器でも筆でも洋服でも、モノはなんでも使われてこそ価値があるのだと思うのです。例えばお気に入りの食器を買ってきて、もったいないからと食器棚に飾ったままにしておくより、実際に食事を盛ってテーブルに乗せてあげたほうが食器も生きるし、より愛着も深まるんじゃないかな。手の届かないところに飾られ、遠くから眺めたり下から見上げたりするだけの美術品もあるけれど、それは特別な例で、世の中のほとんどのものは、何かしらの道具と言えるのではないでしょうか。だとしたら、道具はやっぱり使って使って使い古してあげたいな、って思います。ときには磨り減ったり色が染みたり、ときには欠けたり剥がれたりするかもしれないけれど、それもまた風情があっていい。使い古されたものこそ美しいって、よく言いますよね。
でも、その使い込まれて細っていくものが、もしも自分の家族だったら・・・。
ときどき、お坊さんの仕事って何だろう。お坊さんてなんのためにいるんだろう、なんて思うことがあります。
わたしにとって最も身近なお坊さんであるKAKUは、とにかく忙しいのです。いろんな人からいろんな話を持ちかけられ、それは仕事のことだったりプライベートのことだったり様々です。一方で、寺の仕事をし、彼岸寺の仕事をし、友達つきあいも大切にする。家では息子であり孫であり、夫であり父でもある。当たり前だけどKAKUの体は一つだし一日は24時間だから、その全てを一生懸命にこなそうとすればするほど、他の何かを犠牲にしてしまう。
いつも「疲れた」「疲れた」とうなされるように繰り返し、睡眠不足のまま運転したり、重い荷物で腰を痛めたり、目の下にクマをつくりつつ明け方近くまでパソコンに向かったりしている姿を見ると、この人はどうしてこんなに頑張るんだろうと、わたしはなぜか悲しい気持ちになってしまうのです。
その答えは、たぶん「俺はお坊さんだから」。
誰だって仕事は楽じゃないし、体に鞭打ち気持ちを奮い立たせて仕事に向かっていくんだと思います。
でも、就業時間や対価という概念のないお坊さんの仕事は、やっぱりちょっと特殊です。結婚した頃は、お寺やお坊さんが特別だと思うのがものすごくイヤだったけど、今はまぎれもなくこれは特殊な世界だ、と感じてしまっています。
忙しいKAKU。それは、たくさんの人に頼られ、期待されている証拠。その実態は、使い古されて身を削り骨を削り、心身を消耗していく生身の人間。
きっとそれでいいんです。きれいな装束をまとい、高いところに座してはいるけれど、お坊さんは飾り物じゃないから。
わたしはといえば、会社を退職し、結婚、妊娠、出産を経て、自分の世界はどんどん狭まっていく。それはちょうど彼岸寺が成長し、広く活躍するようになっっていった時期と重なりました。当然、KAKUも夫や父親としての時間は削られていきます。わたしにはそれが寂しく不安で、焦りでもありました。だから何かしらもっともらしい理屈を言っては、KAKUを引き止めたいと思っていました。結婚を決めた頃は、彼岸寺の構想にも深く共感し、彼を支えて一緒に走っていこうと理想を持っていたのに。今の私は、どうやってKAKUに家にいてもらおうか、家族に向き合ってもらおうかと、言い換えれば足を引っ張る画策ばかり。
本当はそれでもいいんですよね、妻なんですから。でも、心の奥にものすごい罪悪感があるんです。その理由もやっぱり、「彼がお坊さんだから」。
お坊さんの仕事って何だろう。お坊さんてなんのためにいるんだろう。
今も考え続けています。寺に嫁ぎ、KAKUや彼岸寺の仲間達と交わるうちに、わたしの中のKAKUが、夫や娘の父親であるのと同じくらい、「お坊さん」である割合が大きくなっていきます。忙しく動き回って疲れ果てている彼を夫だと思えば、この環境は悲しく、腹立たしくもあります。でも、彼をお坊さんだと思うと、世のため人のためにもっともっと頑張ってと、背中を押したいと思う瞬間も、たしかにあります。
お坊さんの仕事って何だろう。お坊さんてなんのためにいるんだろう。お坊さんと結婚するって、どういうことだろう。
わたしは今も考え続けています。
コメント (10)
本当にKAKUさんは忙しそう。
でも、家に居られないのはお坊さんだけでは無いですよ。
男子たるもの一生懸命働く、それを影で助けるのが女子。
夫が働きやすくするために妻が家を守る。
古いようですが、基本はそれだと思います。
が、やはり旦那様と少しでもゆっくり一緒に居たい!と思うよね。
KAKUさんが体を壊さないように内助の功をがんばってね!(^_^)
投稿者: ☆machikoちゃん | 2006年10月26日 09:31
日時: 2006年10月26日 09:31
みちこさん、KAKUさんの仕事の中に、家に居てもらうことや家族の時間を作ることは、言ってもいいんですよ。釈迦は、最後は、自分や家族を大事にすることを、坊さんの必要なことと言ってます。叢林ですね。キリスト教の愛は、自己を滅しても、他人を救うのですが、仏教の禅思想は、自己を滅しては、他人を救えないので、まず、自己を救えと言ってます。お嬢さんの小学校低学年までが、家族として、物理的交流の必要な時期ですよ!、この時期を逸してはいけないのです。おむつ変えたりとかでなく、抱っこしたり、声をかけたりするべきで、坊さん以前の人間としての仕事です。これ無しで、坊さんするなら、坊さんを辞めた方が良いでしょう。短い期間です。奥さんのための、育児の手伝いではなく、父親としての責務は、坊さん以前に必要だと思います。甘やかすことでは無いですよ!。
投稿者: ほり | 2006年10月29日 04:13
日時: 2006年10月29日 04:13
初めてお邪魔いたします。
今日の新聞でみちこさんの記事を見かけました。
私もゆくゆくは寺に奥さんを迎えたいのですが、母のお寺の奥さんとしての苦労を見て育ちました。
みちこさんの悩みもなんとなく分かります。その分、自分はちゃんとお嫁さんをもらえるのだろうかとも悩んでいます。
おっしゃるように決まった休みなんかありません。それはどこのお寺も同じです。
私自身も僧侶の道に入り、学んだことを自分の中で噛み砕き、自分の経験とミックスしていろいろな人に仏の道を説きます。
もちろんそれに大きく頷いてくれる人もあれば
何いってやがんでぇという人もあります。
お坊さんてなんなのかなと悩むことが多いです。
なんだか支離滅裂な文章になってしまいましたが、またお邪魔させていただきたいと思います。
KAKUさんもどうかがんばりすぎませんように。
投稿者: eisai | 2006年10月30日 12:26
日時: 2006年10月30日 12:26
>☆machikoちゃんさま
こんにちは。
おっしゃること、本当にそのとおりなんです。ただ、「男子たるもの一生懸命働く」のは、つまるところの主たる目的は、家にお金を運んでくるためですよね。それが、お坊さんの場合は仕事の対価として報酬があるわけではないし、浅草の寺でなく彼岸寺でやっていることなどは、本当に金銭的な収入はないに等しいですから、時々イライラしてしまうんです、わたし・・・。収入がないことに対してではなく、「”お坊さん”を隠れ蓑にして遊んでるだけじゃん!」て。我ながら最悪・・・。
本心では間違いなく応援していますし、わたしも及ばずながらKAKUの志の一助にはなっていると思います。それなのに・・・これはただの焼きもち、我がままの類です。
はぁ・・・。
>ほりさま
こんにちは。
KAKUは本当に理想的、いや理想以上の夫なんですよ。家事も育児も、ものすごく一生懸命です。わたしの手助けという感覚ではなく、仕事も家のことも、夫婦ふたりで取り組んで当然、という意識の持ち主です。なので、わたしが求めれば求めるだけ応えてくれる。そして、家族以外の人の期待や要求にも応えようと努める。結果、余裕はどんどんなくなり、疲れはたまる一方で悪循環です。
要は、わたしがKAKUのスピードについていけてないんですよね。この人の妻の器じゃないんだろうな・・・って、思い知らされます。
>eisaiさま
はじめまして!コメントありがとうございます。
お寺といっても宗派や地域によって様々で、その苦労も様々ですよね。でも、仕事も結婚も何もかも含めて、人生が山あり谷ありなのはどんな環境の人でも同じこと。ただ、どんな人と出会うかで、苦労も喜びも感じ方は全く違ってくると思います。そして、その出会いを最良のものにするには、とにかくたくさん話すことだと思います。言いにくいこと、話す気分じゃないとき、言わなくてもわかってほしいとき、それでもとにかく「話す」。話さなくても何でも分かり合うなんていうのは、それこそ100歳くらいになってからなんじゃないかなぁ。KAKUとわたしも、お互いがベストパートナーであるために頑張っています。
ゆくゆくは奥さんを、とのことですので、おそらくは同年代のお坊さんなのでしょうか。
これからも彼岸寺をよろしくお願いいたします!
投稿者: みちこ | 2006年10月30日 14:56
日時: 2006年10月30日 14:56
うなづくこと、多々です。実際、夫はまだ帰宅しておりません。
彼はお坊さんとしての仕事はまだあまりないのですが、
副業(今は本業か)や地域の仕事、趣味(剣道)などで日々くるくると回っている様な感じです。
「疲れた、忙しい」と連呼しています。こちらとしても疲れているのは同じで、「じゃあ、やめろよ」と言いたくなることも多いです。
夫は疲れながらも外との接触があり、
仕事帰りに理由は往々としてあるのでしょうが、上司や同僚と杯を交えたり。。
私も仕事を辞め、出産して家に入り、もともと狭かった世界がさらに狭くなりました。
私は何のために結婚してこうしてここに居るんだか、と本気で思ったことも。。
しかし、そうやって私に文句を言われながらもこうした行動を続ける。これが彼らしさ、お坊さんとしての行動なのだろうか、と思うようになりました(決して認めて賛成したわけではないのですが)。。彼の動きを止めるのは、彼という人を活かせないのかな、と。
日々葛藤しています。結婚したのは彼ではあるけど、彼をお坊さんとして見ていたのではない、でも、彼は「お坊さん」として生きている。。うーん??
投稿者: バビ子 | 2006年10月30日 23:34
日時: 2006年10月30日 23:34
こんにちは、下野新聞に私と同じような環境の人のブログがあるとのこと を母から聞きまして、こちらに来ました。
私は、嫁いで10年。子供は小4と小1です。
お悩み、わかるようなきがします。文章がとても上手ですね~。
きっともう少し経つと、みちこさんもまた考えが変わるのでしょうね。
お坊さんは、どこまでがお坊さんの仕事なのか、アソビなのか・・・一体、本当の意味での仕事 存在価値ってなあに?? そして、その妻である私は何をすべきなのか、私もわかっていません。夫を支えるのも大変なものだし、子育てもひいひいですよね。
うまくかけませんが、とにかく 共感いたしました。みちこさんのファンになりました。栃木から応援します!
投稿者: なおみ | 2006年10月31日 09:13
日時: 2006年10月31日 09:13
>バビ子さま
バビ子さんのコメント、なんだかとっても共感します。
お坊さんである彼と、感覚的なところでわかりあえない部分があるような気がして、やっぱりお坊さんと結婚するのはお寺の人のほうがいいんだろうな、なんて思ったりすることも。でも、基本的には彼のしていることには賛成だし、彼の個性も大事にしたいと思っているので、まぁ、葛藤を抱えながらも二人三脚で進んでいく方向です(笑)。
>なおみさま
はじめまして。コメントありがとうございます。
結婚10年ですか。同じような境遇にある先輩からのコメント、とっても心強いです。
わたしたちはまだ子供も生まれたばかりで、だからこそこれを機にますます活動の場を広げようと頑張る彼と、どっぷり子育てに没頭したいわたしとで、お互いの見ている方向がズレてしまっているんだと思います。それでもこうやって悩みつつも、譲ったり譲られたりしながら、家族の形も少しずつ変わっていくものなのかもしれないと、納得のような、諦めのような気持ちが芽生えています。
また気軽にコメントくださいね!
これからも彼岸寺をよろしくお願いします。
投稿者: みちこ | 2006年11月 5日 17:09
日時: 2006年11月 5日 17:09
こんばんは、以前1度こちらにコメントした「めい」です。その当時お坊さんと付き合い始めて半年だった私はこのブログに行き着いて、みちこさんのブログを読み心強く思っていたので、今回みちこさんが悶々とされている様子に驚きました。それと同時に読みながら、最近結婚の話が出始めてから私が感じる「お坊さんって一体なんだろう・・」いう思いが重なりました。
私の彼は東京のお寺の息子で、お寺は特に副業も必要ない位のお寺です。法事・葬儀以外は集まりや法要などで頻繁に外出し、その日の目的の一件が終了次第、ほぼ毎回食事、飲み会と続きタクシーで帰宅する状態です。(私も1,2度食事を一緒させてもらったのですが、本当にお坊さんは経済的に豊かな方が多いですね、みなさん高価なものを食されていました。)本人も付き合いは大変だーと良く漏らしていますが、私は結婚の決断を前に彼のその状況を色々と考え始めるようになってしまいました。「今は彼と外食したり出来ているけど、きっと結婚したら彼は付き合いだけで一杯で、私は仕事もやめて外食もせずほぼ家にいて寂しい思いをするんだろうな・・・お坊さんなのに付き合いで飲んで、女の人いるクラブのような所にも行っている。本来の『僧侶』という立場から大きく外れている!!これでは一般のサラリーマンと変わらないじゃないか・・煩悩に溺れているじゃないか!」等と、自分は家庭に入れば外界との関わりが極端に減ってしまうという悔しさも半分あったせいか、悩んでしまったりもするんです。そして私は「お坊さんがそんなに普通に煩悩に溺れてていいとしたら、お坊さんってお経を読めればいいんじゃないかな。」と言ってしまったんです。私は納得できる回答が欲しくてその様な憎まれ口をたたいてしまったんですが、彼は何にも分かっていない私が何を言う!っという様子で「僕は一生懸命心を込めてお経を読んでいる。」と言葉少なに言っていました。とても優しく、礼儀正しく素敵な人なのでそれだけで十分なのです。しかし、結婚後の自分も自分らしくありたい、や、人に胸を張ってお坊さんの生活を教えたい、など色々な思いが錯綜し、どのように考えることが出来れば私はスッと結婚に向かえれるのか、考え中なのです。
みちこさんも色々なことに答えが見出せない中、このように相談のようなコメントさせてもらってすみません。何か良きアドバイスがあればいただければなあと思います。長くなってすみません。
投稿者: めい | 2006年11月30日 01:58
日時: 2006年11月30日 01:58
>めいさま
こんにちは!お久しぶりですねー。
うーん・・・わたしにとっても難しい問いです。ただ、お坊さんは霞を食って生きている仙人ではなく、現実の社会の、あらゆるしがらみの中でお坊さんとして「生かされている」のだと思うのです。これから結婚するというと、彼はお坊さん社会の中ではかなりの若輩にあたりますよね。めいさんの理想とするお坊さん像と、現実のお坊さんの姿にギャップがあっても、あるいは仕方がないのかも、とも思います。もちろん、なんの疑問も持たずにおぼれれるに任せて快楽を追い求めているというのではお話になりませんが。
ただ、めいさんが少しでも疑問を持ってしまった以上は、そこを曖昧なままにしては結婚生活に向き合うのは苦しいと思います。彼にとってはあまりつつかれたくない部分かも知れませんが、どこかでしっかりと話をしてみたほうがいいかもしれませんね。一僧侶として生きる「彼という人間」を、めいさんがどこまで信頼できるか、結局はそこが肝心だと思います。
投稿者: みちこ | 2006年12月 3日 23:04
日時: 2006年12月 3日 23:04
ご無沙汰しております。tomです。
今年はさまざまなコトがありました。結婚話は両家、私の不安等もあり遠くなり、
今後どういう風になっていくか自分にもわかりません。
私も年をとりますし、早く子供も産みたいですし、考えることは色々です。
お坊さんと結婚するってどういうことだろう。。。本当にどういうことでしょう。
忙しいとかさまざまありますが、自分には彼を支える力がないのではと思ってしまいます。
結婚とは好きだけではどうにもならないのだと本当に思います。
なんといっても「生きていく」これだと思います。
自分がどうしたいのか、どうするべきなのか考えることは山積みです。
しかしここでのお話は本当に心安らぎ私に力を与えてくださいます。ありがとうございます。KAKUさんみちこさん、寒くなってきましたのでお身体には気をつけてくださいね。
投稿者: tom | 2006年12月22日 23:56
日時: 2006年12月22日 23:56