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2006年8月 アーカイブ

2006年8月18日

今日は思わぬ時間のお客様で夕食をとるタイミングを逃してしまい、近所で行きつけの居酒屋さんに顔を出してきました。そこで”本日のおすすめ”に書いてあった「天然鮎の塩焼き」を頼んでみることに。しばらく待っていると、お待ちどうさま!と運ばれてきた皿にのっていたのは、想像していたよりもだいぶ小さな鮎が二尾。公魚よりは一回りほど大きく、しかし鮎というにはかなり小さいものです。

続きを読む "ありがたくいただく"
2006年8月16日

赤ちゃんが生まれて、わたしたち夫婦の生活はだいぶ変わったように思います。毎日が楽しくて幸せで、でもいいことばかりではなく、気軽に出歩けないとか、食べ物や身に着けるものにも制限があるとか、そういった窮屈な部分もあります。自分の睡眠時間や、お風呂の時間、トイレに行くタイミングさえ赤ちゃんの様子とにらめっこで、それまでのように気ままにはいきません。当たり前のことですよね。
でもそんな毎日は、出産前に思っていたよりもつらくはありません(今のところ・・・)。
明け方、赤ちゃんが泣き出す寸前の小さな嗚咽に目が覚めてベビーベッドに駆け寄る。全身に力を入れ、顔を真っ赤にしてまさに今泣き出すという瞬間、赤ちゃんに呼びかけて肩や頭を撫でてあげる。すると、ぎゅっと目をつぶって泣き出す寸前だった赤ちゃんが、わたしの顔を見上げて飛び切りの笑顔になる。
おなかをすかせてグズり、抱っこしてもジタバタと暴れて落ち着かない。そこへ「おなか空いちゃったね。おっぱいだよ。」と声をかけて乳首を含ませると、目を開ける間も惜しんで吸い付き、小さな体からは想像できないような力強さでギュッギュッと音を立てておっぱいを飲む。
そんな瞬間、赤ちゃんのリズムに振り回されてつらいなんていう思いは一切なくなり、自分が今ここにいることでこそ、赤ちゃんの全てを育んでいるんだという満たされた思いでいっぱいになる。赤ちゃんが目覚めたとき、おなかがすいたとき、不安になったとき、すぐにわたしが抱き上げてあげられる。たとえ、いつまで出番が訪れなくとも、いざ求められたとき、いつでも傍にわたしがいる。そんな環境を大切にしたい。

結婚前だったか結婚した頃だったか、KAKUが言っていました。
「寺の人間は、とにかく寺を空けられない。気軽に旅行に行ったりできない。家にいたからって誰も来ない日もあるし、じっとしているだけ無駄に終わることのほうが多いかもしれない。でも、いつ誰が来てもそこに誰かがいてくれる。それがお寺だと思うよ。」
それを聞いたときは、正直、反発する思いがありました。お寺の人だって家族旅行に行ったっていいじゃない、必要ならお檀家さんに携帯電話の番号でもメールアドレスでも公開して、お墓参りなら事前に連絡もらえばいいじゃない、急にお葬式が入ったって、せいぜい24時間あればどこからだってトンボ帰りできるじゃない、と。でも、そんなふうに反発しながらも、それがわかっててお寺に嫁いじゃったんだから仕方ない、贅沢言っちゃいけないと、努めて自分を納得させるようにしていました。

今なら、KAKUの言ったことが、頭ではなく心でわかるような気がします。わたしが我が子をいつくしむのと同じ気持ちで、KAKUは自分が14代目として受け継ぐこの寺とお檀家さんを大切に思っているのでしょう。寺の跡取りに生まれたKAKUと、全然関係ないところから嫁いできたわたしは、もちろんまだ同じ感覚になれません。でも、何に変えても守りたい、傷つけたくないものを持った今、少しだけKAKUの目線に近づけたように思います。

2006年8月12日

先日、わたしの友人が赤ちゃんを見に訪れてくれました。度々泣き出してはおっぱいをせがむ赤ちゃんを抱っこしながら、久しぶりに会う友達とゆっくりおしゃべりすることもままなりませんが、それでも夜も更けて赤ちゃんが寝入ってしまったあとで、友人とKAKUとわたしと、大人の時間の仕切り直しです。
ふと友人が、「そういえば覚峰さんて、左の耳がすごく大きいんですね」と言い出しました。
ん?耳の大きさが違うなんて、気づかなかったけど・・・と思い改めて見てみると、確かに違う。一目見てはっきりとわかるほど、左の耳が明らかに大きく開いているんです。でも本人は、左右の耳の大きさが違うなんていうはずはない、と言います。実はKAKU、学生時代に打ち込んでいた吹奏楽の影響で右耳の聴力が低下していて、いずれはほとんど聞こえなくなるそうです。なので、衰えていく右耳の機能を補うために、左耳がだんだん進化したのかもしれません(ホントかな?)。

でも、わたしはわりと人の人相をじっくり観察するたちなので、耳なんていうわかりやすいパーツの変化を見落とすとは考えにくいのです。少なくとも、KAKUとわたしが出会った3年前には、たぶん、左右の耳の大きさに違いはなかったはず。それなら、毎日一緒にいるのにどうして気がつかなかったんだろうと不思議に思います。
それでよくよく考えてみると、KAKUとわたし、お互いの顔を真正面からマジマジと見つめることが、ほとんどないことに気づきました。例えば食事のとき、両親と一緒のときも二人だけのときも、わたしたちは隣同士に並んで座りますし、パソコンに向かうときも隣同士、寝るときも隣同士、外食するときも、真正面ではなく直角の位置に座るようにしているんです。そうすると、365日ほぼ24時間顔を突き合わせていても、目の前にあるものの顕著な変化にも、気づかずにやり過ごすことになってしまうのです。

なるほど。「灯台下暗し」ってこういうことを言うのね!と感心していると、「そうじゃないだろ」とすかさずつっこまれましたが、これはやっぱり、少々由々しき事態であると感じてしまいます。耳の大きさならたいした問題にはなりませんが、例えば思春期の子供、年老いていく両親、それぞれの道を進む友人達との関係、地域の人間模様、景気の変動・・・いつも気にしてるから見落とすはずないよ、と油断していると、大事なサインを見落としてしまうのかもしれません。
そういえば!地元でお気に入りのあのお店のチーズケーキ!値段は同じで年々小さくなってる気がする!!

2006年8月 9日

しばらく前から、我が家の赤ちゃんはいろんな声を出すようになりました。「あー」とも「うー」とも、まだはっきりとは発声できませんが、大人たちが赤ちゃんに話しかけてあげると、声にならない声を出して家族を和ませてくれます。でも、赤ちゃんがなんと言っているのかはわからないので、なんとなく調子を合わせて「ふんふん、そうなのー」「そうだねー、楽しいねー」などと相槌を打っています。
ある日、赤ちゃんを連れておばあちゃんの部屋に行きました。すると、やはりおばあちゃんも赤ちゃんに話しかけ、おしゃべりをしています。その様子に耳を傾けてみると・・・「あー、そう。そうよねー、あんたもそう思うわよねー。」「なるほどねー、そうだったのー、そりゃ大変だったわねー。」と、まるで普通に会話しているように聞こえるのです。もちろん、赤ちゃんとおばあちゃんが、お互いに話が通じている、はずはありません。でも、二人の様子を見ていると、なんだか話が通じていないのはわたしだけなんじゃないかと思うほど自然なんです。
最近のおばあちゃんは完全に痴呆が進み、家族との会話は一切かみ合いません。もちろん、赤ちゃんの言っていることも、大人たちは一切理解できていません。そんな二人は、もししてもしかしたら以心伝心しているのかしら、なんていう思いになりました。そんなわけない、とは思うのですが、それを確かめる方法はありませんから、ひょっとすると・・・。うーん、ありえない話ではないですね。

2006年8月 7日

KAKUが近所に買い物に出かけ、赤ちゃんと二人でお留守番の、とある昼下がり。頂き物をしたビスケットをおやつにつまんでいました。香ばしさと甘みの具合がちょうど良く、バターのコクもほどよい加減に抑えられていて、なかなか美味なるお菓子でした。そこへ帰ってきたKAKUにも、「このビスケットすごくおいしいから、一枚食べてみない?」とおすそ分け。すると、「本当だ!胡麻の香りが濃厚でおいしいね!」とひと言。
え?胡麻なんて入ってたっけ?
わたしは食べる前に裏書の原材料を確認していたのですが、そこには胡麻は書かれていなかったんです。小麦粉や砂糖、塩の他に、風味付けになるようなものはアーモンド、ピーナッツ、レモンだけで、もう一度あらためても、やっぱり胡麻は含まれていません。それを言うと、「いや、絶対に胡麻が入ってる。もう一回目をつぶって食べてごらん」と言うので、半信半疑で口に入れると・・・まさしくコク深い胡麻の香りが口の中いっぱいに広がります。紛れもなく、胡麻の味です。
おそらく食べる前に原材料を読んでいなければ、わたしもすぐに胡麻の味に気がついたでしょう。でも、目で見てしまったあとでは、その先入観のために味覚が鈍くなり、明らかな胡麻の味を感知できなかったのです。中身を知っていようといまいと、同じものを食べているのに、こんなに簡単に味覚は狂ってしまうものなのだと気づかされました。皆さんも、こんな経験、思い当たることがあるんじゃないでしょうか。

浅草・緑泉寺で行われている「暗やミール」は、このような視覚と味覚の不思議を体験できるイベントです。完全な真っ暗闇の中で食べる食事。馴染みのある味なのに、それが何か思い出せない。色や形を目で見て確認しないと、味や食感や匂いだけで食材を判別するのって、実はすごく難しいんです。参加者たちは、「これは何だ?さっきのは何だった?」と、暗闇の中で見えない相手と話に花を咲かせ、食事が終わったところで、その日に出したものを同じメニューと見せられて、「やっぱりコレだったか!いや、まさかコレとは思わなかった!」と大騒ぎ。

とところが、目で見てしまったからこそ、その正体を見誤ってしまう。そんなこともあるんですね。

寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。