先日、某大手ベビー用品メーカーの商品企画をしている人と会食をする機会がありました。その方ご自身はまだ独身ですが、新製品ができるとモニターになってくれる赤ちゃんを集めて反応を見るので、乳幼児に接することがとても多いそうです。その方がこんな苦労を口にしていました。「いやー、いつも一生懸命感じ良くしようと思ってサービスするんですけど、赤ちゃんはウンともスンとも言ってくれませんからね、寂しいものですよ」。なるほど。たしかに赤ちゃんからは、意見も感想ももらえませんよね。
それを聞いて、わたしはある日の住職の言葉を思い出しました。
昨年、日頃から寺にとてもよくしてくれ、住職とも親交の深かったあるお檀家さんが亡くなりました。人の死に触れることの多い職業とはいえ、やはり親しい人との別れは寂しいものですから、住職も特段の思い入れをもって葬儀に駆けつけたそうです。ところが会場についてみると、どうにも知った顔が見当たらない。親しかった本人は亡くなっているのですから当然ですが、寺に足繁く通ってくれていたのは故人だけで、その家族とはほとんど面識がないことに気づいたのです。先方も、住職が袈裟を着ているので菩提寺だと分りはするものの、知った仲ではないので挨拶もそこそこに、葬儀自体は非常にさっぱりと終わりました。その帰り道、住職はなんとも言えない寂しい気持ちでいっぱいだったそうです。
寺と檀家のつきあというのは、それこそ何代にもわたって長く続くものです。でも、核家族化が進んで、日頃のお墓参りはもとより、数年に一度の法事にも一族みんなが集まれる家というのは数少なくなってきました。亡くなった家族の弔いに寺に足を運ぶのは老人だけで、残された家族はお墓の維持費(管理費)の支払いを現金書留で送ってくるだけという家も、珍しくはありません。お彼岸などでたまに顔を合わせたら、わたしたちとしてはできるだけ親しくなりたいと思って何か話しかけたりしますが、かえって鬱陶しく思われているのかな。こちらが良かれと思ってしていることと、先方が求めているものには、ズレがあるのかもしれない。というか、何も求められてさえいなかったりして。
家族のあり方の変化は、寺と檀家の関係にも著しく変化をもたらしているようです。
コメント (2)
主人の田舎では、住職は幼馴染。ど田舎(旦那様ごめんなさい)なもんで村中の人の事をよくご存知で。
住職でなくてもおばさんたちが集まるとご近所、親戚の噂話で花が咲き、田舎を馬鹿にするわけじゃないけれどこの辺はなじめませんね(笑)。
>お彼岸などでたまに顔を合わせたら、わたしたちとしてはできるだけ親しくなりたいと思って何か話しかけたりしますが、かえって鬱陶しく思われているのかな。
親しくなりましょうって気持ちはとても大事だと。
特に周りを気にしない若い人には。
気にせずにどんどんお話してくださいね。
投稿者: ☆machikoちゃん | 2006年2月17日 09:50
日時: 2006年2月17日 09:50
>☆machikoちゃんさま
こんにちは。地方の寺だとお檀家さんとの交流もグッと深いのでしょうね。なまじ都会だと、隣に住んでいる人も顔も分からなかったりしますから、あまつさえ寺との付き合いなんてこんなものなのかな、と寂しく思ったりします。
でも、さっき近所のスーパーで買い物していたら、お檀家さんとバッタリ会って声をかけてもらえました。ちょっと嬉しいです(^▽^=)
投稿者: みちこ | 2006年2月17日 22:24
日時: 2006年2月17日 22:24