2007年2月16日

前回、わたしの陣地ということを気にしないようにしたら気が楽になったと書いたのですが、それはそれでけっこうな大問題だということに、最近気がついてしまいました。
このところ、我ながらブログに冴えがありません。時期にして出産の前後あたりから、急速に感覚が鈍っている気がします。さらに、KAKUにお昼に何が食べたい?と聞かれたのに、食べたいものが思い浮かばない。聴きたい音楽がない、読みたい本がない、着たい服がない。

「感受性、失ってるね」。
こういう言われてギクッとしました。ここしばらくわたし自身が感じていた、何かピシッとしない冴えのなさ、それはまさにこれでした。

どうしてこんなふうなのか。それは、緊張感を失っているからだと思います。
会社勤めを辞め、寺の仕事といっても義両親頼み。結婚式も過去のこと。妊娠の驚きや健康に対する注意も、出産への覚悟も過去のもの。体調を崩したら翌日はのんびり寝ていればいい。天気が悪ければどこにも行かずダラダラしていればいい。お化粧もしなくていいし、年中ジーンズでも問題ない。久しぶりの友達から来てたメールも、まだ返信してないな。溜め込んだ写真の整理も手付かずのまま。バレンタインには何か作るつもりだったけど、材料さえ買わなかった。
でも、大丈夫。何事もわたしがやらなくても誰かがやる、わたしよりも素早く、わたしよりも上手に。あるいは、誰もずっとしなくても当分は困らないはず。

「わたしの陣地」を手放したとたん、自分のするべきこと、守るものがなくなって一気に緊張感がなくなったんですよね。30歳にして定年?

わたしのもの!とか、わたしが~とか、そういう拘りを取り払って心をオープンにして、それでいながら一定の緊張感を保つこと。これってけっこう難しいというか、易くはないことですね。自分にも他人にも甘いわたしの苦手とするところです。
でも、「感受性、失ってるね」のKAKUのひと言はショックでした。気を引き締めようと思います。

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コメント (5)

☆machikoちゃん:

そうだよね、生活にメリハリを付けなきゃ何をする気も起こらないしねえ~。

まあ~、つかの間の休憩だったという事でこれからゆっくりとエンジンをかけていけばいいのでは?


無意識のうちのお疲れが出たのでは?

追伸
初めてお会いした時にのみちこさんの印象「がんばり過ぎてる」だったのよ。(^_^)

バビ子:

厳しいひと言。。その厳しさが、一矢になって我に返る、、痛いですけども。。
私も出産後は、今までの感覚が鈍った感じです。
肩の力やコダワリは、なんとなく抜けたようなんですが。
なるほど、緊張感。私も引き締めよう。。体も、です。

みちこ:

>☆machikoちゃんさま
こんにちは!コメントありがとうございます。
がんばり過ぎ・・・滅多に言われない言葉です(笑)。ほんと、不精なんですよ、わたし。それでも以前は、頭の中、心の中ではけっこうたくさんのことを感じていてた気がするのですが、最近はサッパリです。
というか、今は余計(ではないんですが、本当は)なことは置いておいて、赤ちゃんとどっぷりベッタリしていたいと思ってしまうんですよね。そして、それができてしまうのがお寺の良いような悪いようなところ・・・。

>バビ子さま
こんにちは。
そう・・・体も引き締めなくては、ですね。なんというか、気が引き締まっているときは、体もスッキリしていると思いませんか?鍛えるとまではいかなくても、ある程度の緊張感があると、筋肉にもいい具合に刺激がいくのでしょうか。小難しいことを考えるとまた不精の虫が足を引っ張るので、まずは「キレイになろう!」の精神でいきたいと思います・・・。

mon:

私の陣地かぁ~・・・。
寺嫁となって1年ちょっと、お寺の仕事はもちろんありますが、慣れてしまえばたいしたことはありません。
広大なお寺の掃除、お茶出し、留守番、電話の応対、あとは主婦業。
会社をやめて、これが私の役割っていうものが無くなる生活は、楽なように見えて実はすごく辛かったりするときもあります。まるで老後みたいな生活。こだわりを持たないことなんて出来るのでしょうか。今この年齢で達観することなんて到底不可能のように思われます。
膨大に自由な時間があっても、自由の中にも不自由さがあるのです。規制がかかる部分があるのです。お寺の生活での完全なる自由なんて無いのですね。
お檀家さん、その存在に感謝しています。もちろん。
でも、でもね、今まで全然畑違いのところからお寺という世界に飛び込んだ私、一瞬にしてたくさんの人とつながりを持ってしまった。
私が知らなくても、話したこともないたくさんの人が私を知っている、
こういうことが、受け入れがたく感じるのは、まだまだお寺の人にはなれてないんでしょうね。
正直、この環境で生きて、死んでいくのか、と思うと、別の人生を生きてみればよかったかも・・・って、不謹慎な考えが頭によぎることがあります。
だからといって、きっとずっとここにいるんでしょうけど・・・。

みちこさんのブログを読むと、私の心のそこにある、誰にも言えない気持とクロスするところがあって、安堵する部分があります。
でも愚痴っぽくなってしまいましたね。ごめんなさい。

みちこ:

>monさま
はじめまして、かな?コメントありがとうございます。
monさんの今回のコメント、ものすごく共感できるものでした。何かカッコイイ、目立つようなことをしているわけじゃなく、むしろどこか隠居生活のような、社会の流れと一線を隠したような日常なのに、注目だけはそれなりにあびていて、気持ちが引き締まるというよりは、やっぱりなぜか息苦しい・・・。
でも、何を言ってみたところで、これが我が家、これが我が家族。
お坊さんて別にカッコイイものじゃないし、流行りの仕事でもない。こうやって人々の視線を感じながら、当たり前の日常をどう過ごしていくか、それについてまわる葛藤や困難とどうつきあっていくか、それこそがお坊さんの「見られるべき」姿なのかな、なんて最近は思っています。悩んでいたり失敗したり、ときには恥ずかしいようなことがあっても人間なんだから当たり前。せめて、自分にも他人にも意地悪でズルイ気持ちで接しないようにしたいと思います。
またいつでもコメントくださいね。
これからも彼岸寺をよろしくお願いします。

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寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。