2005年10月30日
百鬼巡礼 第四夜 [タヌキ考]
◆ 秋の深山、陽気な妖気に化かされて。
【狐と狸】:人里近くに棲息した野生動物。変化能力があり、人に対して様々ないたずらをする怪しい動物と認識されてきた。各地には名前のついた化け狐や狸が多く伝わっている。(平成十八年版妖怪暦より)
ここ最近、狸に心惹かれています。といっても、獣としての狸の生態にときめいているわけではなく、化かす化かされたのお話のほうの狸に夢中なのです。以前は狸や狐の話にはあまり興味が持てなかったのですが、不可思議にも私の中で芽生えた狸への愛着について、妖怪という存在を説明するひとつのモデルを用いて解明を試みてみましょう。
例えば、ひとつの箱を思い浮かべてみて下さい。箱にはいくつかのカードが入っていてそれぞれ「キュウリが好物」「相撲をとる」「頭に皿がある」などの、ある特徴・行動・習性などが書いてあるとします。その箱には「かっぱ」という名前がつけられていて、私達はカードのヒントを頼りにぼんやりと箱の中の「かっぱ」の姿を捉らえる事が出来るのです。そして地域によっては同じ名前の箱でも中のカードが違ったり、全く同じカードがはいっている箱でも別の名前がつけられていたりします。それらの箱を蒐集し、差異を示しあう事はある種の妖怪の楽しみをあらわしていますが、「容姿」という属性のカードが既に決定されている狸や狐に関してはこの楽しみが半減していると思えるのです。故に孤裡の類を軽視してしまっていたのですが、それはとても浅はかな考えだったようです。
狐狸が持つカードの代表として「化ける」という行動属性のものがありますが、これは妖怪的価値観からいうと抽象的で汎用性が高いです。そして居所は山野から街までと幅広く、姿まで決定しているとなれば必然と利用頻度が高まります。つまり孤狸の話は多く、それは逆に僕が狐狸を軽視してしまった一因でもあるわけですが、そもそもの狸や狐が御馴染みの獣として実在しているために近代~現代にまで長く息が続いていたのです。湯本豪一さん編の『明治妖怪新聞』という明治時代の怪奇ニュースを集めた本に、[ 狐狸の事件簿 ]という章があり多くの狸ニュースが紹介されています。僕が気に入ったのは「狸の学校」です。広島の新築の小学校にて生徒も帰宅した黄昏から先、アイウエオを言う声を教職員が聞いたらしい。怪しむ者が見に行ってみた所、狸が数十匹教室に集まり生徒のように各々の席についてしきりに勉強していたという。想像するととても微笑ましいエピソードです。また、田中聡さん著の『東京妖怪地図』にもユーモラスな狸の話が多く紹介されています。なんと汽車が登場し始めた明治時代に、汽車に化けた狸がホンモノの汽車に挑み正面衝突、朝になって線路に狸の轢死体が転がっていたという話が多くあったそうなのです。当時、まさに化物の如く登場した新しい技術に、遂に妖怪が屈してしまったというようなもの悲しさを湛えていますが、同時にその無謀さが天晴れ狸の心意気と大江戸の空に殉職狸の笑顔が浮かぶ能天気さも感じられる印象深いお話です。同書には日露戦争に参戦した狸の話も載っています。愛媛の喜左衛門狸が小豆に化けて大陸に渡り、上陸するとともに豆を撒くようにパラパラと全軍に散り赤い服を着て戦ったと言われているそうなのです。敵将クロパトキンの手記にも「日本軍にはたまに赤い服を着た兵隊が現れて、これはいくら撃っても平気で進んでくる。赤い服には○に喜の字の印がついていた。」と書いてあったとの事で、異国人をも巻き込んだ珍しい怪異として貴重です。
さて、私のお気に入りの狸ストーリーを3つほど並べて書きましたが、文明開化の狭間で奮闘する狸の健気さや、ふてぶてしさになんとも愛着を感じてしまいます。これは、容姿のカードが決定しているおかげでロングセラーを続けた狸ならではの事だと思います。お馴染みのキャラクターだからこそ愛嬌と人間味たっぷりのエピソードを多く残している狸たち。妖怪を見た目で判断してはいけないということでしょうか。僕は正に、狸の容姿に化かされていたと思えてなりません。
(busse posse issue 05/10/29号掲載/文・遠藤卓也)


