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2008年3月 アーカイブ

2008年3月30日

浜松にある実家で、祖母の三回忌法要が行われました。久しぶりに親戚が集まり、KAKUも浅草から駆けつけてくれました。
お寺での法要が終わり、自宅に場所を移しての宴会、ではなくて、お斎が設けられ、ワイワイと賑やかに話が弾みます。そのとき、どこかの席から、「今度そっちのほうに、頑固なショッピングモールができるら?」という発言が出ました。すると、KAKUが敏感に反応しました。
「頑固なショッピングモールって、何?」と言わんばかりに、無言で目を丸くしています。
ああ、それはね、とわたしはここでの「頑固」の意味を説明しました。
浜松の方言なのですが、「頑固」には、すごいとか、大きいとか、たくさんといった意味があるんです。英語で言えば、「メガ」に相当するニュアンスですね。なので、頑固なショッピングモールとは、ものすごく大きなショッピングモールといった具合です。
他には、例えば大荷物を抱えている人に向かって、「頑固持ってきたらねぇ」なんていう使い方もあります。

KAKUは、なるほどと納得しましたが、彼は浜松に来ると、毎回何かしら言葉の壁にぶつかるようです。生粋の江戸っ子の彼にとっては、浜松はかなり方言のキツい地域なようで、年配の人の言葉は外国語のように聞こえることもあるとか。さすがにわたしとの会話では、全く意味不明というようなことはありませんが、それでもときどきは、「僕の知らない言葉で話されているようで寂しい」なんて言われることも。
普段、在家からお寺の暮らしに飛び込んだわたしが感じている、身の置き所のなさというか、疎外感というか、違和感を、浜松では彼がひしひしと感じるているんですね。

わたしたちの結婚について語るとき、お寺の跡取り息子と、在家出身のOLというキーワードは外せませんが、出身地の違いというのも、日常でぶつかるギャップの大きな一因です。
実際、祖母の通夜・葬儀にKAKUが来てくれたとき、葬儀式については人並み以上の知識も経験もあると自負していた彼が、「何から何まで、今までと勝手が違うお葬式だった」と、心底驚いていました。たしかにうちの実家のある地域は、この辺り一帯でもさらに特殊な習慣の残る地域だと聞きましたが、お坊さんが面食らうほどなのですから、よっぽどですよね。

今回のお斎の席でも、飛び交う方言の中で、彼はやっぱりどことなく所在なさげに見えました。でもわたしには、そんな空気に身を置くことがなんとなく心地よく感じられたんです。久しぶりにどっぷりと浜松便に浸っていると、普段、無意識のうちに纏っている殻が剥がれ落ち、ものすごく身軽で気軽な気持ちになります。そして、そんな自分の隣で、浜松時代のわたしを知らない伴侶がちょこんと座り、ちびちびとお酒を飲っている。

窓際には、静かに微笑む祖母の遺影が置かれていました。
おばあちゃん、おばあちゃんの三回忌のおかげで、あちこちから親戚が集まってこんなに楽しくお酒を飲んでるよ。
心の中で祖母に話しかけ、「なるほど、これを仏縁と呼ばずしてなんと呼ぼう!」と、一人ふむふむと頷いたわたしでした。

2008年3月 9日

悩みといっても、そんな大層なことではないんです。それは、ベランダに置いているプランターにまつわる悩み。
うちでは、料理をするときに切った野菜の切れ端をスープにしたり、出汁をとったあとの昆布やシイタケを佃煮にしたりするので、生ゴミがあまり出ません。それでも、どうしてもゴミになってしまったものは、細かく刻んでプランターに埋めているようにしています。
そうすると、春頃になると思いもよらない新芽が出てきて楽しいものです。去年は自家製のトマトとイチゴをずいぶんと堪能しました。捨てた種から芽が出て、ちゃんと育って実をつけてくれたんです。おかげで、春から秋頃にかけては、野菜の成長ぶりが楽しみで、洗濯物を干しにベランダに出ると、水をやったり剪定したり、ただ眺めたりしてついつい長居してしまいます。
でも、大きく立派な実をつけてくれると、カラスに狙われる心配も。さすがカラスはそれぞれの実の一番の食べ頃をよく知っていて、わたしが「これはそろそろだな。明日の朝、摘んでこよう」と思っていると、狙い定めたように、夜中から明け方のうちに採っていってしまいます。
まぁ、誰も気づかないうちに朽ちて落ちてしまうよりは、せめてカラスが食べてくれればいいのですが、こちらにしてみれば、何か月もの間、かわいがってお世話して、家族の口に入る日を楽しみに待っていたのですから、そのご馳走を横取りされたときのショックは大変なものです。
その点、冬の間はカラスが狙うようなものもなく、ベランダも静かで安心・・・とういわけにもいかないんですよ。
冬も、生ゴミをプランターに埋めるのは欠かさないのですが、その、埋めた生ゴミをカラスが狙うんですよ!
もちろん、それは捨てたものですから、カラスが取っていったところでがっかりもしませんし、さんざんついばんで土を柔らかくしてくれたら、かえってありがたいくらい。
ところが、カラスは土に埋めた生ゴミを掘り起こそうと、滅茶苦茶に暴れるものだから、ベランダ中に土や生ゴミが散乱してしまうんです。もちろん、干してある洗濯物に湿った土がベッタリ、なんてことも。
何の花も実もない冬の間も、カラスとの攻防は続きそうです。

2008年3月15日

今月末に、わたしの実家で祖母の三回忌が行われます。実家の菩提寺は臨済宗のお寺で、わたしが暮らす浄土真宗のこの寺とは、読むお経も、本堂の感じも全く違います。
お寺って、もちろん宗派が違えばいろんなことが異なりますし、地域や規模によっても、状況は様々なんですよね。
嫁ぐ前は、「お寺」という一括りでしかイメージがなくて、それこそアニメの一休さんや日本昔話に出てくるようなお寺しか、想像がつかなかったんです。でも、こうしてお寺に嫁いでお寺に暮らし、いろいろなお寺の方と話をするようになると、お寺というのは、こうという形のない、ある意味とても自由で開放的な場所なんだなと感じます。

先日、沖縄にある知人のお寺を訪ねました。待ち合わせ場所にやってきたそのお坊さんが乗ってきたのは、軽トラック。荷台には、何本ものロープや工具を積んで。お坊さんと軽トラックという組み合わせが意外で、ちょっと驚きました。それから気をつけてみてみると、周囲を走っている車のおよそ九割が軽自動車なんです。東京・浅草ではありえない光景です。それから、お墓の形も、わたしが知っているものとは全く違うし、場所もお寺にあるわけではなく、町中のいたるところに点在しています。本堂の前に立派なシーサー、そして、お寺から見える景色が抜けるような青い空と海というのも、新鮮な驚きでした。
さてさて、こんなふうに、目に見える違いはいくつか気づいたのですが、肝心のお話が始まると、連れて行った赤ちゃんが暴れだしてしまって、お世話に追われて全く聞かれなかったのが残念です・・・。沖縄という個性の強い土地にあって、興味深いお話がたくさん聞けるだろうと期待していたのですが、子供連れだと何事も計画通りにはいかないものですね。

いずれにしても、言われてみれば、例えば浅草のうちの寺も浅草寺も、京都の金閣寺も、みんなお寺だけど全然違う。
もちろん、宗教施設なのだから、それぞれの教義に則って規律正しくあってしかるべきなんだけど、「そうは言っても」というところが、多分に赦されている。土地の風土や時代によって、それぞれの置かれた環境で受け入れられやすいように変化しながら、それでも、何十年、何百年と存在し続けているわけです。
考えてみたら、仏教そのものが、古くインドに発祥したのち、途方もない長い距離と時間の中でさまざまに形を変えながら、今ここにあるんですよね。そんな自由さもまた、仏教の真実の姿なのかもしれません。

寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。