2005年11月21日

honzon.jpg日々暮らしていて感じること。どうやら彼とわたしでは、ご本尊に対して抱いている思いが違うようです。
実はわたしは、ご本尊が家族の一員であるような印象を持っているのです。
うちの寺の本堂は3階にあるので、わたしの中では「いつも3階にいる人」という感覚なのです。おばあちゃんは2階で寝たきり、ご本尊は3階で立ってる、という感じ。ですから、毎日のお参りも、拝むというよりは顔を見せに行く感覚ですし、外出するときには「行ってきます、ただいま」という気持ちで本堂に寄ります。両手がふさがって合掌できないときは、せめてニコッと笑いかけていくようにしています。4月8日の花まつり(お釈迦様の誕生を祝う日・ご本尊はお釈迦様ではないのですが・・・)には、本堂でハッピーバースデーを歌ってみたりもしました。どうしたって人の形に惑わされるし、ご本尊のあのポーズ、手をあげて「やぁ!」と話しかけているような格好が、とても親しみやすく感じてしまうのです。

以前書いて反響の多かったお仏飯の話は、そんなところから出た疑問です。家族の一員なのだから、自分たちが食べるものをそのときどきでお供えすればいいじゃない。頑なに、昨日の分がまだ残っているご飯を、わざわざ炊き直してお供えしなくちゃいけないような、特別な存在ではないんじゃないのかな。

不謹慎、なのでしょうか。

ご本尊に対する思いは、即ち仏教への思いに通じます。
彼との結婚によって、突然そして当然のように仏教徒であるということになったわたしは、毎日の暮らしの中で本当にたくさんの、些細な疑問を抱えます。でも、生まれたときから寺の暮らし、仏教の教えに囲まれて生きてきた彼には、わたしの疑問はどれも当たり前すぎて、説明する言葉も持っていないのです。
彼と恋愛結婚して寺の人間となったわたしには、彼と同じ信心は、正直ありません、今のところ。
仏教を否定するつもりは全くないのです。むしろ、やはり日本人ですから、知らず知らずのうちに身についている教えもありますし、彼に接し寺で暮らすようになって、仏教への興味、彼の宗教への尊敬も生まれました。
けれど、もし寺を自営業に例えるなら、商売道具は仏教という精神。形のない、値段もつけられないそれを、家族として彼と同じ目線で守っていかなくてはいけない。それができるまでには、まだ時間がかかる。否、時間がたてば実現できるのかどうかも確信はない。
生粋の寺人間である彼とは決定的に何かが違う。まだ分かり合えないものがある。そんなふうに感じています。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.higan.net/apps/mt-tb.cgi/808

コメント (4)

植月:

私の育った家は神道なのですが、
自分の神様に対する感覚はまさにそんな感じです。
拝む、のではなく挨拶する、感じで
朝夕のお参りをしていました。
いってきます、ただいま、こんにちわ、おやすみなさい。
いただき物をしたら、こんなのをいただきました、お先に頂戴しますね。
兄弟であり、力の強い従姉弟であり、自分達より世の道理を知っていて、自分の尊敬できる相手…
そんな感じです。

それも、宗教心ではないか、と私は思うのです。たとえ、仏典に書かれていることを実感できなくとも。仏を実感することは、生活の中にあふれているでしょうから。

「同じ目線」ではなく、「想像できる」範囲でよいのではないでしょうか…

ですぎたことを申し上げました。

みちこ:

植月さま
コメントありがとうございます。
わたしの実家は、仏様とか神様とか、そういったものを感じる環境とは違うものでした。なので、ご本尊のみならず、寺にある様々な習慣にいまいち馴染めない気持ちがあります。それでもわたしはわたし、仏事マシーンではないのだから、自分なりの感性で仏教に触れ合っていこうという気持ちがあればそれでいいのかな、と思うようになってきました。
そこで考え出したのが、家族と一員という捉え方。これなら違和感なく受け入れられるな、と。
でも、お寺なのにそれでいいの?自分なりでいいの?という気もするのです。その気がないからと言って何もしないわけにはいかないのだから、むしろ気持ちなんかついていかなくても、ポーズだけでも行動することに意味があるのかも、とも思う有様で。
かといって、やっぱりたちどころに感覚が変わるわけではないですから、結局のことろ、自分の目線、自分のペースで暮らしていくしかないのですが。
悩ましい毎日です。

堀:

幼稚園の園児を本堂に、入ってもらって、花祭りをします。お釈迦様を桶に入っていただいて。さあ、こどもたちに、おまいりって何!って聞かれたら。3歳の子、4歳、5歳の子とそれぞれに説明します。

例えば、できるだけ、本人の具体的お誓いのアドバイスです。**ちゃんか。今日は。++ちゃんと、お砂場で、スコップの取り合いして、スコップで、**ちゃん、たたいちゃったよな!。どうしようか?じゃあ、ののさま、もう、スコップで、お友達の頭たたかないよ。って、お誓いしてみる?

うん。する。!じゃあ。ののさまに甘茶かけて、おててあわせて、おまいりしよっか。

お帰りのときに、空の水筒を持ってきた**ちゃん。甘茶をいっぱい水筒に入れてあげて、あれからどうだった?と、聞いてみる。うん、お約束守って、だれもたたかなかったよ。

そうか、えらいなあ。じゃあ、お守りしてくれたののさまに、ののさまありがと!っていってみよう。

さあ、ののさまからのプレゼント。お家に帰ったら、おばあちゃん達に、甘茶だよ、今日けんかしなかったから、ののさまがくれたの。って、お話してね。バイバイ!!。

こんな感じで、夕方までの今日の目標を、言ってもらい、できたら、ほめてもらい、出来なかったら、ごめんね、明日、頑張ってみるからとか、もっと、楽な約束に、変えさせたりとか。。。

ののさまを、ダシに、結構使ってます。

この子たちは、小学校へ行ったら、宗教教育とは、無縁になります。宗派教育でなく、宗教情操教育を、個々の子の身の高さでしています。

卒園するころは、阿弥陀様の絵なんか、とても上手に描くんですよ。みんなね。(曹洞宗ですが、元、真言宗なので、本尊は、阿弥陀三尊なんです。)

KAKU:

>宗派教育でなく、宗教情操教育を、個々の子の身の高さでしています。

これが一番大事ですよね。仏様に対する気持ちは人それぞれなのですから、各々自分の信じる方法で仏様を感じ、伝えていくしかないのだと思います。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


寺とは縁もゆかりもなかった女の子がお坊さんと恋をして、お寺に嫁ぐ。このケース、実は最近けっこう多いんです。このコーナーでは実際にお寺に嫁いだ寺嫁(てらよめ)の視点から、恋愛・結婚・出産・子育てなど、お寺での生活について現在進行形で体験レポートしていきます。
みちこ
ふつうのOLから思いがけず浅草のお寺に嫁ぐ。子どもと旦那(お坊さん)の世話に追われながらお寺を切り盛りする忙しい日々。