2006年3月 7日

ここ数日、法事やら葬儀やらで、装束の出番が頻繁でした。うちでは、装束を用意したり直したりするのは坊守(お坊さんの配偶者)の役割にしています。寺に嫁いできて、最初に覚えたお寺らしい仕事がこれでした。装束の名前や夏物冬物の区別を覚えたり、それぞれがしまってある場所を覚えたり。
わたしは、装束をたたむのがけっこう好きです。実家の母も着物を着る機会が多く、その母が「着物は脱ぐため、たたむためにある」なんて、よく言っていました。着物を着る醍醐味は、もちろん和服姿の美しさもあるけれど、脱いだときの開放感がたまらないことと、ものすごく合理的に裁断・裁縫され、たたんで収納するのに最適な形状に仕立てられた様を実感するのが快感である、と。まぁ、女性と男性の着付けはかなり違いますし、お坊さんの場合もまたちょっと違うので、開放感という点では、一般の女性の和服とお坊さんの装束では事情が違うかもしれませんね。でも、使い終わった装束をたたんでいくときの楽しさは、わたしもすごく感じます。縫い目、折り目に従ってパタンパタンとたたみこんでいくと、いつの間にか長方形のすっきりとした姿におさまっている。とても気持ちがいい。

ところで、以前彼がこんなことを言っていました。「噺家さんがそうであるように、和服は僧侶の仕事道具。これを、一畳のスペースだけでおしゃべりしながらたためるようになれば一人前」。なるほど。たしかに、普段の洋服より格段に長細い着物を手狭なスペースできちんとたたむのは、けっこうな手際の良さが要求されます。実際、葬儀などで葬祭ホールやお施主さんの自宅へうかがうと、着替えのスペースが十分でないこともあります。それでも着物はたたまなければいけないし、関係者が挨拶に来ればお話しながらになるときもあります。それが無理なく自然にでき、なおかつ仕上がりが美しいこと、これができれば一人前というわけです。わたしも、結婚前に呉服の展示会を訪れたとき、呉服屋の店員さんが、あれこれおしゃべりしながらも、あれよあれよという間に着物を広げ、あれよあれよという間に端からたたんでいく様子を見て、えらく感心した覚えがあります。でも、おしゃべりしながらという点は、わたしはもうクリアしているかな。というか、男性と女性の違いなのか、女性はたいていどんな手作業も「ながら作業」で片付けますからね。

さて、わたしは装束をたたむのは好きですが、苦手なこともあります。それはお裁縫。ちょっとサイズが合わなくなった、破けたなどというときは、坊守が手縫いで直すのですが、これが大変なんですよ。もともと、とれたボタンをつけかえるだけでも何日も覚悟を決め込まないと腰が上がらないほどお裁縫嫌いのわたし。着物のほころびを手縫いで直すなんていう作業は、目の前が真っ暗になるほど気が重いことなんです。ところが、これまた彼がときどき破くんですよ、装束を。お経が終わり正座から立ち上がるときに、かかととお尻の間に着物を挟んでしまうんですって。もちろん彼もプロですから、そうならないコツは心得ていますし、気をつけているのですが、ふと気が抜けたときにやってしまうそうです。あと、袂をどこかにひっかけて袖を破くとか。あー、考えただけでも気が重い。嫌なことはついつい後回しにしてしまうのが、わたしの悪い癖です。
幸い、今は装束も整っているし、パジャマのズボンのゴムも入れ替えたし、直すものが何もないので、非常に晴れ晴れとした気分です!

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コメント (14)

りん:

坊守さんは、家庭に入る女の人の鑑のような感じもしますね。掃除、洗濯、食事の準備。何でもできるといいのだろうなぁ。
自分のことを思うと、これから習得していくべきことの多さにちょっとため息が出そうですが…

ミチコさんは、
お寺に入る前にこれは身につけておいてよかった、と思うことなどありますか?
私は彼から仏教書を借りて読んだりしています。(借りさせられてが半分)これは、彼が本気で取り組んでいることを知れるいい機会になります。(ちょっと不順な動機みたいに聞こえますが)
また、ゆくゆくは彼のお寺で坊守になることを見据えたときに、仏教の基礎知識ぐらいは、ないよりもあった方がいいのかなという気がして。
ミチコさんは、お寺に入る準備としてすすめていたことは、何かありましたか?

堀:

檀家の仏壇の前で、座布団に座ったままで、着替えるのは、特に、たたむ方は、略タタミになりますよね.やはり、きちんと、着物をたたむ紙を引いて、たたみ棒を使ってたたむのが、ベストですよ.絹の装束も、練りこみと言って、折り目が出やすい作り方もあるし、ふわ―とした作り方もあるし、特に、冬の羽二重とか、夏の麻の折り目がはっきりしたものはたたみやすいけど、たたみにくい、ソフトな、折り目が、解からなくなる生地もありますよね.

また、着物と装束のたたみ方の違いは、きちんと四角にたたんでいく着物と、わざと少しずらしてたたむという装束もあるので、注意が必要です.これは、着物が、えりとえりを合わせたら、真四角になるのと同じように、たたんで外になる分、ずらすとか、ずらすことで、着脱とか、上から何番目を右手、何番目を左手で、持てば、あっという間に、着脱できるよう、ずらしてたたむのが、ベストなんです.

禅宗坊主は、最初、1週間、裁縫部屋にこもって、自分のお袈裟なんかの装束を、自分で、縫って作らないといけません.今みたいに、法衣屋さんに頼んで購入するということでは、修行中は、無いのです.
足は、しびれて痛いし、手や指は、ぼろぼろ.当然、ミシンなどなく、全部、手縫いですから.針と糸というか、洋裁もやったことがない.小学校のときに、運針を一度やっただけの、男の子が、いきなり和裁ですから、びっくりモードですよ.

でも、法要のときは、極端な話、歩きながらでも、着替えているという自分がいるのですよね.トイレに行く度にきちんと、たたむわけですからね.

でも、今は、エモンかけにかけて、そのうちたたもうかって、サボってますけどね.そうそう、破れても、法衣屋さんに、ここ直しといてって感じで、夏になれば、冬物をメンテナンスに出したりと、僕は、さぼり気味ですけど.。

裁縫が苦手なみちこさま.おじぞうさまのよだれかけとか、慣らし物例えば、ケイスの座布団とかから、初めてみたらどうでしょうか?
やっぱり、数というか経験しかないので...。

和裁文化は、奥が深いので、やってみると、指がなれるまでは、大変だけど、編み物みたいで、慣れれば、ながら族も出来ますよ、みちこさんなら、きっとね.

駄猫幼稚園園長:

こんにちは!
私も、りんさんと同じ質問がミチコさんにしたいです!
この前、彼のご両親にもお会いし、本格的に少しずつ将来のに向けて動き出しています。
お寺の生活というものが一般人からはなかなかわかりにくく、周囲のありがたくも「取り越し苦労的な助言」が私をとても疲れさせるときがあります。
彼は一般的な常識的なことがきちっとできれば大丈夫。と励ましてくれますが、茶道は?華道は?着付けは?和裁は?などなど・・・(笑)
私としては、一般常識として、通常のお茶の作法、一般礼儀作法、などは勉強していくつもりですが、何か「これは!」というものが有れば教えていただきたいです。
周囲のかたがたは、今から千利休に弟子入りせよ!くらいに口うるさくなって、心配してくれる気持ちは嬉しいのですが、ちょっと困っています(笑)

幸い、私は仏教のことや仏像などが小さいころから大好きだったので、彼にもっと教えてもらったりして、二人ならではのこれからの日本の中の仏教(大げさですが)というか、若者のの中の仏教がどうなるか?なんて予想をしたり、自分たちが担う役割等を考えたりしています。

みちこ:

>堀さま
縫い物を手縫いでするというのは、本当に骨の折れることですね。うちもミシンがないので、洋服をちょこっと直すのも手縫いですが、縫うのが大変というか、肩が凝るんですよね。昔は今みたいに明るい電灯もないし、座わり心地のいい椅子もないし、もちろんミシンもないし、作業する人の苦労を思いやると頭が下がります。まぁそれが当たり前だったのですから、当人はそれほど苦には思っていなかったかもしれませんが。
たしかに、着物を直すのも、何回か経験するうちに最初の頃よりは気楽になってきました。今でも嫌は嫌ですけど、いつかやらなければいけないと諦めがついたというか。もうすぐ子供も生まれますので、赤ちゃん用品など手作りに挑戦する機会も増えるかもしれません。でも、やっぱりミシンが欲しいなぁ~。

みちこ:

>りんさま
>駄猫幼稚園園長さま
こんにちは。
わたしが嫁ぐ前に学んだこと・・・実は、何もないんですよ。本当に無垢のまま、というか無知のまま寺に入ってしまいました。茶道は以前から習っていましたが、それが寺の生活でものすごく役に立っているかというと、そうでもないです。
茶道、華道、裁縫、仏教の知識など、どれもある意味では小手先のことですよね。もちろん、それらの心得があるに越したことはありませんが、それは既婚・未婚・性別にかかわらず、知っていれば良いこともある程度に過ぎず、寺だからとりわけ必要というほどのものではないように思います。
お二人のご質問について、「嫁を迎える側としての希望はどうか」と彼に尋ねてみました。すると、即答で「ホウ・レン・ソウ」と答えました。報告・連絡・相談ですね。どこでもそうですが、新しく入ってきた人が翌日から即戦力になることは、あまりありませんよね。やはり先達から教えを受け、そこで暮らすことで日々学びながら徐々に成長していくものだと思います。ただ、寺には新人教育用のマニュアルなどないでしょうから、その教えというのは、家族との日常のちょっとした会話、しぐさの中から敏感に感じ取っていくしかないものです。でも、自分も相手も人間ですから、そのときの気分や状況などで言うことが変わることもあるかもしれません。ですから、しつこいくらいに顔を合わせ、会話を持ち、自分の事情もきちんと伝えること。これが大切です。寺の生活の中では、お茶やお花などの作法が求められることもきっとあると思います。でも、それはわからなければ教わればいいことです。でも、わかっていないのにわかったような顔をしたり、本当はどうしてもできない、やりたくないのに無理に請け負ってしまったりというのは、非常に不味いです。
自分と家族と寺は、一蓮托生の運命共同体。自分の不徳は家族の不徳、寺の不徳です。会社であれば、不祥事があればその人が退職したり会社を清算したりすれば済まされることでも、寺ではそう簡単にいきませんから、自分=寺であること、周りはそういう目で見ているということを、しっかりと心で理解し受け入れることが何よりも大事なのだと思います。
わたしのコラムでも何度か書きましたが、寺に嫁ぐ大変さというのは、朝が早いとかしきたりが厳しいとか人付き合いが大変とか、そんなことではありません。自分の心の問題にメスを入れられることが、寺の厳しさだとわたしは感じています。今までは、泣くも笑うもわたしの勝手でしょと個人主義でよかったことも、そうはいかなくなりますから。小手先ではごまかしきれない、心の深いところを問われることが、苦労といえば苦労でしょうね。
ですから、これからお寺に嫁ぐという方には、何よりも素直さと心の強さを持っていてほしいと思います。言葉にするとありきたりなものになってしまいますが、何にでも耳を傾けやってみようとする素直さと、それでも自分を失わずに何にも振り回されない強さを両立することは、なかなか難しいことです。
とはいえ、何かとりあえずできることはないかと気を揉んでいらっしゃるのが現状でしょうから(笑)、そういう人には、「笑顔の練習」とでも申し上げましょうか。もうすぐお彼岸ですが、それはもう朝から晩までひっきりなしに、ものすごい人数の老若男女と接しますが、どんなに疲れても笑顔を絶やさず、感じよくお相手できること、これはけっこう大切です。お檀家さんとの人付き合いが大変とよく言われますが、人付き合いの基本中の基本ですよね。
いやはや、ここまで書いて、本当に我が身につまされることばかりで恐縮です(笑)。

駄猫幼稚園園長:

御返事本当にありがとうございます。
本当に今自分がなんだか焦っていて何か大事なものを見失っていたことに気付きました。
なんだか、緊張してしまって(笑)。
ありがとうございました。

小手先ではなく、「心」ですね。

身につまされるお話でした。
ありがとうございます。

「何にでも耳を傾けやってみようとする素直さと、それでも自分を失わずに何にも振り回されない強さを両立すること」
とても難しいですね。本当に。
自分の心をしっかりと自立させる。そこに自分の考え方の焦点を当てていこうと思いました。
ありがとうございます。

ああ、
俺も良く破きますね、お衣の裾。
KAKUさんと同じく立つ時に「ビリ」ってパターンが多いです。
今は実家なので、母に頼みますが、
昔京都にいた時は、自分で苦労して直してました。
確かに、あれ、大変なんですよね・・・

☆machikoちゃん:

元サラリーマンの妻、今は隠れ経営者の妻、で、しきたり等の無い気楽な所(金銭面は別として)に嫁いだわたくし、書き込みを読んでいかにお気楽かと。

どんな状況に有っても「笑顔を絶やさない」はいいですね。

前向きにプラス思考で行きましょう!

みちこさん、お久しぶりです。

私、ちょうど着付けならってる最中なんですよ。
着物の畳み方がすっかり慣れましたし、もちろん着るのも大好きです。

衣は・・・確かに畳み方が違いますが、そういのって全部旦那の仕事です(苦笑)
ですが、白衣の半襟付け(しませんか?)やほころびをチクチク良く縫いますね。確かに結婚してからの方が縫い物が格段に増えました。
うちの旦那の場合、作務衣のズボンの縫い目をほつれさせちゃうので、今日久しぶりにミシン使って(指定されたので)縫いました。
半襟付けがいつもめんどくさいな~と腰が重いですが、その他の簡単なのならなるべく早くやっています。

堀:

わが寺の前住職は、尼僧さんでした。華道は、真道流という、流派の家元補佐、つまり、家元の華をいつも代理で生けたりしていたらしいです。茶道は、名古屋ですから、松尾流です。で、私は、というと、中学生からこの尼僧寺で、実家を離れて暮らしていながら、毎日のように、中学生くらいからOLさんまで、お茶、お華と、おけいこしていても、学校から帰っては、カバンを縁側から、けいこ中に、ほおりこんで、菓子鉢の中から、うまそうなまんじょうを、両手に持ち、逃げておりましたから、免許の「め」の字も、持っていません。現在の松尾流の家元も、よく知っているので、水屋から、ごめんやすって入っていって、お薄を飲んだら、点心を食べて、さようならって、誠に、いい加減であります。
でも、そんな家ですから、華道も茶道も、秘伝の絵巻なるものが、押入れにありまして、要するに、楽しくお茶をいただければよろしい。と書いてあるし、華道は、基本形というのがあって、季節感、立体感を出せばよいと書いてありますから、はっきり行って、女性の先生が、細かいことを言うのは、枝葉末節だと、思います。修行道場では、裏千家でしたが、流派によって、作法は、全く違いますし、まあ、抹茶が、点てれればいいんじゃないかと思いますよ。どちらみち、寺で、たくさんのお参りがあれば、抹茶も、お盆で、どっと持っていくというか、略式ですもの。。。でも、禅宗系は、坊さんが来たら、蜜湯を出して、そのあと天目茶碗で、お薄を天目台に載せてだすとか、抹茶のときと、煎茶のときは、菓子とお茶の位置が違うとか、先に、口をつけるのが、逆とか、結構メンドイですよね。この茶道や華道も、禅宗坊主は、修行中に、全部レッスンがあるんですよ。男ばっかしの世界で、毎朝9時に抹茶を戴く訳です。
書道も、漢詩もありますし、典座と言って、料理もあります。自給自足が原則なので、山へ行っては、たけのこを1日中掘らされたり、しいたけの原木を積んだり、だいこんを干してたくあんを作ったりと、結構やらされます。

で、坊守さんは、住職さんに、エキスだけ、聞いて、そこだけやれば、OK。全く心配いらないですよ。なんでも、なぜ、そういうルールが出来たか、背景が解れば、省略できることばかりなんで。。。今日は忙しくてごめんね。と、言っておけば、大丈夫です。あんまり、気にしないで。ただ、お檀家さんが、気持ちよく、お帰りになれば、良いのですよね。

りん:

みちこさん、心強いお話ありがとうございます。
「素直になる」というのは、すごくシンプルなことだと思うんですけれど、これが、なかなかできないんですよね。結局、お寺に入る自分を考えた時に、一番の心配のタネはそこなんです。年を重ねれば重ねるほど、自分の価値観のようなものがつくられていく中で、その世界に当てはまらないものは、何となく遠ざけ、肯定することができない…そんな癖が、すぐに顔を出してしまいます。自分の受け皿の狭さには、時折悲しくなりますネ…はぁ。
でも、在家からお坊様に嫁いだ先輩としてのみちこさんを思うと、
一つ、お手本としたい姿が見えたような気がします。自分に足りないものを少しずつでも吸収して、いつも前を向いていられるようでありたいと思いました。
駄猫幼稚園園長さんも、もしかしてよく似た環境にいらっしゃいますか?これからも、よろしくお願いします☆

まーちゃん:

私も裁縫が嫌い&苦手なんです。
中学の頃被服の単元になると成績が下がり、作った作品もあまりのヒドさに母が後から作り直す、みたいな感じでした。
で、この事は彼には言っていないです。っていうか言えない(笑)けど、お昼にメールで「法事の時に着る服とか縫ったりしないよね。」とメールしたら一言大丈夫、と返信があったのでちょっと安心してます(^^;)
笑顔は頑張りますー。

みちこ:

>kenyouさん
一度できれいに縫えればいいんですけど、何度もやり直したりすると生地を傷めてしまうんですよね。やっぱり慣れしかないですねー。

>☆machikoちゃんさま
いやいや、どんな人と結婚しても苦労のない結婚なんてないですよ。何かしら苦労はあって当たり前、その中で自分と家族ができるだけハッピーでいられるように工夫していかないとダメなんですよね。

>井上さま
お経のときの装束は、着ているほうも慎重に動きますが、作務衣は作業着・普段着ですから、どうしても直しが多いですよね。まぁ、直すのも装束ほど気をつかうことはないのですが。

>まーちゃんさま
わたしも、お裁縫が苦手というかそもそも手先が不器用なので、図画工作や被服は母にやってもらうことが多かったです(^^;)
結婚するとさすがにそうもいかないので、実態がバレますね・・・(笑)。

KAKU:

>堀さん
---坊守さんは、住職さんに、エキスだけ、聞いて、そこだけやれば、OK。全く心配いらないですよ。

うーん。僕は賛成しかねます。確かに寺に入った当初はエキスだけでも知っておかないと勤まらないかもしれませんが、その先、坊守(坊守とは坊(お寺のこと)を守る存在)として、仏教に親しみを持ち、帰依していかないと、お檀家さんにも失礼だし、何より自分自身もつらくなるんじゃないでしょうか。
それに僕は、一番身近な人だからこそ一番一緒にお参りをしていきたい。そう思います。

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みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。