2007年2月20日

知人から、「お寺でリラックスして説法を聞きたいんだけど、どこか紹介してほしい」と声をかけられました。そのメールを見たKAKUは、うーん・・・と困った様子。その知人に彼が返信した内容は、「説法を聞ける寺は紹介できますが、けしてリラックスはできませんよ。説法とは即ち説教。自分の間違いに気づかされる厳しい場所です」。

なるほど。説法とお説教って、同じものだったんだ。そう言われてみれば、納得できなくもない。
でも、一般的なイメージは必ずしもそうじゃないんじゃないでしょうか。お説教というのは、親や先生から頂戴するもっともらしい、もとい、ありがたいお小言で、説法というのは、お寺でお坊さんから聞かせてもらう、仏教に関する説話やそれにちなんだ小話など。わたしの持っているイメージもそんな感じのものでした。
ところが、説教ないし説法を与える立場であるKAKUにとっては、それらは同じものなんです。たしかに、「宗教」というと、けして生易しいものではない、恒常的な業をともなう厳しいものであるようなイメージもあります。でも「お寺」というと、癒しとか非日常とか、そういった心地よい響きがあるのもたしかです。

KAKUは、「説法にしろ説教にしろ、厳しいものであるのは間違いない。でも、僕なんかは、意識的あるいは無意識的に聞く側に迎合してしまうようなことがある」と言います。おそらく、彼の若さ、「お坊さん」に対する一般的なイメージと比べたときの彼の若さ、それによる自信の無さがそうさせるのでしょう。

説法なり説教なり、それを求めてくる人々にとって厳しい場所であるはずの寺。現実には、そこに携わる人間が、社会の中での宗教のあり方、その困難と対峙する場でもあります。
それを認識して、葛藤する思いを打ち明けてくれるKAKUであることを、わたしは嬉しく思います。

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コメント (2)

ほり:

KAKUさん、正直で、素敵です。まじめに考えれば考えるほど、自分の読経で、良いのだろうか。もっと、自分が100%でないから、遠慮ぎみにしないといけないのか?嫌、一期一会、自信を持って、堂々としないと失礼でしょ。と、葛藤しながらの毎日ですよね。結局、その真剣な生き様を見せるより仕方ないのか、と思ってます。おれは、坊さんだ。と威張ってみても仕方ないのです。みなさんが、「お坊さま」と慕ってくださることしか、ありません。とても、難しく苦しいことです。きっと、なんとなく、その辺を体で世間の人は、感じるので、だれも、出家して坊さんにならない。
坊さんの世界は、後継者不足ですね。誰でも、出家してなれる仕事?なのに。。
うちも、未だ、後継者は、おりません。外国人の方も含めて、後を、継いでくださる人が、現れないかと、期待しているのですが。。。

こんにちは。みちこさん。先日はレスを有難うございました。

とても参考になりました。我が家も只今、観光のオフシーズンと言う事で、夫が近くのスキー客向けのホテルにアルバイトにでております。(笑)

お互いに体が資本ですので、健康には気をつけて行きたいですね。

そして私も東京の出身で、たまに池袋に程近い実家に帰っておりますので、いつかそちらさまのお寺をお参りに行きたいと思いました。

そのときは宜しくお願い申し上げます。

またこれからもちょくちょくうかがわせて下さいね!

それではまた。

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寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。