先日、わたしの友人が赤ちゃんを見に訪れてくれました。度々泣き出してはおっぱいをせがむ赤ちゃんを抱っこしながら、久しぶりに会う友達とゆっくりおしゃべりすることもままなりませんが、それでも夜も更けて赤ちゃんが寝入ってしまったあとで、友人とKAKUとわたしと、大人の時間の仕切り直しです。
ふと友人が、「そういえば覚峰さんて、左の耳がすごく大きいんですね」と言い出しました。
ん?耳の大きさが違うなんて、気づかなかったけど・・・と思い改めて見てみると、確かに違う。一目見てはっきりとわかるほど、左の耳が明らかに大きく開いているんです。でも本人は、左右の耳の大きさが違うなんていうはずはない、と言います。実はKAKU、学生時代に打ち込んでいた吹奏楽の影響で右耳の聴力が低下していて、いずれはほとんど聞こえなくなるそうです。なので、衰えていく右耳の機能を補うために、左耳がだんだん進化したのかもしれません(ホントかな?)。
でも、わたしはわりと人の人相をじっくり観察するたちなので、耳なんていうわかりやすいパーツの変化を見落とすとは考えにくいのです。少なくとも、KAKUとわたしが出会った3年前には、たぶん、左右の耳の大きさに違いはなかったはず。それなら、毎日一緒にいるのにどうして気がつかなかったんだろうと不思議に思います。
それでよくよく考えてみると、KAKUとわたし、お互いの顔を真正面からマジマジと見つめることが、ほとんどないことに気づきました。例えば食事のとき、両親と一緒のときも二人だけのときも、わたしたちは隣同士に並んで座りますし、パソコンに向かうときも隣同士、寝るときも隣同士、外食するときも、真正面ではなく直角の位置に座るようにしているんです。そうすると、365日ほぼ24時間顔を突き合わせていても、目の前にあるものの顕著な変化にも、気づかずにやり過ごすことになってしまうのです。
なるほど。「灯台下暗し」ってこういうことを言うのね!と感心していると、「そうじゃないだろ」とすかさずつっこまれましたが、これはやっぱり、少々由々しき事態であると感じてしまいます。耳の大きさならたいした問題にはなりませんが、例えば思春期の子供、年老いていく両親、それぞれの道を進む友人達との関係、地域の人間模様、景気の変動・・・いつも気にしてるから見落とすはずないよ、と油断していると、大事なサインを見落としてしまうのかもしれません。
そういえば!地元でお気に入りのあのお店のチーズケーキ!値段は同じで年々小さくなってる気がする!!