2006年2月19日

今日は本当に何もない一日でした。もともと予定が入っていなくても、なんだかんだで直前もしくは当日になってから何かしら用事が入ることが多いのですが、今日は正真正銘、何もない一日でした。いや、いいんですけどね。このところなんだかすごく忙しくて、KAKUは血を吐くほどだし(笑)、わたしも妊娠中なので何もせずにのんびりできる日はありがたいです。でも、たいていの日曜日は法事が入っているか、そうでなくてもお墓参りにいらっしゃる方が多いので、寺から出かけることは滅多にありません。それで、家で何かしら仕事をしたり、ビデオを見たりして過ごすのですが、今日は特にやっておく仕事もなく、借りていたビデオもなく、昼間はオリンピックもやっていないし、今日に限ってお墓参りに来る方もない・・・することがない。でも、寺から出るのはちょっと不安。
お寺は休みがないから大変とはよく言いますが、常にものすごく忙しいわけではないのです。むしろ、こんなふうに何もすることがない一日を、家の中でどう過ごしたら有意義かを考えるのが大変なのかも。
お寺って、朝起きて「今日は休みだー!」ということはないんです。何か入るかも、と思いながら一日を過ごし、夜になってから初めて「あー、今日は休みだったんだー」って気がつくものなんです。
結局、今日は本当に何もしないで過ごしました。ご飯食べて、パソコンいじって、おやつ食べて昼寝して、またご飯食べて。こんな日があってもいい・・・かな?

と、ここまで書いたことろで、KAKUは急用で呼ばれ出かけていきました。おしまい。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.higan.net/apps/mt-tb.cgi/821

コメント (4)

☆machikoちゃん:

そっか~・・・・。
朝から「今日は休日」ってのがないのねえ~。

そういえば、お坊さんの妻であった祖母は和裁を教えていたけれどあれは、寺を空けれないって事もあったのかな?

>ご飯食べて、パソコンいじって、おやつ食べて昼寝して、またご飯食べて。こんな日があってもいい・・・かな?

うんうん、いい!いい!

寝る前に「今日ゆっくり出来た事に感謝」と合掌。

だね(笑)

堀:

うーん。僕としては、寺ネットワークって、作ってほしいなあ。

禅宗系って葬式でも、賃、ぼん、じゃらん、って感じで、4人とか7人とか、坊さんが出仕します。御通夜でも、最近は、導師1人だけど、1人通夜は、いけないと言って、最近までは、小僧をつれて、鐘や木魚は、伴僧させる。
つまり、法要組合というか、仕事チームですよね。

これは、まだまだですけど。なんとか、お互い、うまく助け合って、朝からお休みという日を作ることは、できるはずなんですよ。
塔頭とか本寺末寺方式で、本寺の檀家廻りとかを末寺が、本寺から来ましたということで、友引に行くと。友引は、葬儀が無いので、休みになります。

本、末とか、塔頭とかの関係ですと、檀家が取られたというか、気変わりするってない訳ですよ。末寺には、昔は尼僧寺にして、葬儀は、男尊女卑というか、女性は穢れたものという考えで、葬儀はしないし、寺墓地も無いえすし。。。。で、上手に、ネットワークを組めば、朝からお休みって出来る訳ですが。

本願寺さんは、駄目でしょうかねえ。

annji:

こんばんは、みちこさん。
私もコメントされてる堀さんの意見に賛成です。お寺であっても一日フリーな日を作ってもいいと思うんです。(もちろんいつ葬儀が入るかわからないので、そんな急用はそちらを優先させますよ)私の中では自分が休める時間、リフレッシュする時間っていうのは必須でそれがあってこそ普段のお寺のお勤めがまたいい意味で活性すると思ってるんです。お寺に住んでまだ半年なのに生意気な意見かしら…?でもどーしても譲れないのでうちは夫婦別々に時間を作っておたがいに干渉しない時間を作ることに最近しました。まだ子供がいないので出来ることかもしれませんが…。そんな事出来るのもいつまで続くかわかりませんが、オンとオフがないお寺の生活だからこそ私にとって永遠の課題のひとつのような気がします。

みちこ:

>☆machikoちゃんさま
こんにちは。そう、家を空けるわけにはいかないから、家の中で快適に時間を送る術を探すんですよね。わたしは家でじっとしていてもあまり苦にならないのですが、KAKUはどうもツライらしく、ちょっとコンビニ行ってくるとか、散歩してくるとか言って、ちょくちょく出かけています(^^;

>堀さま
寺ネットワーク。わたしも考えたことはあります。でも、それならお手伝いの方を常駐させるとか、小坊主を雇うとかのほうが現実的かな、と思います。お寺の人が、自分の留守を別のお坊さんに預けるのは抵抗があるようですから。宗派にも囚われずに済みますしね。わたしがお参りに行くお寺では、住職にお会いすることは滅多にありません。こちらとしても、お墓を開けてお線香さえつけてくれれば誰でもいい、という気もしています。お坊さんはいつもお寺にいるもの、という考え自体がありません。わたしたちの世代(20代、30代)では、そういう意識の人は、ものすごく多いように感じています。

>annjiさま
こんにちは。コメントありがとうございます!
リフレッシュする時間があるからこそ真心でお勤めに向き合える、これは当たりかもしれないですねー。でも、それはわたしたちが在家から来た嫁だからかな、とも感じます。彼岸寺のテーマである「坊さんは職業じゃねぇ、生き様だ!」からすれば、お坊さんであることは即ち生きることですから、そこから開放される瞬間などないはずなんですよね。
でも、お坊さんであることと寺の人間であることは、必ずしもイコールではない。
ただ、やはり自分自身が心を強く、穏やかに保っていられなければ、お勤めもなにも満足にはできませんから、許された環境の中でいかに自分が快適であるかを模索していくのは、とても大切なことだと思います。自分のため、と言うと勝手に聞こえるかもしれませんが、自分に余裕がなければ人に大らかに接することなどできませんから。
お互い、外から来た人間にはなかなか馴染めない文化も多いですが、良いことは良い、悪いことは悪いと素直に感じられる心を失わずにいたいですね。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。