::::::::寺継ぎ坊主より::::::::
先日、お役所に提出した書類に物言いが付いた。
「何でだろう?」と思い、書面をよく見ると理由は二つ。
僕の実家であるお寺は法律上の正式名称が「緑泉寺」だということと、寺の正式な書類に押したハンコが「職泉寺住職印」だということだった。
まず一つ目の、正式名称が「緑泉寺」だということ。僕にはまったく問題が無いように見えたので電話をしてみると、こういう答えが返ってきた。
「普通は有限会社○○、や●●株式会社というように法人格を表す名称が入るんです。お寺さんだったら宗教法人△△とならないとおかしいでしょう?」
一瞬そういうものかとも思ったけれども、よく考えると納得できない。だって僕は今まで「宗教法人」と書いた記憶が一切無いから。今までずっと正式名称だと思っていた「緑泉寺」が違うなんてこと、信じられない。
そこで、法務局に足を運び登記謄本をもらってくる。いや、印紙を買うのだから購入する、というのが正しいのかな?
登記謄本(履歴事項全部証明書)をじっくり見てみると、「名称:緑泉寺」とだけ書いてある。謄本の中にはどこにも「宗教法人」の記述が無い。どういうことなんだろう?と聞いてみると、
「戦後すぐに登記をされた法人の場合は、表記が統一されていないためこのようなことがある場合もある」との話だった。
表記が統一されていないものに対して統一したフォーマットを求める。なんだか納得はできないがそういうものなのかな?
また、「住職印」が代表者の印とは認められない。という話にも面食らった。
会社の代表=代表取締役社長であるのと同じようにお寺の代表=住職という方程式が僕の仲で確立されていて、そこに物言いが付いたことにびっくりしてしまった。
これはお寺の常識であって、世間の常識ではないのだろうか?僕もいつの間にか世間の常識と外れた感覚におぼれて麻痺してしまったのだろうか?
*追記:他の法人と違い宗教法人に限っては、法人格を正式名称に入れる義務が無いということです。
::::::::寺入り娘より::::::::
あるとき、役所に提出する書類に寺の代表印が必要だったので、「緑泉寺住職印」という印面の実印を押して提出しました。数日後、その書類に対して「却下通知書」なるものが届きました。却下の理由は、押下された印面からは組織の代表権限が判断できないからというのもの。
わたしは結婚前の職場で代表者印を扱う仕事をしていた時期があり、役所に提出する書類もかなりの枚数を作成していたので、その通知書を見たときに、ピンとました。
印鑑を押してある書類をつき返された場合、原因はだいたい二つ。一つは印影自体が不鮮明で読み取れない場合。もう一つは、会社名が入っていない、代表者の役職名が入っていないなど、一見してどの組織のどういう権限者の印か判別できないという場合。今回のケースは後者にあたり、おそらく「住職印」というものが一般的な「社長印」「会長印」などと同格とは判断できない、ということだったのだと思います。まぁ、相手がお役所であればさもありなん、それでも印鑑証明をつけて再提出すれば済む話です。
ところがその旨を彼に伝えると、彼はびっくり仰天の様相。
会社でいうところの社長が、寺では住職にあたることなど一般常識、誰でも知ってることだろう!?と。
それを聞いて今度はわたしがびっくりです。それって常識なの!?
住職という言葉自体はよく聞きますし、寺に縁がなかった頃も、それがお坊さんやお寺の人を指すことは知っていました。けれど住職=寺の代表者であり、それが法的に会社の社長と同格などということは知らなかった、というか、そんなことは考えたことがありませんでした。
お寺以外の人に中には、「お前ら税金払ってないんだから(払ってますが)、一人前な顔するな」と言う人がいますし、お寺の人自身も「俺たちは法(法律)に従って生きるんじゃない、法(ダルマ)に従って生きてるんだ」なんて言うことがあります。
そんな環境にありながら、住職が寺の法的な代表者って一般常識だよ!と言われると、なんだか奇妙な気持ちになります。
また、同じように役所に出した書類に「宗教法人」の記述をしなかったために書類が通らなかったこともありました。正式な法人であれば、会社法人、もしくは社団法人や公益法人のように、法人格の種類を明らかにする記述が必ずあるはずだ、というのです。しかし緑泉寺は正真正銘、正式名称が緑泉寺。東京都、法務局に登記してある名称に法人格の記載がないのです。戦後まもなく登記された、即ち(少なくとも東京都内の)ほとんどの寺が、法人格の記載ないまま登記されているのです。しかもその根拠法令は存在しない。
嫁ぎ先であるお寺が特殊なものだと見られることが、わたしはとてもイヤでしたが、こうなってみると、社会の中で寺がいかに特殊なものだったかを思い知らされます。
でも、その特殊性が今でも継続しているかはわからないし、継続させるべきかもわからないし、ただ、このご時世で、せめて法律面くらい整備されていてもおかしくないのになぁと、もどかしい気持ちになりました。
コメント (3)
戦後、一方的に、宗教団体法、その後、すぐに宗教法人法という法律が出来まして、役所が、公益法人の組合等登記令という法令に従い、登記事務を行っています。
で、住職と代表役員とは、法令上、全く別物です。つまり、経営をして、外部に人格を法律的に持ち、法律行為をする者の宗教法人での肩書きは、代表役員です。また、法務を行い、寺院を護持し、宗教活動をする最高責任者が、住職です。
で、包括法人寺院規則なるもので、本願寺さんの場合、住職の資格になりうる教師資格を持った長男が、あととりと明記してあるので、つまり、代表役員=住職=次期住職は、教師資格を持つ長男となる訳ですが、これは、緑泉寺の寺院規則を変更することにより、住職と代表役員は、別人にするという、寺院規則改定をすると、別人になり、社会に向けて法律行為ができるのは、代表役員で、住職は、その雇われ社長みたいになっちゃうのです。株式会社でも実権が、代表取締役会長にある会社と代表取締役社長にある会社とあるように。。。ただ、この考えは、宗教の法務より、財務の経営が、上位という、宗教人においては、耐えられない状況になること。法務局に、緑泉寺の寺院規則変更をしようと思うと、本願寺内局の許可証をとり、都道府県の知事の認可を受けないと、法務局に登記できないので、特に、本願寺内局が、長男相続の歴史を変えると思われないので、住職=代表役員となる訳ですね。ところが、最近、男女平等ということで、人権問題上、お庫裡さんも、教師資格をとって、住職になれる可能性も出てきている訳で、その寺に、長男がいなければ、本庁の特派住職でなく、お庫裡さんが、中継ぎをして、孫の代の長男に、住職を譲りたいという発想も出てくる訳です。実際に、大きな寺ですと、代表役員=住職でない寺も多いのですね。たまたま、仏教各宗のうち、本願寺さんだけが、嫡子長子相続制度を、宗教法人(大谷派?本願寺派?)包括法人寺院規則によって定義しているのに過ぎないのです。あと、登記簿の申請時は、宗教法人と書かないで寺院名のみ書くのが通例で、宗教法人という呼称を被包括法人は、省くことになっております。ちなみに、包括法人の無い、単立宗教法人や学校法人などは、印鑑証明の申請書に宗教法人とか学校法人という呼称を入れることになっています。
本願寺さんだけの特別な慣習ということでしょうか?
なお、印鑑証明添付の場合は、緑泉寺住職***で通りますが、添付がない場合は、住職=代表役員の寺か、住職
≠代表役員の寺か、包括法人寺院規則と緑泉寺の寺院規則が知事印で証明されたものが無いと、相手(法務局)には、解からないのです。法務局は、キリスト教からオウムまで、登記を受け付けるのですから。。。ちなみに、キリスト系ですと、本部が、イタリアやオーストラリア、アメリカなど、外国にあるケースも多く、申請時に外国から証明書を取り寄せるケースもあります。つまり、牧師さんって、全世界に派遣されて、転勤があるケースが、多いですので。。。
法務局の登記官も、もういきさつや歴史を知らず、マニュアルどおりなんで、そういうトラブルが起きます。
坊さん同士、特に、同じ宗派同士なら、当たり前で、解かることですが。。。新興宗教の台頭とともに、在来仏教各宗は、だんだん、外に追いやられます。
投稿者: 堀 | 2005年12月29日 12:18
日時: 2005年12月29日 12:18
「これはお寺の常識であって、世間の常識ではないのだろうか?僕もいつの間にか世間の常識と外れた感覚におぼれて麻痺してしまったのだろうか?」
真宗大谷派の宗教法人の場合、寺院教会条例で住職は先代住職の「卑属系統者」であること、宗教法人の寺院規則では住職の「姓」が定められているということについて世間の常識と外れているとお感じにならないのでしょうか。結婚する場合、寺で定められた「姓」に変えることを一般社会の衆生が受け入れないといけないのです。住職になる寺の人間は一般社会の凡夫の姓を名乗りますか。「姓」の規則を変えるには門徒の3分の2以上の賛成を必要とし、変えるのを非常に難しくしています。坊守もいまだに女性でないといけません(本願寺派は男でもいいですが)。これは世間の常識でしょうか。
投稿者: 23 | 2007年3月20日 01:38
日時: 2007年3月20日 01:38
堀さん。
コメントを見落としてました。ごめんなさい。
僕の仲のいい神父さんもよく転勤で所属の教会が変わっております。信仰、というよりもこの場合は宗派だったり教団だったりすると思うのですが、それごとに形が違うものですね。
23さん
>宗大谷派の宗教法人の場合、寺院教会条例で住職は先代住職の「卑属系統者」であること、宗教法人の寺院規則では住職の「姓」が定められているということについて世間の常識と外れているとお感じにならないのでしょうか。
大谷派の宗門規則のことは詳しくは存じないため、おかしいとも正しいともコメントすることはできません。ただ、各宗派ごとに宗門法規があり、守るべきことがあります。それらはその宗派が長い歴史の上で作ってきたものですので、決しておろそかにするものではないと思います。
もちろん時代の流れとともに法規も変わる必要がありますし、おのずから変わっていくことになると思います。
どんな時代を通しても、真理は真理であるがゆえに、自ずから顕われようとする性質を持っているというのは彼岸寺の松本の言葉ですが、顕われた真理を受け入れる姿がお坊さんなのだと思います。
投稿者: KAKU | 2007年3月21日 20:46
日時: 2007年3月21日 20:46