に見える違いはいくつか気づいたのですが、肝心のお話が始まると、連れて行った赤ちゃんが暴れだしてしまって、お世話に追われて全く聞かれなかったのが残念です・・・。沖縄という個性の強い土地にあって、興味深いお話がたくさん聞けるだろうと期待していたのですが、子供連れだと何事も計画通りにはいかないものですね。

いずれにしても、言われてみれば、例えば浅草のうちの寺も浅草寺も、京都の金閣寺も、みんなお寺だけど全然違う。
もちろん、宗教施設なのだから、それぞれの教義に則って規律正しくあってしかるべきなんだけど、「そうは言っても」というところが、多分に赦されている。土地の風土や時代によって、それぞれの置かれた環境で受け入れられやすいように変化しながら、それでも、何十年、何百年と存在し続けているわけです。
考えてみたら、仏教そのものが、古くインドに発祥したのち、途方もない長い距離と時間の中でさまざまに形を変えながら、今ここにあるんですよね。そんな自由さもまた、仏教の真実の姿なのかもしれません。

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コメント (1)

kenyou:

なんか偶然にも同じような事、考えてました。
他宗のお坊さんと間近で会えたこと、たまたま護摩を見たこと、というのが理由なんですけど、
仏教って大きな括りはあっても、ホント、全然違うんですよね。
今まであまり意識しなかったというか、
そこまでの違いを知らなかったので、ちょっとカルチャーショックでしたね。

それでも、宗派の枠組みとか離れて、
いろんな宗派のお坊さんが集えるというのは、いいことだとも感じました。
それが彼岸寺の良さの一つなんですよね、きっと。

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寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。